Hold Me Tie , and Kiss Me
一般に――闇属性のモンスターは、負のオーラと呼ぶべき【常時結界】を有している。
さきほど熟練の騎士たちが、ネクロヴァルドに対し棒立ち同然になっていたのも、この結界の効果である。
リッチであるネクロヴァルドの結界は“恐慌”状態を誘発し、
狼男ルーファスのものは、身をすくませる“威圧”を、
そして、吸血鬼ヴァレンティンの結界は――、“魅了”状態を誘発する。
(まずいな…)
リズは、焦っていた。
戦闘が始まる前、レルが詠唱した“聖域”の呪文効果が薄れてきていた。
その証拠に――
「リズ! 集中して!」
「わかってる!」
リズの立っていた石床に、大穴があいていた。
なんとか躱した、巨大な蝙蝠に姿を変えた執事の一撃――。
リズには、その一撃を放った者が、まったく別のものに見えていた。
「おのれ、ちょこまかと!」
地獄から響くようなしゃがれ声――同時に、リズには幼い少女の声に聴こえている。
(もう! ちょこまかしないでよっ!)
上等の生地のケープ、フリルのついたスカート、白タイツ――その姿と声は、出会った日の、九歳のレルだった。
(くそ…!)
手持ちの最後の矢で狙う。
追撃してくる巨大な蝙蝠の眉間を――あどけない少女の眉間を――。
(絶対戻ってくるって言ったくせに)
レルとは少し違う顔、少し違う声――長い耳――誰だ、この子は。
一瞬の、躊躇だった。
獲物の状態を知ったヴァレンティンは蝙蝠から人間へと、目にも止まらぬ速度で形態変化した。
それは、ヴァンパイアとしての美学か――。虜になった獲物の首筋に、永遠の支配の印を――口づけをするために。
褐色のエルフの少女は、安堵のような、諦めのような表情を浮かべる。
闇の紳士は腕を背中にまわし、抱きすくめ、裂けるほど口を開け、
(クカカカカッ)
首筋に牙を突き立てる。
「リズ!」
リッチとライカンスロープを一手に引き受けていたレルの叫びが、謁見の間に響く。
真っ赤な血が、石造りの床を染める。
(な――!)
大量の血の次に床に落ちたのは、吸血鬼ヴァレンティンの両腕と首であった。
怒りで呼吸が荒くなったエルフの両手には、血の滴る二本のダガー。
「――くそっ」
すんでのところで返り討ちにしたとはいえ――、
その目からいつもの冷静さは消えていた。
こんなリズを、レルは見たことがなかった。
(危ない…!)
レルは、目の前の狼男ルーファスに渾身の一撃を叩き込んだ。そして、片膝をついたリズに駆け寄る。
「よせ、ダメージはない」
「でも」
「聖域の結界が切れかけてる」
レルは、はっとする。
「…ごめん、気づかなくて」
聖盾の、正のオーラともいうべき【常時結界】の効力――パラディンの能力と相まって、レルはほとんどの弱体効果を跳ね返す。
「もう一度、張り直させてはくれないだろうな」
その通りだった。
石床から無数の触手が生え、二人に向かって伸びた。ネクロヴァルドの指先が、二人の足元を指さしていた。
「なんとかやってみる!」
紙一重で、空中へと逃れながらレルが言う。
一方、リズは床に転がった吸血鬼の頭部を蹴り上げた。そして、それを追うように同じ方向へと跳躍する。
(恐怖や威圧なら戦闘モードの集中力で無効化できる。だが――、こいつのはヤバすぎる!)
その思考を読んだかのように、宙を舞うヴァレンティンの美しい生首がくるりとリズを向いた。
「――!」
「光栄でございます、お客様。このヴァレンティンの魅了――、気に召していただけたようですね」
「ああん…?」
「一般にわたくしどもヴァンパイアは――捕食者である自分を、唯一無二の絶対者だと錯覚させ、崇拝させ、隷属させるわけですが…」
しゃべる生首の額に、リズの投擲したダガーが突き刺さる。
(まずこいつを封じなきゃ、負ける――!)
くるくると回転する首が石壁にぶつかる。
すぐさま追いついたリズが、もう一本のダガーを側頭部に突き刺し、頭を壁に固定した。
そして、銀の矢で頭頂部を貫いた。
(ジュウウウウウ…!)
どうだ――?
