1-7 なんだか、もやっとする。
張りつめた声色に事の重大さを理解する。
「だけど」
「お願いです。下手したら攫われてしまうかもしれません。魔族の国へ連れて行かれたら、わたしたちも簡単に助けに行くことができないのです」
ぞっとした。僕が、異世界に? しかも魔族の国に連れて行かれる?
「……分かった」
僕自身に、力があればよかったのに。
悔しくて唇を噛んだとき、さらに風が吹いた。
「わっ」
足を取られて腰を打つ。
「戦乙女から離れろ!」
四人目の登場人物は、背中で誰だか分かった。
「オドゥバーハ。あなた、どこへ行っていたんですか」
櫻子さんが彼の名を呼んだ。
「魔王の腹心までこの世界に来ていたとはな。もう一度滅ぼされたいか?」
勇者オドゥバーハの挑発する先はプラート・シー。
「勇者か。久しいな」
「俺はできれば永遠に再会したくはなかった。〈解き放て、サングェ〉」
オドゥバーハの掌中に大剣が生まれる。
「それには同感だ。私もわざわざ貴様と闘おうとは思わぬ。今回は一旦引かせてもらおう」
「待てっ!」
勇者の制止も虚しく、プラート・シーは屋上から飛び去った。
「……さて」
オドゥバーハは大剣を収めない。振り返ると、そのまま切っ先を僕へ向けてきた。
「プラート・シーまで現れたということはますますお前が怪しく見える。正体を現す前に殺してしまおう」
「待ってください、オドゥバーハ」
さっと膝をついて僕を守るような体勢になったのは櫻子さんだ。
「待ってくれ」
僕が抵抗を試みたことに驚いたのも、櫻子さんだった。
「叶汰くん?」
「たしかに魔王は僕の内側に存在している。だけど、言われたんだ。あと一ヶ月、僕が自分自身を守り抜けば魔王は消滅するって。だから、僕は僕なりに闘わせてもらう。判断するのはそれからにしてくれないか」
「ふん。まったく信用できない」
……負けてたまるか。
魔王にというより、このいばりくさった勇者とやらに負けたくなかった。僕は今までの人生でいちばんきつく人を睨みつけた。
「うっ」
いや、負けそう。怯むな、僕!
櫻子さんが声を上げた。
「オドゥバーハ。叶汰くんを巻き込んでいるのはわたしたちです。殺そうとする前に、解決策を考えるのが、勇者たるべき者の務めです」
「人間を信用しすぎだ。それで散々な目に遭ってきたのを忘れたのか」
「それでも信じることをやめないのが、戦乙女です」
あれ? 櫻子さんとオドゥバーハが口論しはじめた?
にらみ合うふたり。僕は蚊帳の外になりかけている。
そして、まもなく日没。
「あ、あのっ!」
均衡を崩すために僕は両腕をわざとらしく振った。
「とりあえず一旦、学校から出ないか?」
◆
……とは言ったものの。
「ただいまー」
「おじゃまします。あっ、オドゥバーハ。靴は脱いでください」
「変な家だ。この世界じゃ普通なのか?」
勢いでふたりを家に連れてきてしまった。
どうしてこうなったのか、自分でもよく分からない。いや、冷静に考えれば分かる。櫻子さんの家に行く訳にはいかないし、かと言って、ファミレスやカラオケじゃオドゥバーハの恰好は目立ちすぎた。高校から徒歩圏内にある僕の家は、ある意味都合がいいのだ。
オドゥバーハが脱いだ靴を揃えるように櫻子さんが指示していた。しかもオドゥバーハは素直に聞いている。変なところで真面目な奴だ。
「ご両親はびっくりしませんか。その、いきなり……」
「大丈夫。両親は数年前に死んだから」
何も大丈夫ではない返答だったかもしれない。櫻子さんが一瞬気まずそうになった。
「年の離れた双子と暮らしているんだけどふたりとも仕事でいない、か――」
「ちょっと叶汰。突然美少女と美少年を連れてきて、どういうこと!」
「……いた」
僕は両肩を落とした。
夜勤だと思っていた看護師の姉、未来がすっぴんかつスウェット姿で現れた。
「まさか彼女? あんたみたいな冴えない男子がどうやってこんな美少女を」
「えっと、えっと」
勢いよく両手を掴まれて櫻子さんが動揺している。
「美少年も美少年で、その恰好はコスプレ? えっ、どの国出身? ハロー? ハウアーユー?」
オドゥバーハも未来の勢いに押されている。
「やめろよ姉さん、恥ずかしい」
「〈創りなさい、クワリール!〉」
ぱちんっ! 未来の頭上にきらきらと光の粒子が見えた。
えっ、今、未来に魔法を使った?
