エルドセラミス
触手の戒めを解かれたレルが、落下する。
「レ、レルさん!」
ポポムはとっさに、まだレルにかかったままの浮遊の力を使う。
(パキィンッ!)
ポポムの魔力が、なんらかの力で打ち消される。
にもかかわらず、レルは床に叩きつけられることなく浮遊していた。
(う、浮いてる…? 自然に…?)
驚くポポムに目をやることもなく、空中に静止したレルは自分の外れた肩に目をやった。
「……」
レルの唇が聖句を唱える。
(フォオオオオアッ)
その回復魔法の奔流は、レル自身の傷を一瞬で治癒する。さらに近くにいたポポムの全身の火傷も、すべて完治してしまった。
「わ…! あ、ありがとうございます…!」
ポポムは、思わず礼を言った。
だが、内心は恐ろしかった。一体、何がどうなったのだ。
レル自身に聞いていいものか。レルの髪がいつもの亜麻色でなく、燃えるような赤に染まっていることを。瞳が青でなく紅く輝いていることを。
「ポポムさん」
レルは、ポポムを見ずにそう言った。
「は、はい…」
「わたしには今、何が起こってるのかわかりません…」
「ぼ、僕もです…!」
「わかりませんが…」
左手を高く掲げる。
「ヴァルカンティス!」
その声に応えて、謁見の間から聖盾が飛んでくる。
レルの左手がそれをつかんだ。
「今なら勝てる気がします!!」
燃える瞳は、髑髏の魔導士を見下ろしていた。
「ヴラアアアアア!」
咆哮と共に投げられた聖盾は、周りの空気を巻き込むように鋭く回転しネクロヴァルドに襲いかかった。
(ザンッ!)
盾は砲弾のように、ネクロヴァルドを突き抜けた。
「…なんなのだ、あれは…?」
とっさに張った魔力の障壁はいともたやすく破壊された。見れば、ローブと共に体の半分が消滅している。
「ルーファス、ヴァレンティン、僕に構うな!」
半身となったネクロヴァルドは、これまでにない上ずった声で部下に命じる。
屍王の半身をえぐった盾は、不自然な放物線を描いてそのままの勢いで戻ってきていた。
(ズドバッ!)
残った半身も、背後からえぐられ粉々になった。
「…すまんな、ヴァレンティン」
その声が発せられたのは、天井である。主の命令に背いて動いた吸血執事の胸に、ネクロヴァルドの頭蓋骨が抱かれていた。
「なんなのだ、あの娘の魔力の総量――、魔人クラスに跳ね上がっている…!」
ヴァレンティンはその主の言葉を「戦ってはならぬ」と受け取った。
「ではいかがいたしましょう、お館様?」
「とりあえず、あの部屋で暴れさせるのは避けたい――大事なものまで壊してしまう」
「承りました」
執事は、幾重にもぶれるヴァンパイア独特の移動を開始する。鬼人のごとき強さとなった敵を、隠し部屋から広間へと誘い出すために。
「…うう…」
ポポムは倒れていた。
レルの盾の投擲の衝撃波に、吹き飛ばされたのだ。
「レ、レルさん…!」
ポポムは本能的に感じていた。
レルを止めなければ――と。
「ヴラアアアア!」
レルの咆哮に合わせ、禍々しき遺物たちが再び共鳴を始める。
「こ、こいつら…どういう…!?」
遺物たちは自ら意思を持つように自在に変形し、レルに吸い寄せられていった。
いくつかはレルの周りに滞空し、いくつかは鎧のようになってレルの体に取り付いた。
そのまま正気を失ったように見えるレルは、標的を追って隠し部屋を出ていく。
「な、なんだあれ…」
ポポムにすら、レルから放たれる魔力のほとばしりの形が見えていた。その形には、牙と爪と翼があった。
「あれが…レルなのか?」
リズが思わずつぶやいた。人狼の執事に拘束されたまま。
レルの姿は、もう真珠色の騎士ではなかった――禍々しき魔力を身にまとったその姿は、まるで漆黒の狂戦士――。
「ほう? 友人の君にもわからんのかね?」
その声の主は、吸血鬼に抱きかかえられた頭蓋骨だった。
「何故、あの娘に【龍骸魔鋼】があれほどの反応を示すのか――君なら何か知っているかと思ったが」
聞き慣れぬ――そのはずの言葉に、確信めいた不吉さを感じながらリズは聞き返した。
「――エルドセラミス?」
「元は遥かな昔、巨神戦争で敗北した魔龍たちの死骸――それが長い年月で変質し、強靭な魔力素材となった――今、あの娘に取り憑いている僕のコレクションは、すべて龍骸魔鋼で造られた遺物だよ」
