ネクロヴァルドの嘲笑
がくりと膝をついたレルに、ポポムは思わず声をかけた。
「レ、レル様!」
浮遊魔法で落下速度を調整するのももどかしく、地上へ降りると肩で息をするレルの傍へ駆け寄る。
「大丈夫ですかっ」
レルは、心配するポポムにかすかに微笑み「レルで構いません」と返した。
「それより…」
視線の先にはネクロヴァルド――、
魂の器を壊されこの世から消えるはずの断末魔は、まだ続いていた。
「うぬ…ぬおおおっ、お、おのれーっ…ぐあーっ!」
地上に降りてきたリズが、なぜか舌打ちをする。
「チッ、あの野郎…」
「た、倒したんですよね?」
「いいや、あの執事ども、落ち着いてやがる」
「え?」
確かにネクロヴァルドの執事である二匹の魔物は、苦しみの声をあげる主人の両脇に、ただ影のように控えている。
「ぬあああーーー……!」
屍王の声と動きがぴたりと止まった。
レルの唇から落胆のうめきが漏れる。
「くっ、くっくっく、いやいやすまんね。場を白けさせてしまったなら申し訳ない。その昔、役者を目指したことがあるものでね…」
ネクロヴァルドは、揉み手をしながら平然と近づいてくる。
「ふーむ、なるほどなるほど。もしや君らの狙いはフィラクテリーだったのかね? 僕の魂の入った?」
誰も答えはしない。
だが、睨みつけるレルの視線をイエスだと受け取ったようだ。
「ん~、実に素晴らしい目の付け所じゃないか。感心したよ。だが、残念ながら僕はそれほど自己顕示欲が高いタイプじゃないんでね。玉座だなんて、そんな目立つところに置いてはおかんよ」
レルは唇を噛みしめると、鉄拳を振り上げ床に叩きつけた。
石の高座に、新たな亀裂が加わる。
その無念の表明に、ネクロヴァルドは――
「ぶはっ」
噴き出した。
「ごほん、すまんね」
と誤魔化しはしたものの、我慢できずもう一度噴き出し、なんとか落ち着こうとあろうことか敵であるレルに背を見せた。
それでも一度発生した嗤いは収まらなかった。
「くはっ! くはーっはっはっはっはっはっは! いやいやいや…はっはっはっはっは!」
屍王はひとしきり嗤うと、レルに振り返りこう言った。
「君…いいねえ…! とてもいいリアクションをするじゃないか。それでいい。敗者というのはそうじゃなきゃいかんよ」
「っ…」
唸り声とともにレルの歯が軋む。
今にも怒りのまま向かっていきそうなレルに、リズがそっと顔を近づける。
「レル、やめろ」
リズは敵に唇の動きが見えぬよう、体の角度を変える。小さくつぶやく。
「…逃げるぞ。出直しだ」
レルがうなづくのを待った。微動だにしない。
ならば――
「…その引っ越し屋はどうする? 見捨てるか? 巻き込んだのはお前だろ?」
ぴくりと反応があった。
短い沈黙のあと、レルが短くうなずいた。
リズは一瞬で計算する。
(こいつら三匹…、逃げに徹すればどうってことない。)
(レルと引っ越し屋をうまく囮にすれば、一匹くらいは狩れるはず…)
そのリズの思考はネクロヴァルドの声に阻まれる。
「や、そうはいかんよ」
いつの間にか、二匹の執事がレルを挟んで立っていた。
「言った通り、君らはアンデッドにする」
カキン、と白骨の指が鳴らされた。
両サイドから、不死の怪物が襲いかかる。
(――!)
リズのダガーが機先を制した。
とんぼ返りしつつ、同時に投げた二振り。吸血鬼の喉と、人狼の胸。
(ドドッ)
着地せぬまま、隠し持った銀の矢尻を蹴り飛ばす。
二連。ネクロヴァルドの胸と額へ。
(ドガ、ガッ!)
胸を狙った一つは、防御に突き出された白骨の掌をバラバラに破壊した。
一つは、見事、髑髏の額に突き立つ。
(これで数秒、隙が出来る…! 逃げるぞ、レル…!)
そう思い、空中でレルに視線を送ろうとした刹那――、
ネクロヴァルドの右手が、くいと自分に向けられるのが見えた。
「終わりかね?」
ネクロヴァルドが、嗤った。
(くっ…)
瞬きもできないほどの時間の中で、白骨の指が動いた。
何かの魔術を使うために。
そして――。
(ドゴオオオオオン!)
