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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛短編

婚約破棄された悪堕ち令嬢は魔王様に溺愛される

 長年、特別な剣の才も癒しの力も持たない非力な私にできることは何だろうと考え続け、国のために身を粉にしてきた。


 全ての始まりは、一目惚れ。

 キラキラと輝く王子様に恋をし、剣を振る姿に心をときめかせた。


 王子様は正義の味方。悪い魔物を倒し、いずれ復活する魔王から世界を救う英雄になるのだと聞かされ、強く憧れた日のことを昨日のように覚えている。


 芽吹いたばかりの恋心は日に日に大きくなった。けれどそれと同時に、婚約者である彼との将来を約束されているにもかかわらず、しっかりと見つめられることがない事実に胸を痛め始める。

 そんな娘を見てうまく利用できるのではと考えたに違いない。幼い私に父は言った。


『王太子殿下に相応しい女になるのだ。そうしたら王太子殿下とてお前を認めてくださるだろう』


 その言葉を信じて、できることは全て力の限りやってきた。


 助けを求める人々に手を差し伸べることは私には不可能だ。だから、少しでも苦しむ人々を減らせるよう、国内の資金の流れを調整し、貧民が暮らしやすくなるよう努めるなどした。

 それでも寄せられる不満は日に日に多くなっていって、それでも真摯に向き合うことを心がけ、貴族たちとの交渉を重ね、疲れて倒れそうになるのも我慢していた。


 きっとそうすればグローリィ殿下に振り向いてもらえると、その一心で。


 なのに頑張れば頑張るほどその努力が報わず、結果が遠くなっていくような気がした。それでもどうにか倒れそうになりなるのを堪えて自分を奮い立たせ、奔走していたけれど。


 ――結局全て、無駄だったのだ。




「マノン・シャネル公爵令嬢。お前は聖女セリーヌを執拗に虐げ続けていたそうだな!」


 それは、栄えあるクラルテ聖王国の建国百周年記念パーティーでのことだった。

 笑顔を張り付けながら貴族たちと言葉を交わし、他の令嬢たちにくすくす笑われているのをいつものように無視しながら忙しなく動き回っていた私は、こちらを名指しして糾弾する声にふと足を止めた。


 声がした方に目をやれば、そこには私の婚約者の姿がある。

 クラルテ聖王国の王太子、グローリィ殿下。燃え盛るような赤髪に真っ青な瞳の彼は、白髪の可愛らしい少女――聖女のセリーヌ嬢の小柄な体を抱き寄せていた。


「ごきげんよう、グローリィ殿下。お久しぶりでございます」


 ドレスの裾を摘み、笑顔を無理矢理に作って頭を下げた。静かな怒りに声が震えないように気をつけながら。


 グローリィ殿下が彼女に入れ込むようになってから、もう丸二年になる。


 パーティーでは常にセリーヌ嬢を伴い、それまではきっちりこなしてくださっていたエスコートをしてくださらない。月に一度の婚約者同士のお茶会も欠席が多くなっていた。

 そんな殿下が久々に言葉をかけてくださったと思ったのに、内容がこれだなんてと苦い顔をしてしまう。


 無力な私が聖女を傷つけるなんて、できっこない。それはきっと殿下もわかっていらっしゃるだろうに。


 グローリィ殿下は私が気に入らないのだ。

 背が高く凹凸が控えめな体も、邪悪なる闇を思わせる黒髪も黒瞳も全て。もちろん容姿だけではない。悪を倒したり人々に救いの手を差し伸べることができず、そのくせ頭でっかちで忙しなく動き回っていたことも殿下の気に触っていたのだろう。


 私はただ、グローリィ殿下のことが好きだっただけだというのに。


 殿下の隣に並び立ちたい。優しく触れてほしい。話しかけてほしい。

 願うばかりで手が届かず、いつも殿下を不快にさせてばかりな私が悪い。それはわかっていても、胸がジクジクと痛み、セリーヌ嬢へ妬みの気持ちを抱かずにはいられなかった。


 一体何が始まるのだろうかと周囲の視線が集まり始めている。

 このままではいけない。私が嘲笑われれば、グローリィ殿下の評価の低下に繋がってしまう。そう考えた私は別室での対話を提案しようとして、しかしその一瞬前に殿下が口を開き――そして、


「お前のような女は勇者たる僕の婚約者に相応しくない。よって、婚約は破棄とし、国外追放の刑に処す!」


 ――そんな、決定的な言葉を言い放たれた。


 その言葉の意味を呑み込むまでにどれくらい時間がかかったろうか。何分か、あるいはほんの一瞬だったかも知れない。


 理解したくなかった。けれどいつまでも理解を拒むことはできなくて、嫌でも事実を受け止めてしまう。

 婚約破棄、つまりどうしようもない別れを、告げられてしまったのだと。


 グローリィ殿下は勇者だ。

 クラルテ聖王国の王家には一代ごとに剣の才能に溢れる者が生まれ、それが勇者と呼ばれている。

 勇者は聖剣を振るい、悪を滅する存在であり我が国の希望。特に今代の勇者であるグローリィ殿下は力が特に強いので英雄視されている。


 そんな彼の言葉は絶対。しかも、彼の傍らには、悪しきものを浄化し人々を癒すという力を持つ聖女のセリーヌ嬢がついているのだから、私が何を言おうが聞き入れられるわけがなかった。


 きっと何かの間違いだ。言葉を尽くせばわかってもらえる――なんて、淡い期待を抱くことすらできない。


 グローリィ殿下とセリーヌ嬢は相思相愛。その上で私が邪魔になり、しかしこちらに非がない状態では見咎められるという理由で冤罪をでっち上げたのは容易に想像がついてしまったから。


