見た目がすべてだ、ポポム君
夜はまだ明けたばかり――、手近な寺院は中央広場の奥にあった。
(はあっはあっ…はあっはあっ…はあっはあっ)
ポポムは走った。何度も足がもつれ、転びながら。
この王都に、あのネクロヴァルドの本体がいる。
(人形の今なら倒せるかも知れない…!)
ポポムの目に、大寺院の高楼が見えていた。
その様子を、丸めた指を望遠鏡のようにして、視ている者がいた。王都の港を見渡す石の手すりに腰かけた少年人形である。ヴァルと名乗ったその存在は、小さく首を傾げた。
「ふーむ…君とは友人になれるかと思ったがね」
砂粒のような大きさにしか見えないポポムに語りかけながら、小さな右手を空中にかざすと黒い触手が地面からメリメリと生えてくる。それはむんずとヴァルの華奢な胴体を掴んだ。
「外すなよ」
触手は頷くような仕草を見せたかと思うと、おそるべき勢いでヴァルを投げた。
(ゴウッ…)
少年人形は湾を越え、停泊した帆船のマストをかすめ、広場のある繁華街へと飛んでいく。
人形の手が、広場に隣接する大きな建物の屋根の避雷針を掴む。そのまま避雷針を軸に鉄棒競技のように何度も回転し、勢いを殺していく。
手を離すと、まだ残った回転の勢いによって、空中に飛び出る。そのままヴァルは低い店舗の屋根に着地した。
「なあ、ポポム君」
ヴァルは、走るポポムに店舗の屋根の上から声をかけた。
ポポムはぎゃあと叫んで反対側に走り始める。
「手荒なことはしたくないんだがね」
ヴァルがその小さな手をかざすと、ポポムの向かう先の地面に触手が現れた。
ポポムの足が絡めとられる。
ヴァルは軽業師のように雨樋沿いに屋根から降りていき、脅えるポポムに近付いていく。
「おいポポム君、落ち着いて今の僕の姿をよく見たまえ。どうだい? 思わず守ってあげたくなるような、いたいけな少年だろう?」
ポポムは脅えながらも、ヴァルを見た。確かに言う通り、正体が恐ろしい魔導士だと知らなければ、誰もが世話を焼きたくなるような愛らしさに溢れている。
「君だけでなく、他の人間にも同じように見える――つまりだ、ポポム君。これは哀しい現実だが、君と僕、どちらの言うことを人は信じると思うね? 善良な心を持つが醜い姿の君と、世にも邪悪な心を持ちながら天使のように愛すべき外見の僕と――」
「だ、黙れ!」
ポポムは、足に絡まる触手を引きちぎろうと引っ張る。
「しょうがないな…」と、ヴァルが指を鳴らす。触手がほどけ、ポポムは再び脱兎のごとく走り出した。
市場にはすでに開店準備をしている者がちらほらいた。だが、一般人を巻き込んでも犠牲が増えるだけだ。助けを乞いたい気持ちをぐっと堪えてポポムは走った。王宮へ。そこなら、衛兵がいる。
足がもつれ石畳に倒れた。
「おい、どうした?」
その声は巡回の衛兵隊だった。五人はいる。
息を整えやっと口にする。
「た、助かった…」
「あん? どうした、物盗りにでもあったか?」
「た、大変なんです…! 魔物がこの王都に…! どうか、もっと応援を…!」
「なに? 魔物?」
ポポムの背後で、木靴の足音がした。
「ひ…!」
ポポムは振り返った。そこには両手を拳にして目に当てたヴァルが、肩を揺らしていた。かすかに啜りあげる声が続く。
――しまった、とポポムは思う。
「君――、どうした?」
ヴァルは泣きはらした顔で、ポポムを指差した。
衛兵たちの顔色が変わった。
「ちが……ぎゃっ!」
ポポムは乱暴に立たせられ、両脇から取り押さえられた。
「あ、あのっ、違うんですっ、いたたたたた!」
腕が捻じり上げられた。
衛兵の一人が、ヴァルと目線を合わせるようにしゃがんで声をかける。
「ゆっくりでいいから教えてくれるかな。君、あのおじさんに何されたの?」
「違っ、違っ」
「うるさい!」
膝の後ろを蹴られ、跪かされた。石畳で両膝が痛む。
ヴァルの口の端がくいと釣りあがるのをポポムは見た。
「――変なことされた?」
(お、終わった――)
ここでヴァルが「うん」とうなづけば、自分はたちまち牢に入れられる。ポポムはうなだれた。
木靴が石畳を蹴る音が聞こえた。
ポポムは、朝露に濡れる石畳から視線をあげた。
え――?