巨大な衝撃波が、不死の魔術師をバラバラに吹き飛ばしていた。
「聖盾特攻――!」
盾ごと踏み込み体当たりするパラディンの絶技――両足で石床を削るようにして制動をかけ、レルは振り返り叫んだ。
「ポポムさん、こちらへ!」
バラバラに吹き飛ばしても、相手は不死。
復活するまでのわずかな時間で、せめてポポムだけでも――。
(ゴボン…)
奇妙な音は足元からだった。
「!!」
透明なジェル状のなにかが、床から沁み出していた。
両足が、次に右腕が、その透明に拘束される。
ネクロヴァルドの頭蓋骨が、空中で高らかな嗤い声をあげている。
「レル!」
そう叫んだリズを、ダガーを突き立てたままの二体の魔物が襲う。
「くそっ」
武器を持たぬままの、空中戦。
襲い来る二体の魔物の体を盾にし、矛にする。
一手間違えれば即死確実の猛攻を、相手の懐に身をやることでリズは次々と躱し続ける。
(なんとか、レルを助けに…!)
吸血鬼の爪を躱し、狼男の懐に飛び込む。
右耳のすぐそばで声がした。
「よし、そこでいい。ルーファス」
リズの顔から血の気がひく。
声の方向には、ルーファスの銀毛に覆われた腹しかない。だが、リズは見た――狼男の腹にぽかりと空いた空間――そこに、ネクロヴァルドの髑髏の顔があるのを。
「この辺かな?」
リズの細い首が掴まれた。
ルーファスの腹部の空間から伸びた白骨の腕に。
「リズ!」
ジェル状の不可解な生き物に拘束されたまま、レルが叫ぶ。
いくら叩いても、この生物は物理攻撃のダメージを吸収してしまう。
「こいつ…!」
左腕の盾での、神聖魔法を込めた一撃。それすらジェル生物には、なんのダメージもない。
「さてと」
その声に、振り返る。
バラバラに吹き飛ばしたはずのネクロヴァルドの骨格が、元通りに組みあげられそこにあった。
ただ、右手だけは二の腕の途中から、空間で消えていた。それが今、リズの首を絞めている手に違いなかった。
「そろそろ夜明けも近い。君らを仕留めて今日はもう眠ることにするよ」
「くっ」
レルとリズ――それぞれピンチの渦中に二人は、まったく同じ行動をとった。
破壊された玉座の方に目をやった。
ポポムを探して。
恐怖で固まっているか、二人の敗北に絶望しているか、だが――。
(あの男なら――なんとかレルを)
(ポポムさんなら――リズを)
はかない願いと共に二人が見たポポムの姿は――、
これ以上ないほどに情けなく這いつくばる男の後ろ姿だった。
「ポ、ポポムさん…?」
ポポムは二人のピンチに背を向け、四つん這いで逃げていた。
その上、逃げる先は玉座の後ろに垂らされた帷幕――ただの行き止まり。
「アホか、あいつ!」
「どうして…?」
レルもわからない。しかし、ポポムは恐怖に震えながら、必死にその行き止まりへと向かっていた。
「あやつ――まさか」
ぼそりと呟いたのは、ネクロヴァルドだった。
透明なジェルがレルの全身を包んだ。
リズの首の骨の手に力が入れられた。
ポポムは二人の悲痛な声を聞いたが、振り返りはしなかった。
もし違っていたら、すべてが終わりだとわかっていたから――。
納得がいかないのだ。
自分なら、どこに置く?
これぞ自分の魂――そう呼べるようなレル様グッズが手に入ったとしたら?
ましてやあいつは恐ろしい力を使う魔導士――誰よりも強い存在が、自分の唯一の弱点を他人任せにするだろうか?
ここは謁見の間。
(人は守りたいものを、必ず背にする)
玉座に座るネクロヴァルドが、常に背にしているのはこの――。
(この帷幕――!)
ポポムは、垂れさがる幕にようやく到着すると、その上等な布地を掴んで思い切り引っ張った。
切れなかった。
何度やっても、切れもしなければ、留め金が外れることもない。
ポポムは情けなさに涙を流し、唯一の取り柄を使うために精神を集中した。
(浮遊――)
彼の意思を受けた布地が、まるで質量を失ったかのようにフワリと浮き上がる。
手を放すと、帷幕は一気にめくれ上がった。
「……えっ?」
ポポムは目を見開いた。
そこにあったのは――