 そこまで嫌われていたなんて。


 十歳の頃から婚約を結び、寝る間も惜しんで七年間も尽くしても、二年前に神託が降りて平民から聖女になっただけのセリーヌ嬢の方が殿下に大切にされる。

 なんて腹立たしいのだろう。なんて、理不尽なのだろう。


 わざわざこのようなことをしなくても、私を正妃とし、側妃としてセリーヌ嬢を傍に置いて愛でることもできたはず。

 それをしなかったということは――それほどまでに私は、彼らにとっていてもいなくてもいいような存在だったのだ。


 殿下の執務の大半を肩代わりし、剣の鍛錬に集中できるように計らっていたことも、国の情勢を整えていたのも、何も評価されていなかったどころか邪魔だと思われていたのかも知れない。


 そんな風に考え、膝から崩れ落ちそうになるほどの脱力感に苛まれながら、私はパーティーに共に参加している父親の方をチラリと見やった。

 私はもうここ五年ほど王宮で暮らしており、実家に帰っていない。けれども少しでも私を娘として見てくれていれば抗議してくれるはず。抗議せずとも信じてくれるはず。

 しかし――。


「マノンが聖女様を虐げたですと? グローリィ殿下、それは本当ですか」


「もちろんだ、シャネル公爵。セリーヌが温厚なのをいいことに、暴言や暴行、陰湿ないじめ行為など貴族令嬢にあるまじき行為を繰り返していた。証言もたくさん揃っている」


 証言が書き連ねられたのであろう紙束をグローリィ殿下が父へ投げつける。しばらくそれに目を通した父は私を屹と睨みつけた。


「なんと。おのれマノン、貴様は我が公爵家の恥晒しだ。お前とは親子の縁を切り、公爵家から勘当するからな!」


 父にとって私は政略の駒。使えなくなったら切り捨てられるのは別に不思議なことではない。

 それでもさすがに、ポッキリと心が折れた。折れてしまった。


「……そうですか」


 他に言葉が出てこなかった。


「さっさと連れて行け。二度と僕の前に姿を現すな」


 衛兵に命じ、鋭い眼差しで私を睨みつけるグローリィ殿下。そこに私への情は欠片も感じられなかった。


 私の生きる意味に等しかったグローリィ殿下に不要と言われ、父親にさえも突き放される。

 今までやってきたことの結果がこれなのかと、乾いた笑みを浮かべずにはいられない。


 何のために今までの人生はあったのか、もはやわからない。

 パーティー会場から引きずり出される私に、セリーヌ嬢がうっすらと勝ち誇った笑みを浮かべたのが見えた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ほら、着いたぞ」


 貴族が乗るものとはまるで違う簡素な荷馬車に乗せられ、ガタガタ道を十日ほど走り続けてようやく国境を超えた。

 何もない草原の中に突き落とされ、全身を強打する。道中の揺れのせいでろくに眠れなかった体はすでに悲鳴を上げ、やっとの思いで立ち上がる頃には馬車は走り去ってしまっていた。


 これからどうすればいいのだろう。


 こんなことなら、最初から私を婚約者になんて選ばなければ良かったのだ。私が忌まれがちな容姿であることを、国王陛下も父もわかっていたはずなのにと静かな怒りが湧いてくる。


 私が黒髪黒瞳なのは魔法属性のせいだ。

 火、水、風、土、光、闇。属性ごとに髪色が異なり、私は魔物が得意とするのと同じ闇属性を持って生まれた。


 けれど才能がないから魔法は使えないし、当然他の人間に害をなすこともない。しかし黒といえば魔族を連想させ、それ故に清廉潔白なグローリィ殿下にはいつまでも見初められなかった。


 ――清廉潔白、か。


 本当に彼らが清廉潔白なら、どうして私は今こんなところにいるのだろう。

 グローリィ殿下はキラキラと輝く完璧な王子様ではなかったのかも知れない。いいや、そんなことずっと前からわかっていたはずだ。ただ恋情でそれを誤魔化し、見ないようにしていただけで。


 剣の才に溢れる勇者とて人間。全て正しいわけではない。

 人々に癒しをもたらす聖女とて、王妃の座を手に入れるために無実の私を蹴落とさないわけではない。


 そんな者たちの踏み台になるために私は生きてきたのか。

 すぅっと胸が冷え切っていくのを感じる。過去の全てが色褪せ、音を立てて崩れ落ちていった。


 私にとって生きていく意味はもはや何一つとしてない。

 それなのにどうして立ち上がり、歩き出してしまうのだろう。わけもわからず溢れる涙で視界は潤み、ろくに前も見なかった。


 ドレスが破れたって構わない。足が草木で傷ついてもどうでもいい。前へ前へと、ひたすら足を進める。

 どれほどそんな時間が続いたか。気がつけば、見知らぬ荒野にいた。

 

 たくさん流し続けた涙さえすでに枯れてしまっている。こんな状態でどうして足が動かせるのかが不思議なくらいだ。

 恋情だったものはいつしか憎しみに変わり、胸の奥で叫び声を上げている。このままでは許せない、彼らに復讐してやりたいと。


 力が欲しい。力さえあれば何だってできる。けれど今もなお無力なままだった。


 どれほど忙しい中でも整えていた身だしなみはすっかりボロボロで、ほつれた長い黒髪が砂混じりの風に揺られる。

 今の私を見て、将来王太子妃になるはずだった公爵家の娘だったなんて誰一人として思わないだろう。もちろんこの場所に私の姿を見てくれるような誰かがいるわけがないけれど。


 脳裏に浮かぶのはグローリィ殿下の顔。

 今頃彼は何をしているだろう。セリーヌ嬢と二人、身を寄せ合う姿がありありと想像できた。


「……馬鹿みたい、です」


 何時間も飲まず食わずで掠れた声が出る。


 悔しくて、悲しくて、虚しくて。

 頬につぅぅ、と涙が流れた――その時だった。

 

