大人になったわたしによろしく
「あなたのお陰で、いいこと思いついたの」
初めて会った秋の日から、半年が経っていました。
あれからリサンドラは、旅の途中で近くを通る時は必ず、あの森に寄ることにしていました。
それが、あの小さな女の子との約束です。
「わたしね、パラディンになる」
「パラディン? なんだそれ」
「聖女様を守る騎士のことよ」
「女は騎士にはなれないだろ」
「そんなことない。今の聖騎士様は女の人だもの」
「へえ」
聞けば、なんでもその今のパラディンは、隣国の王子と許されぬ恋をしているとのこと。
結ばれるか、それとも罰せられるか――。いずれにしても、数年のうちには次の聖騎士に代を譲るはずだというのです。
ただの噂のようですが、女の子はそれを聞きつけてきたのでした。
「ふーん、じゃあ頑張りな」
「見えた」
女の子は、川面に落とした目を見開き呟きました。
リサンドラがうなづくと、女の子は引き絞っていた弓から矢を放ちます。
矢は、みごとに川の中の魚をとらえました。
「お前は筋がいい」
「ほんと? えへへ」
二人は火をおこし、大きな切り株に並んで座って、焼いた魚を食べました。その姿は、仲のいい学友のように見えます。
女の子はおしゃべりが得意で、いろんな話をしてくれます。
聖女になるという姉は少し前に王都へ向かいもう一緒に住んでいないこと。母親は、自分を産んだときに亡くなったこと。父親は滅多に帰らず、自分は執事たちと暮らしていること。
「あっ、そうだ!」
いちばん大事なことを忘れていたわ――と、女の子は目をまんまるにして言いました。
「あなたお名前は?」
ふ、とリサンドラが短く笑いました。
それを合図に、女の子も笑い出し、二人はいつまでも笑い続けました。
笑いつかれたところで、ようやくリサンドラが言いました。
「そう言えばまだ名乗ってなかったな、俺の名は――」
リサンドラ・オプリ=パルテルミ・デュボワ――名前の前半は、“仕事”で名乗っている名前でした。
だからこの子には、パルテルミ・デュボワの方を名乗るべきかとも、思いました。
名前の前半も後半も、どちらも自分の本当の名前なのは、間違いありません。でも後ろの方の名前は、何のための名前なのか、何の時に名乗るべきものなのか、リサンドラにはどうしても思い出せないのです。でも、この子になら――
――いや、どちらにしても長すぎる。
「…リズだ。リズって呼んでくれ」
「リズ! …いい響きね…リズ、リズ、リズ…」
「お前の名は?」
「わたしはね、アウレリア・アルマリア」
焚火が、女の子の顔を照らします。
アルマリアとは、この国の王家から四つに分かれた家名の一つでした。
リサンドラはそのことに気づきましたが「少し長いな」とだけ、言いました。
「そうなの。だからみんなはリアって呼ぶわ。でも、姉さまだけは、レルって呼ぶの。わたしはそっちの方が好き。だから、あなたもレルって呼んで」
「わかった、レル」
レルは、にっこりと笑いました。
リサンドラの頭の中に、同じように笑う誰かの顔が浮かんだような気がしました。
「じゃあリズ、ひとつお願いがあるの」
「なんだ?」
レルは立ち上がって、言いました。
「戦い方を教えて」
時が経ちました。
十三歳になったレルの背はもう、リサンドラを抜かしていました。
「ねえ、リズ。本で読んだんだけど、エルフって長生きなんでしょ?」
「らしいな」
森を荒すゴブリンの群れを退治しながら、二人は話します。
「あなた幾つ?」
「さあ?」
「さあってなによ」
十匹はいたでしょうか。おそらく同じ数の大人が戦ったとしても、難しい戦いになったはず。
「俺くらいの見た目だと、普通のエルフなら四〇歳から五〇歳ってとこらしい」
「やっぱり大人の歳なんだ」
でもリサンドラの的確な指示と、レルの生まれ持った戦いの才能で、あっという間に魔物たちは退けられました。
「でも、俺はダークエルフってやつらしいからな。成長の早さが違うんだってよ」
