1-8 だめだ。落ち着かない。
僕も急いで追いかける。
校門前に誰かが立っていて、その奇抜さが周囲からの注目を浴びていた。
「ナデジェ!」
ナデジェと櫻子さんが呼んだことで彼女は顔を上げた。肩まで伸びた真っ赤な髪の毛と、ブラウンの瞳は吊り目。陽に灼けた肌が、健康的に見える。
白を基調として金色で縁取られた衣装は、オドゥバーハの甲冑によく似た戦闘服だ。
「久しぶり、サクラ!」
「元気にしていましたか?」
女子というのは、どんな世界の人間でも再会したときにきゃっきゃとはしゃぐらしい。
「見ての通りよ。ねぇねぇ、この世界って本当に『月』がひとつしかないのね! サクラの言ってた通りでびっくりしちゃった!」
櫻子さんとナデジェは手を取り合ってぴょんぴょん跳ねている。
「……あいつはナデジェという。俺たちのパーティの魔法戦士だ」
僕の後ろでオドゥバーハが説明してくれた。
よく見ると、左中指に、大きく赤色に輝く宝石の指輪をはめている。
きっと、パーティーのムードメーカーに違いない。ひとしきり飛び跳ねてから、ナデジェはようやく僕に気づいた。
「もしかして君が、魔王の器になっちゃったサクラの友だち?」
「えっ。あっ。すみません」
明るい人間に対して反射的に謝ってしまうのはくせである。そして明るい人間というのは大体、そんな僕に対して首を傾げてくる。
「ナデジェ。叶汰くんは魔王をちゃんと封印できているので、安心してください」
「サクラには聞いてないよ。あたしは彼本人の口から話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「あっ、はい」
何故だか背筋を伸ばしてしまう僕である。
ナデジェは櫻子さんに抱きついたまま、僕へ話しかけた。
「あと、お腹空いたんだけど、何か食べさせて?」
◆
ふしぎな光景だ。
僕の家のダイニングルームに、櫻子さんがいる。
正しくはホームステイすることになってしまったオドゥバーハと、初対面のナデジェもいる。キッチンから三人を眺めていると、まるで僕の家じゃないみたいだ。
僕の視線に気づいて櫻子さんが近づいてきた。カウンターキッチンの反対側に立ち、不安そうな表情になる。
「大丈夫ですか?」
「問題ないよ。軽く食べられるものをつくるだけだから。それに、異世界の食材とか味付けとか考慮しなくていいんだよね」
「はい」
櫻子さんが小さく頷いた。
「わたしも叶汰くんのごはんを食べてみたかったので、楽しみです」
「……!」
「どうしました? 胸が苦しいんですか?」
思わず胸を押さえてしまった。
「す、すぐ元に戻るから気にしないで」
まさか櫻子さんが原因とは口が裂けても言えない。だからこそ櫻子さんはさらに心配したようで、回り込んでキッチン側に入ってきた。
近い! 距離が、近すぎる! 心臓がばくばくいっている。
委員会やベンチで隣に座ることはあった。だけどここは僕の家。しかも、キッチン。
目線だけを櫻子さんへ向ける。身長はわずかに僕の方が高い。
まつげ、長い。よく見ると、ちゃんと化粧してる。
しかもなんだかいい香りがする。いや、落ち着け。ここで鼻を動かそうもんならただの変態だ。
僕の動揺に一切気づいていない櫻子さんは胸ポケットからゴムを取り出して髪の毛をひとつにまとめた。手を洗いながら、こちらを見てくる。
「手伝います」
「えっ、あっ、ありがとう」
櫻子さんの手はきれいで、指が長くて、爪は短く切り揃えられている。
右薬指には銀色の指輪。こ、こんなの、新婚夫婦みたいじゃないか……!