「どうしたのだ、女子(おなご)がこのような辺鄙な場所で一人とはな」


「……っ」


 低く、痺れるような声。それにハッと顔を上げれば、目の前にスラリとした長身の青年が佇んでいた。

 一瞬グローリィ殿下かと思ったが、すぐに違うとわかる。妖しげな美貌のその男は艶やかな黒紫の髪に目が覚めるような銀色の目を光らせていたから。


「ふっ。驚いたか。ああ、そうであろうな。人の子は我らを忌み嫌う」


 ニヤリと笑った青年。彼は明らかに普通ではなかった。

 ゆったりとした漆黒のローブを纏った体の後ろ側から、二本の大きな黒翼が覗いている。口元にはずらりと鋭い牙が並び、頭頂部に二本の曲がりくねった極太の角が生えていた。


 実際目にしたことはない。けれど一目でそれとわかるほど、その青年の容姿は言い伝えられているものと合致する。

 魔族、それも魔力が強いほど角が逞しいと聞くので間違いなく強い個体だろう。


 百年以上に渡りクラルテ聖王国と敵対し、勇者と聖女に清められ数を減らされながらも細々と生き延びている悪しき種族が魔族と呼ばれている。

 彼らの好物は人肉。そして魔物を統べる魔王は、人の国を奪わんと目論んだ過去があるという。


 初代の国王であり勇者であった人物に封印されたものの、グローリィ殿下の代で魔王が復活するのは予見されており、そのために殿下は非常に剣の腕を鍛え上げていたのだった。


 魔族はさぞ恐ろしいのだろうと思っていたが、想像以上だ。肌を刺すようなおぞましい気配に全身が竦み上がりそうになった。


「あ、なたは」


「我はディラン。魔族の王だ。……女子こそ何をしにきた。まさか今代の勇者がそなたとは言うまいな?」


 人知れず蘇っていたらしい魔王にこんなところで出会うなんて。

 けれど彼の姿を見ればそれが嘘ではないだろうことは明白だった。彼が纏う気配は尋常ならざるものがある。


 さて、どうしたものかと私は考える。あまりにも絶望的過ぎていっそ冷静になれたおかげか動揺はしていなかった。


 踵を返し、全速力で走ったところで今のこの体では逃げ切れるはずもなく、このまま取って食われるに違いない。だが飢えて誰にも知られず苦しみながら野垂れ死ぬよりはその方がいいようにも思えた。


 せめて最期くらいはしゃんとしよう。

 背筋を正し、魔王と名乗る青年をまっすぐに見据える。そしてボロボロのドレスの裾を持ち上げ、名乗り上げた。


「私はクラルテ聖王国シャネル公爵家の娘――」


 いいえ。


「勇者に捨てられ寄る辺を失った哀れな女、名をマノンと申します。私を喰らうなら一思いにどうぞ」


 もう失うものは何もない。この無念を胸にこの世を去るしかないのだろう。

 そう覚悟を決めていたのに。


「ふ、肝の据わった女子だな。勇者に捨てられた、か。――面白い」


 魔王は私の腕を取った。


「ついてこい。決して悪いようにはしない」


 どういうことかと聞き返す暇もなかった。

 そのまま抱きしめられて、悲鳴を上げるまもなく体がふわりと浮遊して。


 次の瞬間、一面赤い壁が広がる見知らぬ場所に、私はいた。




 その場所が魔王城だと教えられたのは、着いてしばらくしてから。

 魔王城はあの荒地の中に特別な方法で巧みに隠され、魔族と勇者にしか辿り着けないようになっているのだとか。私は魔王のローブに包まれていたので特別に入れたという。


 飢えと渇きに苛まれていたのでとりあえずは食堂へ行き、そこで食事をとらせてもらい――これが意外に美味しくて夢中で食べてしまった――、落ち着いたところで私は改めて魔王と言葉を交わすことにした。


「一体、何のつもりですか」


 面白いと言われたことも、魔族とはいえ殿方に抱かれたことも、まるで納得できない。

 私を喰らうならあの場でガブリとやれば良かったのだ。それとも私の体が目的なのか。


 警戒して身を固くする私。一方で食堂のテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす魔王は、口元を楽しげに歪めながら言った。


「そなた、勇者に捨てられたと言っていただろう。そのことを詳しく話してはくれまいか」


「――――」


「そなたの胸の奥にある恨みを晴らす手伝いを、我ならしてやれるかも知れぬ。我はそなたの力になり、そなたが我の力になるのだ」


 そんなことを急に言われても、戸惑ってしまう。

 魔王とはつい先ほど出会ったばかり。喰われると思っていたのに協力してやるなんて突然言われたところで、どう反応していいのかわからなくて当然だと思う。


 でも、魔王の言葉を突っぱねる気にもなれなかった。

 だって、その誘いは悪いもののようには聞こえなかったから。


 私は確かにグローリィ殿下へ――いいや、この世の全てに絶望した。元々グローリィ殿下への恋情一つでさまざまなことをやってきたのだ、それが失われた今となってはもう、残っているのは行き場のない怒りだけだ。


 恨みを晴らしたい気持ちはある。ただ、相手は魔王。信用に値するわけがない。騙されるくらいなら殺された方がマシだとも思うのだ。


「躊躇っているようだな。別に恐れることはない……などと言っても人間には通じぬだろうが」


「どうしてあなたは私を殺さないのですか。魔族、それも魔王となれば私ごとき一捻りでしょうに。それほどまでに私に何らかの利用価値があると?」


「我は不当な殺しは好まぬ。そして我が城の前で死体を晒されては都合が悪い上、そなたには強い闇の力を感じたのでな」


 闇の力。それを指摘され、しかし私は首を傾げるしかない。

 私の闇属性の魔法は本当に弱いもので、闇属性魔法において一番簡単なものさえ使えないほどだというのに。


「わかっておらぬのか。まあいい。強制的に覚醒させればいいだけのことだ。ほれそなた、我と口付けよ」


「……………………は?」


「口付けよと、そう言った」


 言うが早いか、魔王は一瞬で私のすぐ隣に現れ、椅子に座っていたそのままの姿勢で抱き上げた。

 いわゆる横抱きというそれは、本当に親しい男女のみするもの。慌てて抗議しようとして、下から魔王の顔を覗き見て――息が止まりそうになった。


 美しい。あまりにも、美し過ぎたのだ。

 グローリィ殿下もそれはそれは麗しい方だった。しかしこの魔王は何もかもが無駄なく整っており、この世のものとは思えないほど。それを間近で見て平静でいられなくなったのだった。