「なんだか他人事みたいに言うのね。自分のことなのに」
森の奧から、倍の数のゴブリンの援軍がやって来ても、二人はひるみません。
――他人事でした。リサンドラが覚えているのは、ここ十数年ほどのことだけなのです。
その夜、二人はあたたかいお湯の張られた浴槽に身を沈めました。
「いつもこんな贅沢してるのか?」
「ううん、こんなにお湯を使うのはわたしも初めて」
リサンドラは湯に手を遊ばせて、自分はどうやら風呂につかるのが初めてではないな――と感じました。
「俺さ――占い師のジジイに、二〇〇歳を越えてるって言われたことあるんだよな」
「えっ…そうなの?」
レルの瞳が、湯気の向こうで静かに揺れました。
驚きでも疑いでもなく、ただ素直に、目の前の小さな体の中に二百年という時間が折りたたまれているのを覗き込む――そのレルの純粋さに、リサンドラは思わず笑って言いました。
「さすがにねえだろ。いくらエルフでも二〇〇歳なら、もうちっと大人になってるはずだろ?」
そう言って、ぐいと薄い胸を張りました。
二人は、笑いました。
風呂から出るとリサンドラはどうしても森で眠りたいと言い、レルもそれに付き合うことにしました。
「風邪ひいても知らないからな」
「じゃあもっとくっついてよ」
二人が出会った樹の下で、二人は毛布にくるまり赤ちゃんのように丸まって眠ります。
深夜、リサンドラがふと目を開けると、目の前にレルの顔がありました。レルはリサンドラの寝顔を見ていたようでした。
「…眠れないのか?」
「まるでこの樹みたいだね」
「ん?」
レルは、続けました。
「わたしが大人になっても、リズはこのままなんでしょ」
「たぶん…見た目はな」
レルは仰向けになると、黙って何かを考えたあと、こう言いました。
「大人になったわたしによろしくね」
その言葉は、リサンドラに言ったのでしょうか。それとも、視線の先の樹に言ったのでしょうか。
また時が経ち、レルは十七歳になっていました。
あの森でひとり泣いていた幼い少女は、日々の厳しい鍛錬の成果でしょう――望みどおりに、力強いからだと俊敏な身のこなしを手に入れていました。
「――勝ったのか?」
「当然」
そう言って、レルは仔馬を牽いてきます。
レルがこともなげに言う勝利とは、騎士志望の男たちが競う剣術大会での優勝のことでした。仔馬は、その報賞です。
「ふん」
興味なさげに鼻を鳴らしたリサンドラでしたが、その口元は緩みっぱなしでした。
柄にもなく、レルの勝利が自分のことのように誇らしく思えたからです。
リサンドラは改めて、成長したレルを見ます。
背は驚くほど伸び、惚れ惚れするほどにたくましくなっていました。それでも、まちがいなくあの森で出会った女の子だと分かるのは、レルの根本にある気品と可憐さが失われていないからでした。
きっと老婆になっても、それは失われないだろうとリサンドラは思いました。
「この子の名前、ヒュペリオンにする」
「いい名だな。でも不敬だなんだと、文句言ってくる奴もいるんじゃないか」
「そんなの知らない」
ヒュペリオン――それは、太陽の力を持つとされる巨神の名でした。
巨神とはかつて龍の軍団と戦い打ち克って、神々へと進化したとされる伝説の存在のことです。云わば女神の親戚――
ふと、仔馬の背を洗う手を止めて、レルがリサンドラの方を向きました。
「リズ。わたし来月、王都に行く。やっとパラディンの試験が始まるの」
「そうか――」
リサンドラは、レルがパラディンになると言ったあの日から、王都や聖女について調べました。
戦闘で勝ち抜く以上に、パラディンには王宮での立ち回りが求められる。
レルは強い。誰よりも。
だけど――純粋すぎる。
――でも。
「頑張れよ」
リサンドラは、それだけ言いました。
ティサリア建国歴995年、花の月――
第二十二代・盾のパラディンに、十七歳の少女が叙任された。
少女の名は、アウレリア・アルマリア――のちの【陽光の聖騎士】である。