「パパパ、パスタを茹でるから、冷蔵庫からミートソースを取ってもらえる?」
だめだ。落ち着かない。
「分かりました。えっ、叶汰くん」
冷蔵庫を開けた櫻子さんが絶句する。
「ど、どうかした?」
「市販のものではなくて手作りなんですか……?」
ホーロー容器に詰まったミートソースを手に、櫻子さんが震えている。
「双子とはなかなか食事の時間が揃わないから、各自で食べられるようにいろんな作り置きをしているんだよ」
「主婦力が高すぎます」
何故か呆然としている櫻子さん。僕は僕で料理を始めてしまえば集中することができた。四人分のミートソーススパゲティを盛り付けてテーブルへ運ぶ。
ぱんっ! ナデジェが嬉しそうに手を叩いた。
「いいにおい!」
「箸は使えないだろうから、フォークで食べられそうなものにしてみたんだけど」
「使えるぞ」
「え?」
オドゥバーハの意外な一言に首を傾げる。その視線は櫻子さんへ向けられていた。
「サクラが旅の途中で教えてくれた」
すると恥ずかしそうに櫻子さんが両手で顔を覆う。
「……ジェクイ、というか日本の説明をしているときに」
「ラッパスはブタニクで、ロッポがトリニクだっけ?」
ナデジェが被せるように大声を上げた。
「へ、へぇ」
櫻子さんの耳が赤い。そんなに恥ずかしがることではないような気もするけれど、これはこれでかわいい。
「難しい話は置いておいて、早く食べましょうよ」
「そうだな。カナタの料理は美味い」
昨日の晩飯から今日の弁当まできっちりと完食したオドゥバーハが偉そうに言う。
たしかに、櫻子さんからきつく言われたとはいえ、昨日の食事後から態度が軟化したような気はしていた。直前まで僕を殺そうとしていたとは思えない。
「まさかオドゥバーハ、叶汰くんにお弁当を作ってもらったんですか」
「お弁当って言っても箸を使えるって知らなかったから、サンドイッチとウインナーとオムレツだよ」
櫻子さんが肩を落とすので、僕は僕で謎の弁解。
「ねぇねぇ、熱いうちに食べましょうよ」
けらけら笑っているのはナデジェだ。
◆
「はぁ、美味しかったー!」
四人でテーブルを囲んでミートソーススパゲティを食べ終わり、ジンジャーエールやオレンジジュースを出してあげると、それぞれが好みの方をグラスに注いだ。
僕はこれまでの経緯を目の前に座るナデジェへ説明する。
「なるほど。話は分かったわ」
「あっさりと信じてくれるんだな」
隣のオドゥバーハとは大違いだ、という意味を含めると、理解されたようで肘で小突かれた。
普通に、痛い。手加減してほしい。
「信じるかどうかよりも、どうやって完全に魔王を滅ぼすかの方が重要だもの。サクラの封印はポモッツでも最強クラスだから間違いはない。それならば、カナタがどうやって魔王に変身しないように対策を練るのが最善の方法なんじゃないかしら」
ナデジェの持つグラスでしゅわしゅわと泡が弾けている。
「サクラもナデジェも甘い」
ぴしゃりと否定するオドゥバーハを、ナデジェはぎろりと睨んだ。
「甘いのはあんたよ」
それからナデジェは僕を見る。
「昨日から家にいるんでしょ? この子が迷惑かけてない?」
「え、えぇと」
「何かあったら言ってね。オディは弟みたいなもんだから」
文脈からしてオディというのはオドゥバーハのことのようだ。ということは、弟ではないらしい。
「故郷が同じなんだ」
ぶすっとした態度のオドゥバーハ。なるほど。たしかに弟みたいだ。
幼なじみとか、腐れ縁というやつだろうか。
「ナデジェはどう思いますか?」
話を戻したのは櫻子さんだ。そうねぇ、と呟いてナデジェが腕を組む。
「いちばんポモッツの影響を受けやすい場所に行ってみるのはどう?」
「危険だ!」
「ばか、最後まで聞きなさい。危険かもしれないけれど、その方が今の魔王の状況も見えやすいと思うのよ。何かあったとしてもサクラやあんたがいればどうにかなるでしょ」
立ち上がって声を荒げたオドゥバーハに向かって、静かにナデジェは反論した。
オドゥバーハは不満そうだったものの椅子に座り直す。
「ポモッツの影響を受けやすい場所……」
「心当たりはある?」
櫻子さんが首を縦に振る。
「そうですね。ポモッツへの入り口だと思います」