第3話 秩序の名のもとに
夜明け前、官舎の扉が乱暴に叩かれた。
「閣下! 起きてください!」
代官マルセルの声だった。
焦燥が隠しきれていない。
アレインはすぐに身支度を整え、扉を開ける。
「何が起きた」
「帝国軍です。正規軍が……州境を越えました」
その言葉に、予感が確信へと変わった。
「どの規模だ」
「百名規模。指揮官は、中央直属の治安鎮圧部隊です」
――早いな。
だが、それも当然か。
昨日の市場での一件は、単なる地方トラブルではない。
**中央の権威に対する「異議」**として処理される。
「目的は?」
マルセルは唇を噛みしめる。
「名目は“秩序回復”。実際には……見せしめでしょう」
アレインは一瞬、目を閉じた。
秩序。
この国が最も好んで使い、最も雑に消費する言葉。
「住民への通達は?」
「まだです。ですが、噂はもう回っています」
そのとき、廊下の奥から足音がした。
「来たわね」
リシアだった。
いつもの外套のまま、眠った形跡はない。
「帝国軍は、夜明けと同時に動く。そういう組織よ」
「詳しいな」
「知ってるだけ」
彼女はそれ以上語らない。
三人は急ぎ、市街を見下ろす高台へ向かった。
朝霧の向こう、規則正しい隊列が進軍してくるのが見える。
槍と盾。
統一された装備。
地方の治安兵とは、明らかに違う。
「……これが“秩序”ですか」
マルセルが呟いた。
「ええ」
リシアが答える。
「帝国が定義する秩序。
逆らう者を踏み潰すことで保たれる、完璧な形」
アレインは黙って隊列を見つめた。
逃げる選択肢はある。
黙認することもできる。
だが、そのどちらも――
「それでは、何も変わらない」
彼は踵を返した。
「住民を集めてください」
マルセルが目を見開く。
「正気ですか!? 今ここで集会など開けば、反乱と見なされます!」
「だからです」
アレインは静かに言った。
「軍が来る前に、こちらが“正当な統治者”であることを示す」
広場に人が集まる。
不安と恐怖が渦巻く空気。
やがて、帝国軍の先遣隊が到着した。
指揮官は、壮年の男。表情は硬く、感情がない。
「アレイン・フォン・ヴァルディス」
名を呼ばれる。
「帝国命令により、あなたの行政権限は一時停止される」
予想通りだ。
「理由を」
「越権行為。徴税の妨害。
秩序を乱した」
アレインは一歩前に出た。
「秩序とは、誰のためのものですか」
ざわめき。
指揮官は眉一つ動かさない。
「秩序とは、帝国のためのものだ」
その瞬間、広場の空気が変わった。
「では」
アレインは続ける。
「帝国は、この地の民を守るつもりはないのですね」
沈黙。
「ならば私は、この地の責任者として、民を守る」
「反逆と見なす」
「構いません」
はっきりとした声だった。
「私は、この州を帝国から切り離すつもりはない。
だが、“殺される秩序”を受け入れるつもりもない」
指揮官は剣に手をかける。
そのとき――
「待って」
リシアが前に出た。
「あなた方は、秩序を回復しに来た。
なら、見てから決めなさい」
彼女は広場を指す。
「この人たちは、反乱者じゃない。
生き延びたいだけの民よ」
一瞬の静寂。
指揮官は周囲を見渡す。
怯えた目、疲れた顔。
武器を持つ者はいない。
「……今日のところは、引く」
彼は剣から手を離した。
「だが報告はする。
次は、もっと大きな力が来る」
帝国軍は撤退した。
その場に、安堵と恐怖が同時に広がる。
マルセルは膝から崩れ落ちた。
「……生き延びましたね」
「いいえ」
アレインは答える。
「始まっただけです」
リシアは彼を見つめ、静かに言った。
「あなた、もう戻れないわよ」
「分かっています」
「それでも?」
「それでもです」
彼女は少し考え、そして微笑んだ。
「なら、最後まで付き合う。
この国が、どこまで壊れているのか」
灰境州の上に、朝日が昇る。
それは、帝国にとって不穏な光だった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