 見惚れたのはほんの一瞬。しかしその隙に彼の顔面が私へと迫り――、


「……っ!?」


 ぷるんとした柔らかな感触と共に唇を押し当てられた。


 自分がされたことを理解した瞬間、かぁぁと頬が高揚する。

 今、私は初めて、殿方に唇を――。


「口付けしただけだというのに、なんとも可愛らしい反応をしてくれるものだな」


「く、口付けしただけですって!? あなた、ご自分がどれだけ非常識なことを言っているのかわかっているのですか!」


「眠っていた力を目覚めさせただけのこと。勇者や聖女などと共にいては、力が抑えられるのも当然だろう」


「えっ?」


「それ以上妙なことはしていないから安心しろ」


 出会ったばかりの、惚れてもいない相手に乙女の唇を奪われたというのに、どうして安心しろなどと言えるのだろう。

 それに何かとんでもないことを言われた気がする。眠っていた力を目覚めさせたのだとか、なんとか。


 そんな風に思考を巡らせていた瞬間だった。胸が高鳴り、全身が猛烈に熱を帯び始めたのは。


 ――ドクン。


 はじめは一体何が起こったのかわからなかった。

 今はただ横抱きにされているだけで、これほどまでに熱くなる理由が見当たらない。それなのにどんどん体温は上昇しやがて、手から口から鼻から耳から、黒い何かが勢いよく噴出する。


「人の子にも稀に、魔族並みに強い闇の力を持って生まれる者がある。そなたはどうやらそれのようだな。落ち着けば馴染む」


 魔王に頭を撫でられているような感触があるのはおそらく気のせいではないだろう。

 しかし視界がチカチカしてろくに何も考えられず、声を上げることもできない。ただ必死に魔王の掌の温もりに縋りつくだけだった。


 最初は吐き気を催すほどに気分が悪かったのが収まり、心地良くなったのは一体どれくらい経った頃だったか。

 体がだるく、瞼が重い。もう眠ってしまおうと思った。


「安らかに眠るがいい」


 意識が途切れる寸前、そんな声を聞いたのをうっすらと覚えている。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 次に目を覚ました時、私はあのボロのドレスではなく、艶かしい黒のドレスを着せられていた。

 本来魔族の女性が纏うもので、魔王ディランが言うには先代魔王の妃が袖を通したものだそうだ。


「先代は百五十年ほど前に没しているから、ずいぶん古いものだがな。気に入ってくれるといいが」


「あ、ありがとうございます……。ではなくて、ちょっと離れてください」


 魔王は私が横たえられているベッドの端に座り、じっと私を眺めていた。

 おそらく眠っている間中ずっとそうしていたのではなかろうか。乙女の寝顔を勝手に見られたことは不満に思わないではないが、クラルテ聖王国では人を取って食うと聞かされていた魔族と同室にいながらこうして目覚められたというだけでも幸運なのかも知れない。


 それとも、本当は魔族はそれほど恐ろしい存在ではないのか。


「そなたをこの城で匿っているのは我だ。我の自由にさせてもらう。


 ……やはりそんなこともなさそうだ。すぐに考えを訂正した。そもそもここに連れて来られたのも強引だったわけだし。


「体の具合はどうだ?」


「体調はもう悪くありません。熱っぽいのもなくなりました」


 代わりにあるのは、謎の万能感。

 今なら何でもできるという自信がある。試しに掌を前に出し、念じると、漆黒の球体がポンと飛び出てその場で爆ぜた。


 ――そんな気はしていた。しかし実際やってみると、なんとも言えない驚きがある。

 魔法を使った。本当に使えるようになった。幼少期、陰ながら努力しても一度も発動することができなかった魔法を、易々と。


 ずっと欲していた力を手に入れたのだ、私は。

 この力さえあれば、何だってできる。グローリィ殿下を見返すことだって、あの聖女に思い知らせることだって。


「復調したようで何より。ではそなた――確かマノンといったか。マノン、話の続きをするとしよう」


「話の続き?」


「そうだ。そなたがそれほどの黒い感情を持て余し、この地に足を踏み入れた理由をまだ我は聞いておらぬ」


 言われて、ああそうだったと思い出す。

 あまりにも色々なことがあり過ぎて私も聞きたいことが山積みだ。もう国の政務に関わっている身でもないのだから、時間はいくらでもある。ゆっくり話し合う必要があるだろう。


 私はベッドから静かに身を起こし、魔王の隣に腰掛ける。

 それからゆっくりと今までのことを語り始めた――。




 私が一通り話すと、魔王が銀色の瞳を煌めかせた。

 まるでずっと探していた同志を見つけたかのように。


「そうか。やはり今代の勇者もそのような人間なのだな。……醜悪な輩めが」


「今代の勇者も、というと?」


「我を封印したあの勇者も、そしてそれ以降の勇者や聖女たちも皆、己のことしか考えぬ愚かな連中だということだ。その当時我らは人間と不可侵条約を結んでいた。しかしそれを破り、先に魔族領へ侵入し、勝手な言いがかりをつけて戦を始めたのは人間どもだった。――己の、名声のためにな」


 正しい物事というのは、両者側の意見を聞いて総合しないとわからないということは、もちろん知っている。

 それでも魔王の話は私には嘘と思えなかった。だって事実私はこうして生き、魔王城で高待遇を受けているのだし、勇者であるグローリィ殿下の所業を思えば何も不思議ではない。


