第2話「黒猫の嫉妬」
――視点:リゼリア・ローゼンブルク
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ルカが館に来てからというもの、私の静寂はすっかり破壊された。
朝は甘えた声で起こされ、昼は勝手に紅茶を淹れて膝に乗ろうとし、夜には平然と部屋の中を裸足で歩き回る。まったく、どこまで不作法で、図々しくて、甘ったれた存在なのか。
……けれど、困ったことに。
その声に耳が慣れ、ぬるい仕草に心がほどけてしまうのだ。
だから、今日の出来事は、私にとって――少しだけ、腹立たしかった。
「おい、リゼリア。久しいな!」
館にふらりと現れたのは、古い知己、ジル=アルヴェイン。王都の魔法学会に名を連ねる魔導士で、かつては私と研究室を共にした男だ。
金の髪に碧眼。鍛えた体。女好きの節操のなさを除けば、まぁ、それなりに整っている。けれど私は、興味などとうに失っていた。
「どうしてあなたがここに?」
「お前の魔力の波動が変わったって報せを受けてな。心配になったんだ」
「……他人の魔力を監視してる暇があるなら、自分の仕事に戻りなさい」
「冷たいな、リゼリア。あの頃は、もう少し優しかっただろう?」
言葉とともに、私の手を取ろうとしたその時――。
「その手、汚れるよ」
背後から聞こえたのは、低く、甘く、それでいて明らかに怒気を含んだ声。
振り返れば、ルカがいた。いつのまに現れたのか、足音も気配もなかった。まるで本物の黒猫のように、静かに、しかし鋭く、私とジルを見据えていた。
「誰だ、お前は?」
ジルがそう問いかけるより早く、ルカは私の側へと近づく。そして、当たり前のように私の髪をすくい取り、その銀の房にくちづけを落とした。
「僕は、リゼリア様の飼い猫です」
……飼い猫?
なぜそこで、そんな言い方を……。
「いや、違うな。猫じゃない。僕はリゼリア様にだけ懐く獣。よその男が匂いをつけたら、咬みついてしまうかもしれません」
ルカの瞳が、ゆらりと金に輝いた。まるで、発情期の獣のように、嫉妬で理性を焼かれた目だった。
「ルカ、やめなさい」
「やめられないよ、リゼリア様。あなたの隣は、僕だけの場所なんだから」
その声は、甘くて、熱くて、どこか苦しげで。
……そうね、まるで嫉妬に焼かれる恋人のよう。
ジルが退散した後も、ルカは私の側を離れなかった。ソファに座った私の膝へ、すとんと頭を載せ、喉を鳴らすように息を吐いた。
「……あいつの顔を見た時、ちょっと心臓が痛くなった」
「……あなた、嫉妬してたの?」
「うん。すごく」
まるで、それが当然のように。
まるで、私が誰かに奪われるのが、許せなかったかのように。
「バカね」
そう呟いた私の指先は、無意識にルカの髪を撫でていた。心の奥が、妙に熱く、ざわめいていた。