第7話 神は秩序を祝福する
灰境州に到着した宗教使節団は、あまりにも静かだった。
白衣に金糸の刺繍。
帝国国家宗教《聖序教会》の正式な印章。
武装した護衛は最小限で、威圧よりも威厳を纏っている。
「……軍より、よほど厄介ね」
リシアは官舎の窓からその様子を見下ろし、低く呟いた。
「ええ」
アレインも同意する。
「彼らは“正しさ”を持ち込む」
その日の正午、広場に人が集められた。
帝国軍の時とは違い、人々は自ら集まってきた。
――神の使いが来た。
それだけで、人は集まる。
中央に立ったのは、白髪の老司祭。
名を、オルディオ=セラフという。
「灰境州の民よ」
老司祭の声は、驚くほど穏やかだった。
「我々は、祝福を携えて来た」
祝福。
その言葉に、ざわめきが走る。
「近年、この地に変化があったと聞く。
税は軽くなり、食は満ち、秩序は回復したと」
人々の視線が、自然とアレインに集まる。
老司祭は、ゆっくりと続けた。
「それは、良きことだ。
だが――」
一拍。
「その繁栄は、神の秩序に沿っているだろうか?」
空気が、ひやりと冷えた。
「神は、試練を与える。
試練を越えた先に、救済がある」
老司祭は両手を広げる。
「苦しみは、意味を持つ。
耐え忍ぶことは、徳である」
誰かが、小さく頷いた。
アレインは、前に出た。
「その“意味”のために、人が死ぬ必要がありますか」
老司祭の視線が、初めて鋭くなる。
「国家は、人を生かす仕組みであるべきだ」
アレインは、はっきりと言った。
「苦しみを前提とする秩序は、制度の怠慢です」
ざわめき。
老司祭は、怒らなかった。
むしろ、哀れむように微笑んだ。
「若き統治者よ。
あなたは、人の苦しみを“失敗”と呼ぶ」
「違うと?」
「それは、神の選別だ」
一瞬、空気が張り詰める。
「すべてを救おうとする国家は、傲慢だ」
老司祭の声は静かだが、重い。
「人は、平等ではない。
だからこそ、信仰が必要なのだ」
その言葉に、何人かの民が目を伏せた。
――効いている。
リシアは、歯を噛みしめた。
「……この人、分かってて言ってる」
夜、官舎。
「論戦では、負けていない」
マルセルが言う。
「ですが……」
「ええ」
アレインは答える。
「“心”では、押されました」
翌日から、変化はすぐに現れた。
祈祷所に人が集まり始めた。
配給を受け取る前に、祈りを捧げる者が増えた。
「神の祝福がなければ、この繁栄は続かない」
そんな言葉が、ささやかれ始める。
リシアは、宗教使節の一人に呼び止められた。
「あなたは、書を読む者だと聞いた」
若い司祭だった。
「……ええ」
「なら、分かるはずだ。
秩序は、疑われてはならない」
その夜、リシアはアレインに言った。
「私、目を付けられた」
「理由は?」
「異端だから」
彼女は、静かに笑った。
「彼らの教義は、本当は違う。
でも、それを言えば……」
「消される?」
「ええ。信仰のために」
アレインは、拳を握った。
「宗教は、国家よりも古い」
リシアは言う。
「だからこそ、国家よりも人を縛る」
その頃、帝都では報告が上がっていた。
《宗教使節、順調に影響力を拡大中》
灰境州は、再び分かれ始めていた。
剣ではなく、
法律でもなく――
神の名のもとに。
アレインは、夜の広場を見つめながら、呟いた。
「……国家は、信じられる必要がある」
それが、彼がまだ理解しきれていない
最大の弱点だった。
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