ヴァルの両手がこちらに伸びていた。
「いた! ポポムおじさん!」
ヴァルはポポムに抱きついた。
「ごめんね。僕が勝手に離れちゃったから。僕も迷子になったかと思って、ずっと怖かったんだよ」
すっかり安心したと言わんばかりの明るい声色でヴァルが言う。
「知ってる人かい?」と衛兵が言った。
「うん、そう。僕のおじさんだよ――ね?」
首がもげるほど、ポポムはうなづいた。
納得した衛兵たちが去っていく。
「言っただろう? ポポム君――悲しいが、世の中見た目がすべてだ。ちなみに言っておくと、僕の偏光術式を透過して正体を見破れるのはかなり高位の神官か魔導士だけだよ。そんなものがそのへんの寺院にいるとは思えんのでね――無駄な抵抗はやめておくがいいよ」
うなだれたままポポムは、ぽつりと聞く。
「…ここで、なにするつもりだ」
諦めきった、平坦な声だった。
「君が心配するようなことをするつもりはないよ。僕の体が到着するのは、早くても今日の夜といったところだろう? 時間の無駄は嫌いなんだ。それまでこの街を見学させてもらおうと思ってね。君の仕事ぶりなど見せてくれたまえよ」
「ならもういい…」
そう言って、ポポムは立ち上がりふらふらと歩き出す。
「どこへ行く?」
「家で寝る」
「ふむ、なるほど。君は一晩眠っていないんだった――寝なくても元気でいられる魔法をかけてやろうか? 寿命は半分ほどになるが」
「いらない」
「そうかね、それも自由だ。いざ行こう、君の家へ。案内してくれたまえ」
ポポムは市場を抜けて、職人通りへと入っていく。
複雑で狭い路地には、さまざまな鉄製の吊看板がかけられている。パン屋を示すもの、肉屋を示すもの、服屋を示すもの。
ポポムが立ち止まったのは、鍛冶屋を示すハンマーを象った鉄看板の前だった。複雑な紋様は「フェルディナッツ」と読める。
「ほう? 君は鍛冶屋もやってるのかね?」
「母さんがやってる」
店舗の窓の横にある戸を開ける前に、ポポムはヴァルに忠告する。
「起こしたくない。絶対に騒がないでくれ」
「了解したよ、ポポム君。静かにしてるとも」
戸を開けると、目の前に二階へと続く階段があった。一階の奧には作業場があるようだ。
ポポムは、音を立てぬよう慎重に階段をあがっていく。
二階にあがると、木製のテーブルに椅子が二脚。居間のようだが、ポポムの巨体が入ると、ただでさえ狭い空間がより狭苦しく感じられた。
「なんというか――素敵な住まいだな」気まずげにヴァルが言う。
「うるさい」するどい小声でポポムが返す。
「すまない。思ったよりも質素な暮らしぶりだったのでね」
ポポムはこれまた狭い廊下を進み、自室の扉を開けた。
ベッドと机、木箱。乱雑に置かれた本。
そっと扉を閉めて、ポポムはベッドに横たわる。
そして、寝る前の習慣のようにシャツの胸元から何かを取りだして机の上に置いた。
「これはなんだね」
「形見だよ。父さんの」
それはネックレスだった。決して高価そうではないが、鎖の先に乳白色の石が一つついている。
「ほう――」
ヴァルはその首飾りをしばらく眺めていた。
「ポポム君、君の浮遊魔法はもしや――」
ヴァルが振り返ると、ポポムはすでにいびきをかいていた。
王都の東に横たわるアステラ海――それを一望に見渡すバルコニーで潮風が揺らすのは、白いヴェールと亜麻色の長い髪だった。水平線を見ていた美しい淑女は室内に向き直って、口を開く。
「どうやら――最初の賭けには勝てたようです」
木漏れ日が音になったかのような、暖かく柔らかな声――それが意味した言葉に、頭を垂れていた三十人を超える僧侶たちが「おお…」と感嘆の声をあげた。
陽光で薄手の儀礼服が透けて、華奢ながら見事な曲線を持った肢体の輪郭が浮かび上がっていた。その姿を女神オルディナの化身と見て目を細める者もいれば、修行の妨げと目を伏せる者もいる。
「では、エレオノーラ様」と、先頭に座る法衣の男が言う。
「ええ、妹が勝ちました」
この美しき淑女こそエレオノーラ・アルマリア――、オルディナ教の象徴である「聖印の巫女」すなわち聖女であり、パラディンであるアウレリア・アリマリアの六つ年上の姉であった。
「まもなく、反魂の奥義を知る魔術師がこの王都に」
その聖女の言を各部に報告するため僧たちが去ったあと、エレオノーラは老婆のような深いため息をついた。そして、ぞっとするほど冷たい声でつぶやいた。
「これで二手ほど稼ぐことが出来た」
空に向けたその視線の先、キラリと光る星がある。夜明けの前後にしか輝かぬ、その星の意味するものは吉兆か凶兆か。




