第二話 冷徹女王はお礼を言いたい。
あの日の翌日。
いつも通り通学するため電車に乗っていた。
電車通学になって、もう一年と数ヶ月になる。
二年生になっても、窓から見える景色は大して変わらなかった。普段は小説を読んで暇を潰しているのだが、今日はあまりそういう気分ではなかった。
何故かと言えば、昨日のあの失敗を、さらに鮮明に思い出してしまいそうだからだ。
あれのせいでしばらくは、好きなラノベは読み返せないだろう。
電車が駅に止まる度に、同じ制服の学生達が電車に入ってくる。自分と同じで、電車で通学している人間が多いのだろう。普段は本を読んでいて気づかなかった。電車が繁華街の中心に近くなるにつれ、どんどん人が多くなる。先に席を取れていて良かったと心底思った。
「...ん?」
電車に乗り込んでくる人影の一人に見覚えがあった。同じ制服、それにあの髪...もしかして。
「え。」
「...あ。」
伏見さんだった。
僕は思わず、目を逸らし、即座に本を取り出し、読むフリをする。
やばい、気づいてたよな。いやまあ話しかけに来ないだろう。さすがに。
そうやって信じていた期待は見事に打ち砕かれた。
「ねぇ。」
伏見さんがそう声をかける。
もしかしたら違う人かもしれない。
そう期待を込めて反応しないでいると。
「ねぇ。堀田。」
やばい、これは言い逃れできないな。
いや、別人の振りをすればまだ。
そうやって思考を巡らしていると。
「ねぇってば。」
伏見さんが座っている前の手すりに掴まる。
思わず見上げてしまうと、こちらを見つめていた。
その瞳に吸い寄せられるように、
観念して口を開いた。
「あ、はい、えと...。なんでしょうか。」
「...いや、敬語いらないし。」
「え、あ、はい...あいや、うん。」
めちゃくちゃ吃りながらも、
何とか緊張を抑えて小声で言葉を綴る。
タメ口で話すタイプなのか。
「昨日、なんで走っていったの?」
「え、いやその...。」
助けようとしたけどむしろ恥をかいたので逃げ出しました。なんて死んでも言えなかった。
とりあえず、その場凌ぎの嘘をついた。
「えっと、担任が職員室に行っちゃいそうだったから、その...出さないと行けない課題を渡しとかないと思って...。」
「ふーん...。」
伏見さんが少し考え込む仕草を見せる。
ごまかせただろうか。よし、このままこっそりと別の車両に...。
「ねぇ。」
「あ、うん。」
「昨日はありがとう。助けてくれて。」
「え、あ、え。」
助けてくれて。もしかして伏見さんは、僕に気を使ってくれてるのかもしれない。
だって実際何も助けてはいない。助けたのは担任だ。キョドってしまったのを気遣ってくれているのだろうか。
「...大丈夫だよ。そもそも助けてないし。」
「なんで?あの男止めてくれたじゃん。ありがとうね。」
そう言い笑顔で微笑んでくる。
あまりの可愛さに、しばらく硬直していた。
「堀田って普段ずっと本読んでるし全然喋らないから、なんて言うか...暗いのかなと思ってたけど、かっこいい所あるんだね。」
その言葉に思わずドキッとしてしまう。期待してしまう。だが、
これは明らかにお世辞だ。そうに違いない。「一応助けようとはしてくれたし、キモかったけどお礼だけ言っとこ。隣だし。」みたいな思考なんだろう。
そうやって、自分の期待する心に言い訳をつけていた。
「あ、うん。...ありがとう。」
そう思いつつも、さらに脈拍が上がっていた。
とりあえずこの席を離れたい。恥ずかしすぎる。
そう思っていた時、電車が駅で止まり、
大勢の人が乗り込んできた。
これじゃ移動できないか。と半ば諦めていた時。
ちょうど席に困ってそうな60代ほどに見える老人が近くにいた。
そうか。席を譲って立ち去れば別におかしくは無いし、伏見さんにさらにキモがられることもない。
問題なくこの場を立ち去れる。教室まで行けば、
寝てるフリをすればさすがに声はかけないだろう。
我ながら天才だと思い、勇気をだして声をかけた。
「あ、あの。どうぞ座ってください。」
伏見さんが目線を離した隙に立ち、緊張しつつも声をかける。声をかける恥じらいは、昨日で少しだけ克服できていた。よし、これで完璧だ。そう思っていた矢先ーーー。
「はぁ?俺はまだそんな歳じゃないわ!バカにしてるのか、あんた!」
「は、え?」
「全く最近の若いのは、俺はまだピンピンだ!」
「え、あの、えっと...すいません。」
そう言いながらも、髪は白髪だし、明らかに肌も老化している。しかも杖まで使っているのだ。
明らかに説得力がない。
「別に俺は座らんでもいいわ!全く...。」
「あ、はい、ごめん、なさい。」
仕方ない。それならそれで座り直さず、別の車両に行けばいいか。そう思って歩き出そうとすると。
「あの、どう考えてもそれは酷くないですか。」
誰かが声をあげる。
後ろを振り向くと、伏見さんが老人の前まで歩き睨みつけていた。
「はぁ!?なんだと!?」
「だって第一、あなたが杖で歩いているから、彼が声をかけたんでしょ。あなたの年齢関係ないと思うんですけど。それに、善意から言っているのにそんな突き放し方。酷すぎるでしょ。」
「なんだと!!俺は最近のやつに礼儀っていうのをな!」
老人がそうやって、杖で地面を強く叩きながら怒鳴っていると、電車が次の駅へと停車し、駅員が走ってきていた。
「とりあえず落ち着いてください。」
そう言いながら、怒鳴る老人をどこかへ連れて行った。あっけらかんと立ち尽くしていると、伏見さんが歩いてくる。
「降りる駅ここでしょ?早く行こ。」
「え。」
そう言いながら僕の手を引き、ホームへと歩き出した。