第4話 灰境州モデル
帝国軍が引いた翌日、灰境州は奇妙な静けさに包まれていた。
歓声はない。
勝利の実感もない。
ただ、人々は「今日は殺されなかった」という事実を、
慎重に噛みしめているようだった。
官舎の執務室。
崩れかけた机の上に、帳簿と地図が広げられている。
「正気じゃない」
代官マルセルは、頭を抱えたまま呻いた。
「帝国軍に逆らい、しかも引かせた。
中央は必ず、次は“正規の粛清”を寄越します」
「ええ」
アレインは淡々と頷いた。
「だから、次が来る前に形を作る必要があります」
「形?」
「国家の代替案です」
マルセルが顔を上げた。
「……本気で、この州を回すつもりですか」
「回します。
帝国のためではなく、ここに住む人間のために」
沈黙。
その横で、リシアが帳簿をめくっていた。
「これ、税率が異常ね」
「でしょう」
アレインは頷く。
「名目税、追加税、緊急税、調整税。
合算すると、収穫の六割が消える」
「生きられるわけがない」
「生きていないんです。
だから闇市場が生まれる」
アレインは地図の一点を指した。
「まず、徴税を止めます」
マルセルが跳ね上がった。
「なっ……!」
「正確には、単一税に置き換える」
アレインは紙に線を引く。
「作物・交易・労働。
すべて一律、二割」
「そんな……中央が許すわけが」
「許される必要はありません」
静かな声だった。
「灰境州は“特殊事情下の暫定運営”とする。
帝国法典には、その条文がある」
マルセルは絶句した。
「……誰も使わない条文を」
「誰も、ここを見ていないからです」
その日の午後、広場に再び人が集められた。
今度は、恐怖ではなく――疑念のために。
「聞け!」
アレインは、台に立ち、声を張り上げた。
「今日から、徴税の仕組みを変える!」
ざわめき。
「これまでの税は廃止する。
代わりに、収穫と取引の二割のみを納めてもらう」
怒号が飛ぶ。
「信用できるか!」
「どうせ罠だ!」
アレインは一つ一つ、視線を受け止めた。
「疑うのは当然だ。
だが、守れなければ私は責任者として裁かれる」
その言葉に、空気が変わる。
「そしてもう一つ」
彼は続けた。
「徴税は、この州の人間だけで行う。
外から来た税吏は排除する」
人々がざわついた。
それは、初めて「自分たちの国」を感じさせる言葉だった。
夜、官舎。
「あなた、危険な賭けをしたわね」
リシアが言った。
「ええ」
「成功すれば、英雄。
失敗すれば、暴君」
「どちらでも構いません」
アレインは答える。
「この地で、誰もが生きられるなら」
リシアはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……私も手を貸す」
「理由は?」
「この国の宗教文書には、こうあるの」
彼女は静かに言う。
「“国家とは、民を生かす仕組みである”」
アレインは微かに目を見開いた。
「それを、誰も信じなくなっただけ」
その夜、帳簿の数字が少しずつ動き始めた。
流通が戻り、隠れていた食料が市場に出る。
灰境州は、
帝国が恐れた通りの存在になり始めていた。
――機能する国家の、最小単位。
そしてそれは、
帝国そのものへの否定だった。
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