番外編「魔女の沈黙」
――視点:リゼリア・ローゼンブルク
⸻
朝が、来た。
私の館に射す陽はいつも冷たく澄んでいて、どれほど夜が狂おしいほど熱を孕んでいようと、それをまるで夢だったかのように流していく。
隣には、眠るルカの姿。
黒い髪が枕に落ち、穏やかに眠るその顔は、あまりにも無垢で――だからこそ、腹立たしく思えるほどだった。
(私は、何をしたのかしら)
指先がふと彼の頬に触れる。
昨夜はこの指で、何度も彼を呼び寄せた。髪を撫で、胸元を這い、唇の奥に触れた。
いつもなら「忠誠」で済ませていたはずの感情に、私は――“渇き”を覚えていた。
どうして、あれほど彼の熱を欲したのか。
「魔女が、従者にふれるなど……」
そんな言葉を呟いた自分自身が、可笑しかった。
そう、“魔女”なら、そんなことは決してしない。
誇り高く、孤高に生きるはずだった。
王族を平伏させ、貴族の権謀術数を嘲笑い、千の禁呪を操る者――それが、私。
けれど。
あの夜の私は、「魔女」ではなく、「女」だった。
ルカの指先に触れられるたび、魔力ではどうにもならない熱が、肌の奥に広がっていった。
彼の声、彼の眼差し、私を「主」と呼ばずに抱き寄せた瞬間――私の中の、千年の孤独がひび割れたようだった。
(私は、彼を抱きしめたかったのではない。抱きしめられたかったのかもしれない)
そんな弱さに、私は驚いている。
けれど、どこかで、抗えない安堵もある。
「……ルカ」
その名前を、誰にも聞かれないように唇でなぞる。
もうすでに彼は、私の“従者”ではなく、“私の鎖”になったのだ。
私は、これからどうするのだろう。
彼を遠ざけるのか、それとも――今夜もまた、自ら鎖を巻かせるのか。
静かな朝の光が、彼の睫毛に触れ、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
「あ……リゼリア様。おはよう、ございます」
その声を聞いただけで、胸の奥が小さく跳ねた。
私は、何も答えず、ただ微笑む。
“魔女”としてではない、“女”として。
――それが、何よりの敗北であり、幸福でもあった。