 勇者なんてやはり、清廉潔白とは程遠い存在だったのだ。


「マノンよ。そなた、我に手を貸せ。我は少し前に封印から目覚めたばかりでまだ力が弱い。勇者の侵攻に耐え切れぬかわからぬのだ。しかしそなたがいれば心強い。共に、復讐をしないか?」


 復讐。つまりそれは、人間たちを――恋し続けたグローリィ殿下を裏切るということ。

 しかし心が揺らいだのはほんの少しだけで、すぐに決意を固めることができた。先に裏切ったのは向こうだ。どうして私が躊躇う理由がある。

 どうせ捨てるはずだった命を救ってもらったようなものだ。魔王に肩入れし、クラルテ聖王国にとって悪と呼ばれていた側に堕ちるのも悪くない。


「魔王様。このマノン、ご協力させていただきます」


 ふふ、と微笑みながら言えば、魔王も満足げに口角を吊り上げる。

 そして私の右手を取り、その甲に唇を寄せた。そして魔王が顔を上げた時、私の手の甲には黒い紋様が浮き上がっていた。


「これが契約の証だ。我はそなたと契約を結んだ。これはたとえ死しても切れぬ」


 ドクン、とまた体が猛烈に熱くなり、力が湧いてくる。闇属性の魔力を流し込まれたのだとすぐにわかった。


「これから我が闇の力の扱い方を教えてやろう。そなたの膨大な力を考えるに、使いこなせるようになれば勇者など捻り潰せるだろうからな」


「ありがとうございます、魔王様」


「ああそうだ。我と契約を結んだ以上、我のことは名で呼ぶように。わかったな?」


「……承知しました」


 クラルテ王国では名を呼び合うのは親しい男女間でのみ許されるものなのだが、ここでは違うのだろうか。

 試しに「ディラン様」と呼んでみると彼は大変気を良くしたらしく、私の軽々と持ち上げて膝の上に乗せてしまった。


「きゃっ。ディラン様、何をなさるのですか……!」


「そなたはどの表情もとても美しく可愛らしいので愛でたくなったのだ。そなたを捨てた勇者の気が知れぬ。これほど良い女子は他におらぬだろうに」


 私の髪の上に顎を乗せ、こちらを覗き込んでくる魔王――ディラン様。

 彼と目が合った私はディラン様が本気であると察し、たじろいだ。


 そして案の定というかなんというか、その日から蕩けるような溺愛が始まってしまったのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「魔力を指から放出するにはだな……」

「なかなか呑み込みが早い。さすが、我が見込んだ女子だけあるな、マノンは」

「疲れたろう。我がそなたに食べさせてやる。ほら、口を開けよ」


 魔法の使い方を伝授してもらうのはいい。しかしここまで甘やかされると困ってしまう。

 膝に乗せるのは当たり前、耳が痺れるような低く美しい声で名前を呼ばれて頭を撫でられたり、髪に顔を埋められて嗅がれたりもする。


 本来使用人がするべき身の回りの世話の大半を、ディラン様にされていた。

 さすがに着替えは魔族の女性使用人担当なのでそこは安心だが、少しどころではなく過保護だ。


 グローリィ殿下がこのように甘やかしてくれれば良かったのに、なんて馬鹿なことを思わないわけではないけれど。

 ディラン様の優しさに日に日に絆されていく自分がいるのを私は感じていた。


 だってそうだろう。これほど甘やかされ、心地良い声を聞かされて、惚れ込んでしまわない方がおかしい。


 ディラン様に触れられる度に胸の鼓動が早まるのを感じた。闇属性の魔法を使った時とはまた違う熱に襲われ、どうしようもなく頬を赤く染めてしまう。


 わかっている。この反応がディラン様の思う壺なのだと。

 魔王といえど王であるからしえ、妃が必要だ。私を妃にするのが彼の計画だということくらい、何年も腹黒い貴族たちとやり合ってきた私には簡単に見抜けた。

 それでもされるがままになっているのは利用されてもいいと思えているから。こんなに優しくされたのは生まれて初めてで、とても嬉しかったのだ。


 婚約破棄されることなく、クラルテ聖王国でグローリィ殿下と結ばれていたらここまで満たされることはなかっただろうと断言できるくらいの幸せな日々。ディラン様の手を取って良かったと心から思う。


 ――もちろん、今は幸せだからと言ってグローリィ殿下を許すつもりはないけれど。


「また勇者らのことを思い出していたのか、マノン。そう怖い顔をするな。そなたは笑顔の方がよく似合う」


「しかしもうじき、殿下……勇者たちがやって来るのでしょう」


「ああ。勇者と聖女の気配が迫っているのは確かだ。しかし案ずることはない。鍛え上げたそなたの闇の力があるのだからな。もちろん我も参戦し、勇者の首を討ち取ってくれる」


「ふふ、それはどうでしょう。私が全力を尽くすので、ディラン様の出番はないかも知れませんよ」


「それならそれで構わぬ。我は強い乙女の方が好ましいからな」


 私の髪を両手で結い上げつつ、私の耳元で優しく囁くディラン様。

 復讐の時は刻々と迫っていた。




「来たようだな」


 ディラン様が勇者たちの来訪を告げたのは、それから三日後のことだった。

 魔族、それも力の強い魔王である彼には魔力を感知する力があり、それで勇者たちの気配を察知しているから間違いない。


 グローリィ殿下に再会するかと思うと、胸の奥がギュッとなる。

 怒りと悲しみと歓喜。そんな感情がないまぜになったそれを飲み干して、黒い笑みを浮かべる。それがきっと悪堕ちした私には相応しい表情だから。


「参りましょうか」


 ディラン様と腕を組んで部屋を出る。

 向かうのは魔王城の入り口にあるエントランスホール。そこで弱小魔物たちと戦っている二人の姿が見えた。


 白銀の鎧を纏い、赤い髪を魔物の血で染めている勇者グローリィ殿下。

 そして彼に庇われるような形で癒しの力を行使している白髪の聖女セリーヌ嬢だ。


 他に仲間は見当たらない。本来は護衛として複数人の兵士が付き添っているはずだが、途中で倒れてしまったらしい。それでも戦力を補充に進めるほどの力を持つのだから、殿下たちは相当強いのだろう。

