本物の、火の魔法
蝙蝠は両手を床につき、ぐったりとしている。
屍王ネクロヴァルドが、祈るような静かな声をかけた。
「大丈夫かね、ヴァレンティン」
闖入してきたむくつけき巨体の男に、いきなり唇を奪われたのだ。
夜の支配種たるヴァンパイアとして、少なくないショックを受けているのは明白だった。
「はい…とんだ失態を…、お館様」
相棒のライカンスロープが、寄り添うように傍らにしゃがむ。
「…ありがとう、ルーファス。少し時間をくれないか…」
心優しき人狼は、ぐるると唸り、いたわるように前足を肩に置く。
屍王は、毅然とした態度で聖騎士に向きあった。
「…君らの関係者か! なんなんだね、その汗まみれのでかいのは!」
屍王は聖騎士の後ろにいるポポムを指さす。
「この方は戦闘員ではありません。すぐここから出てもらいますから、攻撃はしないと約束を」
「我が下僕が、たった今、その醜く太った男に辱めを受けたのだがね?」
おいおい、とエルフが口を挟む。
「そいつの魅了の能力が悪いんだろ。こいつだって、人間サイズの蝙蝠とキスしたかったわけじゃない」
「うぶっ」
ポポムとヴァレンティンが同時にえづいた。
「ほう? 被害者面かね? 醜き下等生物が?」
ヴァレンティンがルーファスに支えられ、弱々しく立ち上がった。
「お館様、忘れることにします。ですから…」
「ヴァレンティン、自分の下僕を目の前で辱められ、黙っている主がいると思うのか? あの男、生かして帰すわけにいかん」
「御心、胸に染み入ります…しかし…」
その時だった。
魂を抜かれた四十八名の騎士団本隊の中に、むくりと立ち上がる四つの影があった。
影は聖騎士レルを守るように、ネクロヴァルドの前に立ち塞がる。
「パラディン殿…! 助太刀致します!」
「あ、あなた方は…?」
四人の魔法使いだった。
「我ら騎士団づき筆頭魔導士四名、日頃より魔力を鍛えるため魂の修行を重ねておりました」
「魂を肉体に戻すのに、いささか時間がかかりましたがな…」
「魔導には、魔導。お役に立たせていただきますぞ!」
四人は、それぞれ得意の形で構える。
「なんだね、君らは」
屍王は、面倒そうにため息をつく。
「魔導の暗黒面に飲み込まれ、魔物に堕ちた哀れな術者よ。せめて同じ魔導を極めし我らの手で引導を渡してくれようぞ」
「やるぞ、皆」
「気をつけて下さい。三体とも、致命傷を与えても、すぐ蘇ってきます」
レルが四人の背に声をかける。
「ご心配なく、パラディン殿。骨も残らぬよう、消し炭にしてやりますので…」
「触媒を一気に使う!」
おう、と四人が声を合わせた。
「触媒…? ふむ、それはどういう…」
ネクロヴァルドの声に応えず、四人の合体詠唱が始まった。同時にそれぞれの手元でアイテムを反応させていく。
「我ら火魔法の四術士!」
「食らえ、化け物!」
轟、と風が吹いた。
ポポムが見た無数のスケルトンを飲み込んだ爆発――それが余興の花火に思えるすさまじい火炎が風に煽られ、帯となった。
たちまち炎と風の帯は、四つの頭を持つ蛇となり、とぐろを巻いてネクロヴァルドに襲いかかる。
(ボウォオオオオオオオオオオッ)
灼熱の炎の向こうは、もう見えはしない。
「やったか…?」
炎がおさまる。
そこに見えたのは、半分灰となった二匹の下僕――主を守ったのだろう。その二匹の間を割るように、深紅のローブをなびかせネクロヴァルドが進み出た。
「…これが、火の魔法だと…?」
白骨の右手を宙に泳がす。 まるで爆炎の残り香を弄ぶかのように。
「薬剤で炎を起こし、それを風魔法で煽り立て相手に浴びせる…これが、火の魔法だと…?」
闇の王は、泳がしていた右手を額に当て、狂ったように嗤いだした。
「いやいや、笑いごとじゃない。僕は一人の魔導士として哀しみさえ覚えているよ、ヴァレンティン、ルーファス」
見れば、灰になった肉体がすでに再生を始めている。
「今のこの国では、こんな基本の四大魔法すら忘れ去られているのか、とね」