「魔龍…ドラゴンだと?」
ルーファスが口を開く。
「旦那様、攻撃が――」
三体の魔物を狙った盾の一閃――ルーファスの回避が間に合わなければ、リズすらもろとも肉片にされていた。
リズは見た。ただ目の前の敵を倒すことしか見えていないレルの、紅く燃えた瞳を。
「ヴァルカンティス!」
レルの呼び声に応え、巨神結晶の盾がレルの手に戻る。パラディンとしての自我は失われていないのか。
「面白いじゃないか」
屍王は、嗤う。
「巨神結晶の盾を意のままに操り、龍骸魔鋼の力を自在に引き出す――だと?」
吸血鬼の腕の中で、ネクロヴァルドの骨の体が再生していく。
「そんな人間が、たまたまこの僕の前にやってきた? ――いいや、そうは思えん」
骨だけではない、深紅のローブも見る間に塵から編まれていく。まるで時が巻き戻っているかのように。
「この娘を使えば、どこかの地の奥底で眠る魔龍を蘇らせることも可能だろうな。一匹でも生きていれば、星を揺るがすほどの魔力の塊――今の世ならばこの大陸全てを一年かけずに制することくらい造作もない――とすればだ」
くくく、と嗤った。
完全再生したネクロヴァルドが、リズを振り返る。
「商人どもや騎士どもの企みとは次元が違う――あの娘をここに寄越したのは誰だ? 一体何者が、一体何を企んでいる?」
その言葉に、リズはここに来るまでのレルの言葉を思い出す。
『…初めてなんだよ。エレン姉さまがわたしにお願いをしてくれたの。この作戦に参加して欲しいって…だから』
レルをここに送り込んだのは、レルの最愛の姉エレオノーラ・アルマリア――この国の聖女であるエレオノーラは知っていたのか? 妹のこの秘密を。
この力を使って屍王を倒させるため? いや、レルがあの隠し部屋に入ったのは偶然だった。だが噂では、聖女は女神と交信し未来を視ることができると聞く――では、まさか――。
いや、そんなことは――あってはならない。
「思い当たる節があるようだね?」
ネクロヴァルドの周りに、すでにプラズマの球体が四つ浮かんでいた。
「試してみようか。古代ドラゴンの魔力がどれほどのものか。そして――」
屍王は、レルに向き直った。
「果たして人は、飲み込まれずにその力を使えるのか――?」
魔人と化したレルへ向かって、後ろ手を組んだまま平然と歩いていく。
(ズガガガガガガガガガガ!)
四つのプラズマと盾と遺物が、空中でぶつかり合った。
すっぽぬけたプラズマ球が一つ、ポポムをかすめ隠し部屋へと飛び込む。
「うわーー!」
その熱と衝撃に、ポポムが逃げ惑う。
「お気をつけください、お館様」
天井から、ヴァレンティンの冷静な声が飛ぶ。
ネクロヴァルドは「楽しみ過ぎたか」と肩をすくめ、続けた。
「――あれならもう心配しないでいい。移動させた」
滞空する龍の遺物から、一斉に鋭い光が放たれた。
ネクロヴァルドは、手を組んだままでそれを跳ね返す。幾重にも重なった魔力の障壁が空中で輝いた。
「レル、もうやめろ! そいつを倒したって意味なんてない!」
リズの叫びは、届かない。
ネクロヴァルドはいつの間にか、レルと同じ高さに浮かんでいた。
「全開で来たまえ。こちらもそうする」
手を後ろに組んだまま、不死の魔導士は言う。
「――合図はいるかね?」
龍骸魔鋼の鎧が、レルの体に食い込んだ。
巨大な魔力のほとばしりに、ネクロヴァルドがわずかに距離を取る。
「ヴラアアアア!!!」
龍の光が、床を壁を天井を薙ぎ払いながら、目の前の敵へと収束していく。
すさまじい音と光――
ポポムは、ただ見上げるしかない。
目の前の超常の戦いに参加する資格などどこにもない。
だが、やるべきことがあった。
(レルさん…)
もう言葉は届かない。
ならば――。
ポポムは自分を浮遊させた。
プラズマが飛び交い、龍の遺物が光線を放つ、レルと同じ高さへ。
「ヴラアアアアアア!!!」
ポポムには分かった。
ネクロヴァルドは、命を懸けていない。
そして――
壊れつつあるのは、レルの方だ。
止めなければいけない。君に救われた、僕が――。
「失礼しまーす!」
ポポムはレルを背中から抱きしめた。