 でも私は怯んだりなどはしてやらなかった。


「ごきげんよう。たった二人で魔王城に臨むとは勇気がおありですね」


 私の声がホールに響き、それまでこちらの存在に気づいていなかったらしい聖女がハッと顔を上げた。

 グローリィ殿下はというと聖剣で魔物を薙ぎ倒しながらチラリとこちらに視線を向け――そして一瞬、動きを止める。


「――まさか、お前は!」


「グローリィ殿下、お久しぶりでございます。そしてセリーヌ嬢も。お元気そうで何よりです」


 国外追放し、どこかでのたれ死んでいるに違いないと思っていた女がこうして生きていることに二人とも驚きを隠せないらしい。

 そのおかげで彼らには隙がありまくりだ。ディラン様が指示すると、それまで劣勢だった魔物たちが活発になりグローリィ殿形をぐるりと取り囲んだ。


「勇者、そして聖女よ。我こそが魔王ディランだ。初代勇者が不当に魔国を侵し我を封印した挙句、我ら魔族の殺戮を続けていたこと、決して許しはせぬ。覚悟しろ」


「ま、魔王……! でもちょっと待ってくださいっ、マノン様、どうして!」


 顔をこわばらせ、あわあわとしながら聖女が問いかけてくる。

 その目は恐怖に見開かれているのを見るに、私の魔力が高まっているのを感じたのだろう。ぶるぶると震える様はか弱き乙女そのものだった。

 これでグローリィ殿下の心を掴んだのかと思うと無性に腹が立った。


「クラルテ聖王国を追放され着の身着のまま彷徨い歩いていたところをディラン様に拾っていただき、協力関係になっただけのこと。――私はクラルテ聖王国のことを憎んでいるのですよ。そして何より、あなたがた二人を」


 喋りながら私は両方の掌に魔力を集め、直後、黒い稲妻がエントランスホールの空間を切り裂いた。

 天井、壁、床。あらゆるところに散っていく中、グローリィ殿下たちの頭上からも降り注ぐ。


 聖剣で受け止めようとする殿下だがその行動はほんの少し遅く、彼の背後、セリーヌ嬢の白髪を黒い炎で焼き焦がす結果となった。


「ひぃぃぃ! なになになに!?」


 甲高い悲鳴が上がり、セリーヌ嬢が転げ回る。

 普通は火が徐々に全身を蝕んで死に至る恐ろしいものだが、癒しの力の使い手であるおかげでこの程度で済んでいるのだろう。悶えている彼女を眺めるのは少々愉快だった。


 ギョッとなるグローリィ殿下は迂闊に彼女へ手を差し伸べられないのか、私を屹と睨んで叫んだ。


「なんなんだ今のは!? よくもセリーヌを傷つけてくれたな。魔王の手下になっただと。ふざけるな! そのような穢らわしい格好をして恥ずかしくないのか!」


「ふざけてなどおりませんし、恥ずかしくもありません。私は殿下たちへの復讐を果たすためにここに立っているのですから」


 闇魔法には色々な使い方がある。

 球体として空中へ投じたり、稲妻のように周囲に闇の電撃を飛ばせる他にも、深い闇で辺りを包んで視界や音を遮断させることや対象物を弱体させるということもできる優れものなど。


 聖女が得意とする光魔法はその唯一の対抗策であり、闇属性魔法にとって最大の天敵。どうやら短期集中的に魔法の腕を上げた私に比べるとセリーヌ嬢の力は劣っているようだが、それでも結界を張られたり癒しの力を使われると厄介だ。

 聖女を先に潰しておいた方がいい。……当然、私怨も大きいし。


「ディラン様、一瞬で構いませんので勇者の気を引いてくださいませんか。私はその間に聖女の方を殺らせていただきます」


「ああ。任された」


 私へそっと囁くと、ディラン様がローブの中から何かを取り出す。

 それはいかにも禍々しい雰囲気が溢れ出す一本の剣。元はただの剣だったらしいがそこに闇の力を注いで一撃で相当な負傷を与える代物になっているという。


「勇者よ、これで我と相手をしろ」


「邪魔だ魔王! 僕は今そこのシャネル元公爵令嬢と――」


 魔王に言い返しながら聖剣を振り上げ、ディラン様へ斬りかかるグローリィ殿下。

 その動きに無駄がないところはさすが剣の才に恵まれているといったところか。しかし案の定、セリーヌ嬢の方が疎かになっている。


 私は黒いドレスを翻し、闇魔法で球体を発現させそれを足がかりに宙を跳んでセリーヌ嬢の前に降り立つ。

 その瞬間、ペリドット色の瞳で私を見上げたセリーヌ嬢と視線が交わった。彼女は私から逃れようと癒しの力を放つも、むしろこちらの体調が良くなるだけだ。


 グローリィ殿下が振り返り「セリーヌ!」と彼女の名を呼ぶが、ディラン様が上手く足止めをしているようでこちらにはやって来ない。おかげで邪魔されずにセリーヌ嬢と向かい合うことができた。


