第七話「影を背負う瞳、緋人の過去」
学園祭が終わって数日後。
少しずつ日常に戻りつつあった結衣と緋人。
けれど、ある日を境に、緋人の様子が少しずつ変わっていった。
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「……緋人くん、最近、夜帰ってこない日が増えたね」
結衣は一人、食卓に並ぶ温かいスープを見つめていた。
彼女がアレルギーに配慮してつくった料理たちは、触れられぬまま冷めてゆく。
スケジュールを理由にした外泊。
LINEの既読はついているのに、返事が来ない日が二日続いた。
「もしかして……なにか、隠してる?」
結衣の胸の中に、冷たい不安が入り込む。
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そして迎えた週末。
マネージャーとの打ち合わせを終えた結衣が外に出ると、偶然、雑誌の看板が目に入った。
『あの天才子役、再始動か?緋人の過去と現在を独占取材!』
緋人の名前。そして、幼い頃の彼の写真が表紙にあった。
まだあどけない笑顔。だけど、その瞳は今の緋人とまるで同じ——
深い、誰にも見せない影を湛えていた。
結衣は雑誌を手に取り、その場でページをめくる。
「演技が仕事だった。家に帰っても、家族は“演技”を期待していた」
「辞めたかった。でも“普通の生き方”が、わからなかった」
心の奥がざわついた。
緋人が、決して自分には話さなかった過去。
彼の「沈黙」の理由。
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その夜、ようやく帰宅した緋人の顔はどこか疲れていた。
結衣はいつも通りに微笑んだが、その笑みは揺れていた。
「緋人くん、今日……雑誌、見たの」
緋人は一瞬、動きを止めた。
「……ああ、あれか。記者に勝手に嗅ぎつけられてさ。俺は何も言ってない」
「でも、書いてあった。“家族も、役割を期待していた”って……」
沈黙が落ちる。
ふたりの間に、見えない壁が立ち現れる。
「演じることが、生きることになってたんだな。だから俺、たぶん……ずっと“誰かの期待”で動いてた。自分の意思で生きるって、わからなかったんだ」
「今は?」
結衣の声は、まっすぐだった。
「今の緋人くんは、自分で選んでるの? 私と、こうして一緒にいることも」
緋人は少しだけ笑って、言った。
「初めて、自分で選んだ。結衣と出会ってからは、全部“自分の意思”だって言える。だから……怖いんだよ。失うのが」
結衣は、そっと彼の手を取った。
「怖くていい。私もそうだから。でも、手は放さないよ。だって、ちゃんと選んだから。緋人くんを」
その言葉に、緋人の瞳にほんのり光が差した。
過去は消せない。でも、未来は、二人で紡げる。
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その夜、二人は手をつないだまま、眠りについた。
重ねた指先には、未来への小さな希望が、確かに灯っていた。