1-9 僕の決意の薄っぺらさにも腹が立つ。
「決まりね。明日にでも行きましょう」
「ナデジェ、それは無理です。明日は学校なので、明後日にしましょう。あまり記憶消去の魔法を乱発したくはありません」
「ガッコウ? サクラたちを迎えに行った施設?」
「はい。勉強するための場所です」
「まぁ、一日二日でどうにかなるもんでもないし、いっか。じゃあサクラ、今日はサクラの家に泊めてよ」
「分かりました」
しかたのないことではあるものの、僕を置き去りにしてどんどんいろんなことが決まっていく。
とりあえず、土曜日は異世界への入り口に行くということは把握した。
「やった! 積もる話もいろいろとあるし、こっちの世界にも興味があったの」
ナデジェが櫻子さんに抱きつく。スキンシップがすごい魔法戦士だ。
「そうと決まればすぐに行きましょう。美味しかったわ、カナタ。ありがとう」
「えっ、あっ」
無理やり立ち上がらされた櫻子さんはまだ話足りなさそうだった。
目と目がばちっと合う。
「ごちそうさまでした、叶汰くん。また明日、学校で会いましょう」
「あっ、うん。また明日」
櫻子さんを急かしてどたばたとナデジェが去って行く。
「……嵐だ」
ぼそりとオドゥバーハが呟いた。若干、疲れているように見える。
僕は立ち上がって四人分の食器をシンクへ運ぶ。皿を洗いはじめたら、オドゥバーハが僕へ顔を向けた。
「まるで戦乙女が普通の人間のようだな。学びを優先するとは」
「櫻子さんは普通の女子高生だよ。この世界では」
「今日行ってみて分かったが、ガッコウというのは俺たちの世界でいう教会をより画一的なものにした場所だと感じた。ポモッツなら、戦乙女をわざわざ教会へ通わせたりはしない」
「それはポモッツでの話だろう?」
オドゥバーハが首を左右に振った。
「サクラがどうして戦乙女と呼ばれるか分かるか?」
「魔法を使うための指輪を創ることができるからだって櫻子さんからは聞いてる」
その通りだが少し違う、とオドゥバーハは言った。
「戦乙女とは、聖女とは。本来であれば神しかできない指輪の創造ができる特別な存在だ。そしてその魔力はナデジェや俺をゆうに超える。サクラは元の世界には帰るべきではなかった。普通の生活を送りたいと言うからしかたなく了承しただけだ」
「櫻子さんの人生は、櫻子さんが決めるものだ。外野がいろいろ言っていいもんじゃない」
「そういう次元の話じゃないんだ。サクラの存在も、その力も」
刺々しい態度。オドゥバーハは僕に対して譲歩する気がない。
もやっとしたけれど、僕にだって口出しする権利はない。我慢して言葉を飲み込んだ。
◆
流されるままに迎えた土曜日の朝。場所は、高校にほど近い、県民公園の東入り口。
僕は状況に流されていたからこそ気づいていなかった。
「おはようございます」
……櫻子さんの私服を、見られるということに。
最近ようやく制服姿の櫻子さんと目を合わせられるようになっていた僕だけど、私服となれば一からやり直しである。
スカートの類ではなくて、デニムパンツなのは意外だった。淡い緑のふんわりとしたトップスは、袖がレースになっている。ファッションには疎いけれど櫻子さんにとてもよく似合っている。スマホと財布しか入らなそうな小さなバッグもまた、似合っている。とても、かわいい。
対する僕は黒のフード付きパーカーにベージュのチノパンだ。
ファッションに疎い男子高校生の基本装備だ。辛い。
オドゥバーハとはサイズが違いすぎて服を貸すことができなかったので、金曜日の放課後に買いに行った。休日に出かけると言ったところ、兄の悠がお金を出してくれたのだ。
紺色のセットアップというやつで、ジャケットの下はシンプルな白いTシャツなのに見事に着こなしている。服屋の店員さんに任せたコーディネートだ。
僕にはない選択肢だし、僕が着ても似合わないのは確実である。辛い。
こんなことならば櫻子さんにオドゥバーハの私服も創ってもらえばよかった。そう思っても、後の祭りだ。
「おはよう、カナタ!」
櫻子さんと腕を組んでいるナデジェ。櫻子さんから服を借りたようで、櫻子さんと近い雰囲気だ。
「ふたりともおはよう。今日はよろしく」
「オディ、この世界の恰好も似合うね」
「ふん」
「褒めたんだから喜びなさいよ!」
ばしっとナデジェがオドゥバーハを叩く。
「やめろっ、お前の馬鹿力は単純に痛い」
まぁまぁ、と宥めるのは櫻子さんだ。
「早速行きましょうか」
「う、うん」
四人でぞろぞろと歩き出す。
県民公園に来たのは一年生のときのオリエンテーション以来だった。確か大きな池があったはずだ。散策コースを十分ほど歩いて行くと、目の前には池が広がっていた。
僕は不意に立ち止まる。
「あの木って……」
池の対岸には一本の木が見えた。幹が太くて、葉が生い茂っていて、樹齢を感じさせる立派な大木だ。
この景色を、僕は知っていた。
色は違っても、花が咲いていなくても、すぐに分かった。
「もしかして昇降口の油絵って、あの桜の木?」
「えっ」
ぽんっという音が聞こえたような気がした。櫻子さんの顔が耳まで赤く染まる。
「……そ、そうです」
櫻子さんが照れるので、なんだか僕も恥ずかしくなってくる。櫻子さんを見ないようにして付け加えた。
「……合っててよかった。毎日見てるから」
これは言い訳みたいなものだ。というか、言い訳だ。毎日見ているからたまたま分かったんだ。
櫻子さんは深呼吸をした後、池の真ん中を指差した。
「一年生の頃は、よくここに来て絵を描いていたんです。そのとき、突然この池から光の柱が生まれました」
僕は息を呑んだ。
「最初は何が起きたか分からなくて混乱しました。髪が黒いというだけで地下牢へ投獄されて、指輪を創れたことで邪神と罵られて、ひどい目に遭いました。そのまま異世界で死を迎えることも覚悟しましたが、どうせ死ぬなら脱獄に挑戦しようと思ったんです」
言葉だけでもかなり壮絶な内容なのに、櫻子さんは笑っている。
「成功してしまったんですよ、脱獄が。自分でもびっくりしました。ただ、そこで力尽きてしまって。目が覚めたら、ナデジェに介抱されていたんです……」
ナデジェがぎゅっと櫻子さんを抱きしめた。
「そこからはオドゥバーハのパーティーの一員として魔族と闘う日々でした」
「……すごいな、櫻子さんは」
僕にはそれ以上何も言えなかった。
『戦乙女』とか『聖女』というのは簡単だ。そのなかに、櫻子さんの覚悟が詰まっているのだ。
今の話を聞いて、なおさら、魔王に櫻子さんを殺させてたまるかと思った。
それから、僕の『守る』という決意の薄っぺらさにも腹が立つ。
「サクラ!」
ナデジェの声ではっと我に返る。ぽこぽこ、と池の中央に泡が生まれていた。