第1話 追放裁定
※本作は、いわゆる「追放された主人公が力で無双する物語」ではありません。
剣や魔法による爽快な制圧よりも、
制度・税・宗教・正統性といった“国家の仕組み”を扱う物語です。
・派手な戦闘は少なめ
・主人公は万能ではありません
・選択を誤り、失敗し、犠牲も出ます
それでも、
「国とは何か」
「なぜ人は国家に従うのか」
を考える物語が好きな方には、
きっと楽しんでいただけると思います。
この物語は、
英雄を作らない国家を作ろうとする話です。
石造りの天井は高く、声はよく響く。
それが、この場所で語られる言葉の多くが、誰にも届かないための設計であることを、アレイン・フォン・ヴァルディスは知っていた。
裁定庁。
帝国における「正義」が形式として保存されている場所。
アレインは証言台の前に立ち、両手を背に回していた。拘束具はない。必要がないからだ。逃げる意味も、抗う余地も、ここには存在しない。
「――以上の理由により」
裁定官の声が、朗読のように淡々と響く。
「被告、アレイン・フォン・ヴァルディスは、帝国財務改革における重大な運営責任を負い、地方経済の混乱および反乱の誘因を生じさせたものと認定する」
文言は完璧だった。
曖昧で、包括的で、反論の余地がない。
アレインは視線を上げ、裁定官たちの顔を見渡した。老いた者、若い者、貴族、法官。だがそのどれもが、すでに結論を終えた後の表情をしている。
――これは裁判ではない。
確認作業だ。
「被告、何か述べることはあるか」
形式的な問いだった。
だがアレインは、沈黙を選ばなかった。
「私の提出した改革案は、帝国財務の持続性を確保するためのものでした。地方への税負担を是正し、闇市場の温床を断つ――」
「その結果が、現在の混乱だ」
裁定官の一人が、即座に遮った。
「結果だけを見れば、そう見えるでしょう」
アレインは冷静に言葉を選ぶ。
「しかし原因は、改革案が可決後に歪められ、実行段階で骨抜きにされたことにあります。現場への再分配は行われず、徴税だけが強化された」
沈黙。
だが、それは「考慮」の沈黙ではない。
裁定官の背後、宰相レオニスが軽く咳払いをした。
「若い。理想に過ぎる」
柔らかな声だった。
「君の意図は理解している。だが国家運営とは、理論だけでは成り立たない。現実には、調整というものが必要なのだ」
――調整。
便利な言葉だ、とアレインは思った。
「では、父の死も調整の一環ですか」
空気が凍った。
書記官が一歩前に出る。
「ヴァルディス卿は、獄中にて自裁したと報告されています。これ以上の言及は――」
「父は自殺などしない」
アレインの声は低く、しかしはっきりしていた。
「彼は、最後まで国家を信じていました。自分が犠牲になることで、改革が守られると」
誰も答えない。
答えられないのではない。答える必要がないのだ。
宰相が立ち上がる。
「感情的になるな、アレイン。だからこそ、我々は温情を示す」
裁定文が読み上げられる。
爵位剥奪。
官職永久追放。
帝国中央からの排除。
そして――
「灰境州への移送を命ずる」
その瞬間、アレインはすべてを理解した。
殺さない。
だが、生かさない。
社会的に、政治的に、完全に切り離す。
帝国にとって最も都合のいい処分。
裁定が終わり、護送官に導かれて退廷する。
そのとき、ふと視線を感じた。
傍聴席の端。
黒衣の女性が、静かにこちらを見ている。
年齢は分からない。
表情は読み取れない。
だが、その目には、同情でも憐憫でもない――理解があった。
一瞬、目が合う。
言葉は交わされない。
次の瞬間、彼女は人波に紛れて消えた。
――誰だ。
答えは出ないまま、アレインは外へ出た。
外の空は、驚くほど澄んでいた。
帝国は今日も平和で、秩序正しく、何事もなかったかのように機能している。
アレインは拳を握りしめる。
「……この国は、壊れている」
それは呟きだった。
だが同時に、誓いでもあった。
彼はまだ知らない。
この追放が、帝国再建の始まりになることを。
灰の地で、
新しい国家の設計図が描かれ始めることを。