「つ、次の魔法を…」
うろたえる術士たち。リーダー格の男が問うた。
「忘れているだと…? なんのことだ!」
「これだよ、ほら」
白骨の指先に、紫色の火が灯る。
ただの火ではない。
小さな、球体となった火――。
「あ、あれは…まさか…」
「馬鹿な…実在するわけが…」
「き、禁忌の炎…」
右手の指から左手の指に、火の球体が移動する。
「さきほど、火の術士と名乗っていたね? では、この世から消え去る前によーく見ておいてくれたまえ。これが本物の、四大魔法の一つ…六千年前の魔導士たちが到達した究極の術式」
移動させるたび、少しずつ大きくなる。
そして球の中に見える紫色の流体の動きが、激しくなっていく――。
「土は固体の制御を意味し、水は液体の操作を意味し、風は…君らもさわりくらいは使えているようだが当然、気体の操作を意味する。そして、火の魔法とはこの世の物質のもう一つの状態――“プラズマ”を意のままに操る法――」
リズが、叫ぶ。
「やばい、来るぞ!」
四人の術士たちは、時間が止まったように感じていた。
子供に手毬を放り投げるような動作で、ネクロヴァルドは恐るべき球体をそっと両手で送り出す。
音もなく、緩慢な動きで、それはゆっくりと飛んでくる。
「皆さん、下がって!」
レルが、術士たちを守ろうと前へ。
四人の術士は、魅入られたように球体を見つめているのみ。
果たして間に合うか――
「君らの、焚火を風で煽り立てるような子供だましとは…」
カキンと白骨の指が鳴らされる。
――限界だった。
「ヴァルカンティス! 絶対防御!」
聖盾が生き物のように変形し、面積を拡大する。その変形が終わらぬうちに、レルは石床に突き立てる。
「次元が違うのだよ」
球体の周囲の空間が大きくたわんだ。
古代魔法【|禁じられた爆炎】、発動。
カッ――
太陽が生まれた。
そう感じたのはポポムだけではなかったはずだ。
光、熱、すべてが圧倒的すぎた。
そのせいか一瞬、全ての音が消え去った――
そして、数拍後に聞こえて来たのは
(ギョギョギョギョ、ウロロロロロ、メシメシメシ、ジュンジュンジュンジュン)
あらゆる物質が溶け、蒸発する断末魔。
不思議なことに、盾の後ろは耐えられぬほどの高熱ではない。
しかし、このわずかな空間以外は、両脇も後ろも床石が溶け始めている。
「な、なんだこれ…」
ポポムは本能的にしゃがみこみ、盾の後ろに逃げ込んでいた。
激しい熱さを感じた足先を見れば、ポポムの靴が燃えていた。
「あ、熱ーっ!」
慌てて叩き、火を消す。
「ポポムさん、離れないで下さい!」
「は、はい!」
「…間に合わなかった…!」
「仕方ない、レル」
リズがレルの肩に手を置く。
「ちょろちょろ動くなよ、引っ越し屋。防御範囲から出れば、一瞬で燃えカスだ」
「ポポムさん、わたしの絶対防御は、前面160度にしか効力がありません。くれぐれも」
「は、はい」
ポポムは、巨体を出来る限り縮めた。
この灼熱地獄を作り出した張本人である不死の魔導士は、
「アーブラカダブーラ!」
両手を広げ妙な節回しでそう言うと、熟練の手品師のように恭しく頭を下げた。
「楽しんでいただけましたかな?」
熱烈な拍手を返すはずの四人の観客は、跡形もなく蒸発していた。
高らかな嗤い声が、火炎地獄に響き渡った。
リズはその声をかすかに聞きつつ、懐から薄くスライスされた干し肉を数枚取り出した。
「食うか?」
「え、はあ…」
こんな時にと思いながら、ポポムが受け取る。
見るとレルはとっくに受け取って、むしゃむしゃと食べている。
「長期戦になるな」
「覚悟はしてた。いっそ朝まで粘れば、日の光が使えるかもね」
「だな」
(この二人、タフすぎる…!)
ポポムは呆れつつも、恐怖が薄らぐのを感じていた。
あんな恐ろしい相手でも、この二人なら勝てるのかも知れない。
ポポムはくすりと笑い、干し肉を噛む――だが、歯の根が合わず、噛み切れなかった。




