番外編「従者が牙を剥く夜」
――視点:ルカ
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魔女の館に、雨の音が満ちていた。
夜の帳は重く、まるで世界ごとリゼリア様と僕だけを閉じ込めるような、静かで息苦しい沈黙を運んできた。
「……ルカ、またそんな目で見てるわ」
「……」
リゼリア様が振り返る。
薄いシルクのガウンに包まれたその肢体は、灯火の揺らぎに溶けそうなほど美しくて、でも僕はもう“主従の境界”ではごまかせない。
「リゼリア様。今夜は……僕を、試していませんか?」
その瞬間、彼女の眉が僅かに動いた。
僕は一歩、彼女へ近づいた。
そしてもう一歩。踏み込めば崩れてしまいそうな関係に、意図的に火をつけるように。
「もう……限界なんです」
今まで、従者であることに甘えていた。
主である彼女に魅かれながらも、決して越えてはならない線を守っていた。
けれど、それがどれほど臆病だったか……昨夜、僕は知ってしまった。
「リゼリア様、あなたが僕を抱いたあの夜から……もう、戻れないんです」
言葉が震える。
彼女の瞳が、揺れた。
その黒曜石のような目に、僕の姿が映る。
「あなたは魔女だ。僕は従者だ。けれど、そんな理屈で、もうあなたを遠ざけられない」
「ルカ……」
「触れたいんです。気が狂いそうなほど、あなたを、欲しいと――ずっと思ってた」
指先が、リゼリア様の頬にふれる。
それだけで、彼女の身体がぴくりと震えた。
いつもなら命令を待っていた僕が、今は主の許しではなく、**“彼女自身の心”**を求めていた。
「支配されるだけじゃ、もう足りない。僕は……あなたを、この腕の中に閉じ込めたいんです」
その瞬間、リゼリア様がわずかに身を傾け、僕の胸に額を預けた。
それは、魔女の“降伏”にも似ていて――けれど、どこか安堵のような、脆さのような……そんな、柔らかい夜の音がした。
僕はそっと彼女を抱き寄せる。
決して命令ではない。
“男”として、“彼女”を求める手だった。
「ルカ……あなた、変わったわね」
「……あなたが、変えてくれたんです。リゼリア様」
その夜、僕たちはただ触れ合うだけで、互いのすべてを確かめ合った。
それは欲望の夜でありながら、深く、静かで、愛のような祈りのような――そんな、終わりのない抱擁だった。




