幕間 帝国は失敗を許さない
帝都ルクサリア。
白亜の宮殿に設えられた円卓の間では、低く抑えた声が交錯していた。
「……灰境州の件は、もはや無視できん」
最初に口を開いたのは、軍務卿だった。
甲冑すら脱がぬ男の声は、苛立ちを孕んでいる。
「帝国軍を引かせた?
それが事実なら、単なる地方不安ではない」
「事実だ」
応じたのは、深紅の外套を纏う老貴族――
ローデリック・フォン・ハインツ。
帝国枢密院の重鎮。
財務・宗教・軍部に影響力を持つ、実質的な“国家の設計者”。
「彼は、剣で勝ったのではない。
制度で勝った」
円卓に、沈黙が落ちる。
制度。
その言葉が意味する危険性を、ここにいる全員が理解していた。
「税を下げ、流通を回し、民心を掴んだ」
ローデリックは淡々と続ける。
「それだけなら、過去にも例はある。
だが――」
彼は一枚の報告書を卓上に置いた。
「灰境州の税収は、前期比一二〇%。
闇市場は縮小。
人口流出は停止し、逆に流入が始まっている」
誰かが、舌打ちした。
「……成功している、ということか」
「“成功してしまった”のだ」
ローデリックの声は冷たい。
「諸君、考えてみよ。
帝国が数百年かけて“仕方がない”としてきた問題を、
一人の追放貴族が解決したとしたら?」
答えは、明白だった。
「帝国そのものの正統性が、揺らぐ」
宗務卿が呟いた。
「国家宗教は、現状を“神の定め”として説明してきた。
だが、より良い統治が可能だと示されれば……」
「信仰は揺らぐ」
ローデリックは即答した。
「信仰が揺らげば、秩序が崩れる。
秩序が崩れれば、帝国は保てん」
軍務卿が拳を卓に打ちつける。
「ならば、軍で潰すだけだ!」
「それは最悪手だ」
ローデリックは、初めて強い口調になった。
「軍で潰せば、彼は“殉教者”になる。
灰境州は“理想郷”として語られるだろう」
静寂。
「必要なのは、正当な失敗だ」
その言葉に、宰相レオニスがゆっくりと顔を上げた。
「……失敗、ですか」
「ああ」
ローデリックは微笑む。
「制度は、必ず歪む。
人は、必ず争う。
それを“彼の責任”として表に出す」
「具体的には?」
「内部から壊す」
ローデリックは、別の報告書を差し出した。
「灰境州の豪族、グラント。
彼はすでに、こちらに接触してきている」
軍務卿が鼻で笑った。
「裏切り者か」
「忠誠とは、立場の問題だ」
ローデリックは静かに言った。
「彼に、“正当な不満”を与えろ。
物資、資金、言葉。
武器は不要だ」
「……武器がなくて、どうやって?」
ローデリックは、円卓の中央を指した。
「言葉と制度で作られた国家は、
言葉と制度で壊れる」
一同が、息を呑む。
「アレイン・フォン・ヴァルディスは、優秀だ」
ローデリックは続ける。
「だからこそ、危険だ。
彼は“英雄”になってはならない」
宰相レオニスが、苦い顔で呟いた。
「……彼は、かつて私の前で、正論を語った」
「正論ほど、国家を壊すものはない」
ローデリックは立ち上がる。
「準備を始めろ。
灰境州が“失敗例”として語られるように」
円卓の間に、低い同意の気配が広がった。
窓の外では、帝都が今日も静かに輝いている。
誰もが信じている。
この秩序は、永遠だと。
だが今、
帝国は気づいていなかった。
本当に危険なのは、
反乱ではなく――
成功する国家モデルであるということに。
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