「おかえりなさい、オドゥバーハくん」
突然、にこにこと眩しい笑顔の未来。
「……へ?」
僕が脱力したのを見て、未来は睨んできた。
「あんた、オドゥバーハくんへもうちょっと優しくしなさいよ。日本がいい国って思って帰ってもらわなきゃ」
「は?」
オドゥバーハも目を丸くしていたが、すぐに櫻子へ小声で尋ねる。
「……サクラ?」
どうやら普段はサクラと呼んでいることが判明してしまった。なんだか、もやっとする。
「すみません。オドゥバーハは叶汰くんの家にホームステイしている留学生っていうことにしてしまいました。それならば、オドゥバーハも叶汰くんの様子を常に見ていられて安心でしょう」
「えっ」
僕とオドゥバーハの動揺が重なった。
「そ、そんな」
「今日はわたしも帰ります。詳しいことはまた明日話しましょう。いいですね?」
にこやかなのに強い口調。そこに拒否権はなかった。
僕とオドゥバーハは初めてまともに顔を見合わせて、なんともいえない表情になるのを確認し合った。
◆
「おい」
ちょっと待ってほしい。
いくら顔立ちが整っていたとしても、金髪で彫りの深い人間がブレザーを着ると、こんなにも似合わないものなのか?
むすっとした表情のオドゥバーハ。笑いをかみ殺していると、ぎろりと睨まれた。
「この服は窮屈だ。いつになったらカナタの家へ行けるんだ」
「今日の授業はもう終わったから、今から帰るよ」
……いつの間にか名前で呼ばれてるし。
オドゥバーハは身長が百八十センチ以上あるようで、見上げても背が高い。肩幅は広いし、足も長いし、ちょっとだけ羨ましいと思ったけれど絶対に言わない。
櫻子さんの魔法によって外国からの留学生ということになってしまったオドゥバーハは、驚いたことにおとなしく高校へ登校したのだ。
制服や必要なものは櫻子さんが魔法で揃えてくれた。魔法というのは便利なものだと心底感心した。しかも登校してみれば、オドゥバーハはゴールデンウィーク前から二年一組にいることになっていた。
「サクラがいない」
言い争ったり威圧したとしても、最終的にオドゥバーハは櫻子さんに頭が上がらないらしい。
「櫻子さんは日直だから職員室へ日誌を提出しに行っているんだと思うよ」
「ニッチョク?」
「オドゥバーハくん、ばいばーい」
女子たちがオドゥバーハにボディタッチして去って行く。
どすっ。
「痛っ」
それを見ていた佐伯が叩いてきたのは何故か僕の背中だ。
「モテモテだな、オドゥバーハ! 福山も見習えよ」
「馬鹿だな。福山には天使がいるんだぞ」
「くそーっ! 福山のばーか!」
理解不能な罵声を残して佐伯が去って行く。
西島はギターケースをかつぐと、軍隊みたいに敬礼してきた。
「じゃ、また明日」
「おう」
西島と入れ違いに教室へ入ってきたのは櫻子さんだった。
「お待たせしました」
「サクラ。ニッチョクは終わったのか」
まるで飼い犬のようにオドゥバーハが櫻子さんに近づく。お前、そんなキャラだったのか?
「はい。叶汰くんの家へ行きましょう」
オドゥバーハに隠れて見えなくなっていた櫻子さんがひょこっと顔を出してきた。シンプルにかわいくて思わず自分の顔を手で押さえる。
平常心、平常心……。
ぞろぞろと連れ立って僕たちは昇降口まで降りて行く。
昇降口には櫻子さんの油絵が飾られている。作者に気づかれないように僕は絵へ視線を向けた。毎日見ても見飽きないふしぎな引力がこの絵にはある。
タイトルは、『赦しの桜』。
櫻子さんが戦乙女だと知ったことで、なんだかしっくりくるタイトルだと思っている。
「ここに下足を戻せばいいのか」
スリッパからスニーカーへ履き替えたところで、ぴたりとオドゥバーハの動きが止まった。
「どうした?」
「あいつの気配がする」
「あいつ? まさかプラート・シーが近づいているのか?」
ざわりと背筋が粟立つ。
だけど、オドゥバーハは首を横に振った。緊迫感というよりは、苦虫を嚙み潰したような表情になっている。
反応したのは櫻子さんだ。ローファーを履き、軽やかに昇降口を飛び出した。
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