「わたくしの場合…」
目玉がこちらを向く。何事もなかったかのように。
「な…」
「仕えるべきお館様がおりますゆえ、わたくしはわたくし自身を崇拝させることを選びません。その代わりこのヴァレンティンの魅了は…」
リズは壁を蹴って離れ、着地した。
「わたくしの姿が、被捕食者であるお客様の最も愛する者に見える、というもの」
言い終わったヴァレンティンの首が落ちていく。
その下に、つけたばかりの腕で首の落下を待ち構える体があった。
「ナイスキャッチ、です。我が胴体」
完全再生――何度目だろうか。
「くそ野郎が」
「こちらからは何に見えているかは分からないのでご安心ください。しかし、さきほどの表情から察するに、生き別れのご家族か、それとも、秘すべき恋のお相手…といったところでしょうか?」
リズの口元から、奥歯の摺り合う音が漏れる。
「失礼致しました。ですがわたくし、哀切という感情…大好物でして」
頭の芯が妙に冷たい。振り払うよう、声を出す。
「ここの城の奴は、みんなよくしゃべるな。あの犬っころもか?」
「彼は聞き上手ですね、どちらかと言えば」
(あの子は聞き上手よ、どっちかって言ったらね、うふふ)
「くそ!」
迷いを振り払うように、リズは猛攻を開始した。
九歳のレルを切り刻む――そんなことが、出来るだろうか。だが、やるしかない。
「チェックメイト、と言わせていただきましょう」
その声は、背後からだった。
目の前の幼いレルの姿はかき消えた。
首筋に息がかかる。
冷静さを失った、リズの負けだった。
ヴァンパイアの冷たい口づけが、リズの褐色の首に――
「ほ、ほんとにいいんですか、レルって呼びすてにして―――」
今まさに少女を凌辱せんとする吸血鬼に、後ろから抱き着いている何者かがいた。
座った目のその巨体は、ぶつぶつと何かを繰り返している。
「ひいいいいいい!」
吸血鬼が叫ぶ。
魅了をまともに食らったポポムは、ヴァンパイアに理想のレルを見出していた。
頭の中のレルとの交際は高速で進展しているようで、笑い、照れ、時には真剣な表情になり、と目まぐるしく変わっていく。
そして、ついに吸血鬼を自分の方に向かせ
「じゃあ、レルさんもぎゅってして下さい。 本当に、いいんですね? ――レル」
吸血鬼の腕を自らの腰に回させ、口をすぼめ、吸血鬼のくちびるに迫った。
その異様な光景を、レルとリズは呆然と見つめていた。
「ぎゃああー! ネクロヴァルド様―!」
レルとリズだけではなかった。
狼男も二千年を生きる闇の魔術師も、あまりの予想外の出来事に見守るしかない。
ゴッ――
ダガーの石突がポポムの脳天に炸裂した。
「痛っ」
「何やってる、豚男!」
ポポムの目の前に、褐色のエルフの顔があった。
「あっ、あれっ? どうも」
「そいつから離れろ! お前、死ぬ気か!」
「そいつというのは…?」
ポポムは、自分が何かを抱きしめていることに気がついた。
その何かも、自分の腰に手を回している。
つまり、自分は今、誰かと抱き合っている。
さきほどまで見ていた幸福な夢の続きなのだろうか、これは…?
「…レル…?」
ポポムは少し体を離し、相手の顔を見る。
巨大な蝙蝠の顔がそこにあった。
「はあああああー!?」
ポポムは叫んだ。
リズがダガーで、蝙蝠を切り刻む。ポポムを思い切り蹴って、引き離した。
「ポポムさん!」
「レ、レル。いや、レル様!」
「どうしてこんなところまで!?」
「す、すいません、なにかお役に立てないかと」
「お前に何が出来る、このイボ猪が。さっそく術にハマりやがって」
「それは…はい、すいません」
「けっ」
リズは吐き捨て、そのあと、ぼそりと呟いた。
「助かったよ、引っ越し屋」
「え?」
ポポムには聞こえなかったようだ。それでいい。
「…名を言ってなかったな。俺はリズ。俺とレルから離れるなよ」
「は、はい…!」
誰も気にしていなかったが、ようやく騎士レンジャー魔術士の三人一組が出来上がっていた。
戦力的にはほとんど何も変わっていない。
逆に足手まといが増えたとも思える。
なのに、レルとリズは不思議な心強さを感じていた。
まるで聖域の結界が復活したとでもいうように。
ただの引っ越し屋が、そこにいるだけなのに。