「そんなに怯えてどうなさったのです、セリーヌ嬢。癒しと浄化の聖女なのに悪の一つも滅せないのですか?」


「こ、来ないでくださいっ! 化け物! 魔物じゃないのに魔族に加担するなんて、化け物です!」


「……人の婚約者を奪っておきながら被害者ぶり、醜く微笑んでいたあなたがそれを言いますか。私にはあなたの方がよほど化け物じみて見えますよ」


 民には慕われていたのかも知れない。グローリィ殿下には愛されていたのかも知れない。けれどその精神性はどこまでも醜く、吐き気がしそうなほどだ。


 殿下の心を掴めなかった私が悪い。そう自分に言い聞かせて耐えてきたけれど、今はもう我慢する必要なんて何もない。

 思う存分、彼女へ恨み言を吐ける。


「きっとあなたにはわからないのでしょうね。私がグローリィ殿下のことをどれだけ想い、支えてきたかということを。――せめて側妃の地位に収まっておけば良かったのです」


 次々に貼られていく結界を丁寧に丁寧に引き剥がしながら、容赦なく魔球をぶつけていく。

 その度にセリーヌ嬢の怯えの色が濃くなり、やがて魔力が尽きたのか、光属性の魔法の力が薄まってきた。


「最悪! なんで! なんでこんなっ……! なんでここで出てくるんですか! 魔王を倒して勇者様と結婚するはずだったのに全部台無し! わたしは勇者と結婚して幸せなって当然。聖女だからそれぐらい認められるべきでしょうが! だからしっかり地の果てに葬ってやったはずなのにどうして……!?」


 半狂乱で叫ぶセリーヌ嬢。顔つきはひどいし言葉の内容は醜いしで、もはや聖女と呼ぶのも烏滸がましいほどだった。

 もう少し話すつもりだったが、あまり長く時間をかけるとディラン様の負担になるし、何より話しても大して意味がなさそうだ。


 そう判断した私は再び黒い稲妻を発生させると、結界を貫通させて彼女の顔面へそれを叩きつける。残りの魔力がほとんどない彼女の顔に命中すればどうなるか――そんなのは言うまでもないだろう。


「せいぜいグローリィ殿下を私から奪ったことをあの世で後悔してください」


「――――ぎぃやぁあああああああああ!!!!!」


 この世のものとは思えない絶叫を上げながら生きながらに焼かれたセリーヌ嬢が灰になって燃え尽きるのに、そう時間はかからなかった。


 ……ふぅ。


 息を吐き、乱れたドレスを整える。

 まさか聖女をここまで呆気なく倒せてしまうとは驚きだ。


 だがまだ終わったわけではない。気を抜かないようにしなければと唇を引き締めた。


 残るはグローリィ殿下ただ一人。

 ディラン様と剣を交える姿はまさに勇者だ。私がもし善良なクラルテ聖王国の民であったなら熱い応援を送っていただろうが――。


「生憎と、私はもうクラルテ聖王国の人間ではありませんので」


 勇者とディラン様の闘いの真っ只中に割り入り、殿下の纏う鎧の横っ腹へと魔法を打ち込んだ。

 普通なら避けられること間違いなしだが不意の一撃では話が違う。それまで拮抗していた戦況が一瞬にして大きく傾き、グローリィ殿下が吹き飛ばされていった。


「お待たせいたしました、ディラン様。聖女はしっかり仕留めてきましたよ」


「そうか。そなたは我の想像以上に有能だったようだな」


 私からもたらされた吉報を聞いてニヤリと笑うディラン様。

 しかしその反対に、壁に叩きつけられ、エントランスホールの壁にもたれかかるグローリィ殿下にとっては聞き捨てられない言葉だったはずだ。


「お前、セリーヌを殺したのか……?」


「その通りです。悔しいですかグローリィ殿下? 力を有していながら愛しの君を守れず、不要だと追い出した元婚約者に殺されるのは」


 そう言いながら一歩、また一歩とグローリィ殿下に詰め寄る。

 ああ、初恋の人を今から手にかけようとしているのだ。私はほんの少し興奮してしまっていた。


 キラキラと輝き、理想の英雄然としていたグローリィ殿下。その面影はどこにもなく、今は聖女を殺されたことへの怒りに震えているようだった。体にうっすらと火魔法――彼の属性魔法で、威力は弱いので恐れる必要はない――を揺らめかせている。

 そして、震える手に握られた聖剣を突きつけられた。


「お前は悪女だ。黒い髪に黒い瞳、やはり魔族の血が流れているのだろう! この剣でお前を斬り、そこの魔王も僕の手で殺してセリーヌの仇を取ってやる!」


「どうぞ、かかってきてくださいませ。私は魔族ではありませんけれども」


 無手でグローリィ殿下の斬撃を受け止める……普通に考えれば無謀だ。

 けれど私には勝算があった。まず闇属性魔法を放って聖剣自体を弱体化させる。そして掌を前方に突き出し、切れ味が鈍くなった聖剣に斬られ。


 ――それと同時に強引に剣先を掴んで、殿下の手の中から引き抜いた。


「……!?」


「油断しましたね、殿下。私はもう以前までのように無力ではないのです」


 自分の手を血まみれにしてしまうかなり乱暴なやり方だが、聖剣を奪えればあとはこちらのもの。

 掌から流れ出す血の痛みに耐えつつ、聖剣を両手で握る。弱体化させたそれは軽く、簡単に二つ折りにできた。


 私は闇の力を有しているが種族は人間。魔族には効き目が大きい聖剣であっても通用しないのだ。

 この手でへし折った聖剣が、パラパラと音を立てて地面に落ちていく。


 グローリィ殿下はその様を絶望的な目で見つめていた。


「聖女は倒れ、聖剣は失われた。さて殿下、これであなたはどうやって私たち(魔王側)に勝つというのでしょうね?」


「くっ……! お前はどうしてこのようなことをする! 僕が聖女を贔屓にしたことを許せなかったとしても、それに、お前は僕のことを」


 必死の形相の彼に私は小さく頷く。


「好きでしたよ。初めて出会った時から一目惚れで、ずっとあなたに憧れ恋していました。本当に、好きだったんです」


「――っ、な、なら!」


 青い瞳をまっすぐに私へ向ける殿下。

 その目を向けられることを、私はずっと望んでいた。見つめてもらうためなら何だってできた。けれど――。


「ですが今はもう、好きの気持ちは全て怒りと恨みに変わってしまいました。あなたが私を少しでも優しくしてくださっていたら、その思い出に縋りついていたかも知れませんけれどね。

