第9話 灰境州暴動
暴動は、宣言から始まるものではなかった。
最初は、夜の足音だった。
規則性のない、だが数のある音。
次に、叫び声。
怒りとも恐怖ともつかない、濁った声。
「来たぞ……!」
官舎に駆け込んできた役人が、顔面蒼白で叫んだ。
「南区です! 祈祷所の信徒と……配給反対派が衝突しました!」
アレインは立ち上がった。
「死者は?」
「……まだ」
その言葉に、ほんのわずかな安堵が混じる。
「私が行く」
「危険です!」
マルセルが叫ぶ。
「今の群衆は、話を聞きません!」
「だからこそ、行く」
アレインは外套を掴んだ。
夜の街は、異様な熱を帯びていた。
松明の火。
割れた瓶。
怒号と罵声。
「神を否定するな!」
「祈りを強要するな!」
互いの言葉は、もう意味を持っていなかった。
言葉は、ただの合図だった。
――敵だ、と。
南区の広場。
数百人規模の群衆が、押し合っている。
その中央に、祈祷所の簡易祭壇が倒れていた。
「やめろ!」
アレインは声を張り上げる。
「これは、帝国が望んだ争いだ!」
一瞬、数人が振り向いた。
だが、次の瞬間――
石が飛んだ。
額を掠め、血が流れる。
「……!」
誰かが叫んだ。
「統治者が倒れたぞ!」
群衆がざわめく。
そのとき、前列で押し倒された男が、
地面に頭を打ちつけた。
鈍い音。
誰も、すぐには気づかなかった。
だが、やがて――
「……動かない」
誰かが、呟いた。
沈黙が落ちる。
リシアが駆け寄り、膝をつく。
「……死んでる」
その一言で、空気が壊れた。
「殺した!」
「祈らなかったからだ!」
「違う、突き飛ばしたのはお前だ!」
怒りが、恐怖を上書きする。
アレインは、叫んだ。
「やめろ! これ以上は――」
その声は、かき消された。
次の瞬間、刃物が光った。
誰が最初に抜いたのかは、分からない。
だが、一度抜かれた刃は、
すぐに模倣される。
悲鳴。
血。
逃げ惑う足音。
「……撤退!」
アレインは、ようやく命じた。
「全員、離れろ!」
だが、命令が届く前に、
もう一人、倒れた。
そして、また一人。
夜が明ける頃、
南区の広場は、無残な静けさに包まれていた。
死者、三名。
重傷者、十数名。
「……これが」
アレインは、瓦礫の中に立ち尽くした。
「私が守ろうとした結果、ですか」
マルセルは、何も言えなかった。
リシアは、血に濡れた手を見つめていた。
「……あなたのせいじゃない」
彼女は言った。
「でも」
アレインは、言葉を探した。
「止められたはずだ。
もっと早く、強く」
「強権を使えば、違う犠牲が出た」
「……それでも」
沈黙。
朝、帝国からの使者が到着した。
彼は、死体を一瞥し、書簡を差し出す。
「帝国より通達」
淡々と読み上げる。
《灰境州における暫定統治は、失敗と判断する》
アレインは、何も言わなかった。
《よって、統治責任者アレイン・フォン・ヴァルディスの
権限を停止し、調査対象とする》
使者は、最後に一言付け加えた。
「……残念でしたな」
それは、同情ではなかった。
勝利の確認だった。
夜。
アレインは、一人、官舎にいた。
灯りも点けず、机に向かう。
リシアが、静かに入ってくる。
「これで……終わり?」
「いいえ」
アレインは、低く答えた。
「終わりではありません」
彼は、顔を上げた。
「私は、間違えた」
リシアは、息を呑む。
「制度だけで、人は守れない。
だが、だからといって、制度を捨てるわけにはいかない」
彼は、拳を握る。
「次は、同じ失敗はしない」
外では、灰境州の灯りが、いくつか消えていた。
それでも、すべてが消えたわけではない。
第一部は、
成功ではなく、失敗によって完成した。
国家とは、
血の上に立つ仕組みであることを、
アレインは、初めて理解したのだった。
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