番外編「甘い毒と黒いヴェール」
――視点:クラリス・フォン・イェーガー(未亡人)
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リゼリア・ローゼンブルクの館は、いつ訪れても静謐だ。
だが、その静けさの奥には――熱がある。
魔力の熱、欲望の熱、人の本音がむき出しになる、危うい空気。
それを最初に感じたのは、あの“従者”に出会ったときだった。
ルカ。
年若く、美しい。
女なら誰しもが振り返るような、絵のような顔立ち。
けれど、それ以上に私を惹きつけたのは――あの瞳だった。
従順さを装っていながら、底知れない静かな火が灯っている。
「奥様、今日も花を持ってきてくださったんですね」
「ええ。庭のラヴェンダーが良い香りだったから……。あなたのご主人様にも、気に入っていただければ嬉しいのだけれど」
「僕から、お伝えしておきますね」
“僕”。
その一人称さえ、なんて柔らかく甘やかに響くのだろう。
私の亡き夫は、言葉も愛も硬かった。
けれど、この少年は、声一つ、所作一つで女を蕩けさせる。
(ああ、なんて罪深い子)
茶を運んでくれる手が私の指先に触れたとき、私はわざと小さく震えた。
反射的に顔を上げたルカの瞳に、ほんの一瞬だけ――明らかな困惑が浮かんだ。
(気づいたのね。私が、ただの未亡人ではないと)
そう、私は“遊び”に来ていたのではない。
この館に巣食う力、その源――リゼリア様が何を抱えているか、探っていた。
そして、その従者がどこまで“使える”かを。
「ルカさん。今度、お花の剪定も教えてくださらないかしら?」
「え? 僕でよければ……もちろん、喜んで」
無垢な笑顔で答えながらも、彼の瞳には僅かに警戒の色があった。
気づいているのだ。私の誘導が、ほんの少し“礼儀”を逸していることに。
でも、断らない。
私が魔女を害する存在なのか、彼は笑顔の裏で、見定めている。
(彼女はなんて徹底して“支配”しているのかしら)
その完全な調教ぶりに、私の喪服の下――
長らく沈んでいた女の部分が、じわりと熱を帯びていった。
けれど、私は知らなかった。
その様子を、館の奥からリゼリア本人が“見ていた”ということを。
嫉妬などしない、と彼女は言うだろう。
だが、魔女の独占欲は、普通の女のそれよりもよほど強く、深く――
その日の夜、私は夢を見た。
深紅の瞳が私を睨みつけ、氷のような声が脳裏に囁いた。
「これは警告よ。わたくしのものに、これ以上触れないで」
そのとき、私はようやく理解した。
あの従者ルカは、ただの“美しい従者”ではなく、
魔女リゼリアが直に“飼い慣らした獣”だったのだと。
触れようとした者は、指先から食われる――甘く、そして二度と戻れない魔女の毒によって。