 それにあなたなどよりずっと私に優しく、大切にしてくださる方がいるのです。ですからグローリィ殿下、ここであなたとはお別れですよ」


 もう何もかもが遅い。

 私はまっすぐグローリィ殿下の額へ指を向け、その指先から魔力を噴出させた。


 迸るは最大級の闇魔法。ディラン様に膨大と称された私の魔力量でも、足りるかどうか。いざという時の最終手段だと言われていたが、せっかくなのだしここで使ってしまおう。

 復讐するなら力の限りやろうと思った。


「やめ――」


 やめろ、と言い切ることもさせない。


 闇属性の魔力を全身に浴びた彼は、たちまち闇に包まれてしまう。

 しばらくもがいていたようだがやがてピクリとも動かなくなった。


 この魔法は、視覚も聴覚も体の感覚も全て奪われ声も上げられないままで弱体化して死していくという恐ろしいもの。一度当たったら最後、癒しの魔法がない限り二度と目覚めることはない。

 そして聖女はもう灰と化しているのだから、勝敗はすでに決していた。


 復讐を終えられたことへの達成感で胸が満ち溢れ、笑みがこぼれる。後悔など微塵もなかった。


「首を刎ねられますか、それとも八つ裂きになさいますか、ディラン様?」


 いつの間にか私のすぐ隣へやって来ていたディラン様に問いかける。

 彼はしばし考えるような素振りを見せてから、ゆるゆると首を振った。


「……いや、いい。もはや我が手を下すまでもなかろう。派手にやったな」


「ディラン様のおかげで、きちんと復讐を果たせました。ありがとうございます」


「礼を言われることではない。我一人では楽勝とはいかなかっただろうからな」


 愛おしむように私の肩を抱くディラン様。そうされるとそれまで昂っていた気持ちが途端に安らいで、思わず身を預けてしまう。

 魔力を使い過ぎたのだろう。眠りたくなるような脱力感に襲われながら微笑んだ。


「ディラン様が私の力を引き出してくださったからですよ。本当に、感謝いたします。……好きです」


 なんだかとんでもないことを言ってしまったが、気にする間もなく眠りに落ちた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――ディラン様に抱きしめられながら目を覚ましたあと、色々、本当に色々あった。


 クラルテ聖王国が滅んだのは、勇者と聖女との戦いからわずか三日後のこと。

 百年前まではクラルテ聖王国の半分は魔王領であり、百年前に奪われたものだったという。ディラン様と私、そして他の魔族たちが手を組んでそれを奪い返した結果、世界の中で最大の国土を誇っていたクラルテ聖王国は国として成り立たなくなったのだった。


 王家はもちろんのこと、私の生家であるシャネル公爵家は真っ先に潰えた。いや、潰したと言った方が正しいが。

 私を捨てた父親が怯えて腰を抜かすのを見るのは非常に面白く、ついついやり過ぎてしまったのを思い出す。


 勇者も聖女もおらず、魔族に抗う術を持たぬ人間は苦肉の策でディラン様に交渉を持ちかけ、再び不可侵条約が結ばれることに。

 それを破ったら、今度こそ人間は滅ぶだろう――ディラン様がそう言うと人間たちは震え上がっていた。


「これでもうしばらくは心配いらぬ。これからはそなたを妃とし、二人きりでゆったり過ごすことができるな」


 魔王城の一室にて、私はまたしてもディラン様の膝の上に乗せられていた。

 復讐を終えてもなおディラン様に甘やかされる。それがなんだか嬉しかった。


「そうですね…………ぇ?」


 言ってから違和感に気づく。

 今ディラン様は、まるで決定事項かのように私を妃にすると言わなかっただろうか。もちろん彼がそのつもりなのは察していたが、それにしたって急過ぎる。


 困惑する私に、ディラン様は愉快そうに目を細めた。


「何を戸惑うことがある? そなたは我を好いているのだろう。そして我もそなたを好ましく思っている」


 ディラン様が私をどう思っているかはさておき、私が好意を抱いているのは紛れもない事実だ。だがおかしい。どうしてそれを知られているのだろう。


「私の想いを告げたことなど一度も……」


「寝ぼけて覚えておらぬか。そなたは確かに『好きです』と、そう言ったはずだが?」


「――あっ」


 指摘されて初めて、ぼんやりとだが思い出した。

 そうだ。私は戦いのあと、感謝の言葉に混じって何かとんでもないことを口にしたのではなかったか。


 思い出した途端に羞恥心が込み上げてきてどうしようもなくなる。

 しかし私の体はがっちりと抱き込まれていてディラン様から逃げることができず、悶えるしかなかった。


「違います。あれはその、何かの間違いで……」


「誤魔化さずともわかっている。だが、改めて誓った方が良いだろうな。

 我、魔王ディランはマノンを妃としたい。はじめは勇者たちへの対抗手段として利用しようと考えていただけだったが、そなたの可愛らしさに惹かれ、惚れ込んでしまったのだ」


 ディラン様がグッと私の顔を覗き込んでくる。あまりに距離が近く、息が止まってしまいそうだ。契約した時に刻まれた右手の紋様がズキズキと疼いて喜びの声を上げている。


 ――ああ、一刻も早くこの人のものになりたい。


 グローリィ殿下とのけじめをつけたおかげか、今は心からそう思える。

 だから。


「承知しました、ディラン様。求婚、お受けいたします」


 自らディラン様の顔へ手を伸ばし、目を閉じて静かに口付ける。

 重なる互いの唇。しかし今回は初めてのそれとは違い、ゆっくりと舌を絡め合う濃厚なものだ。


 触れ合う度に愛おしさが増す。口付けで魔力がそれぞれ流れ合い、身体中に馴染んでいった。




 そのあとのことはよく覚えていない。だが最高に心地よく、幸せだったことだけは言える。

 その日のうちにサテン生地の花嫁ドレスが用意され怒涛の結婚式が挙げられて、私は魔王妃となったのだった――。

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