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1‐6 勢いとはいえ、名前で呼んでしまった。


 薄暗くて狭い進路指導室は、まるで取調室みたいだと思う。


「福山の成績なら、大学へ進んだ方が確実に生涯賃金は増えるんだぞ?」


 ただ、向かい合った進路指導担当がテーブルの上に広げたのは昔のドラマのようなカツ丼じゃなくて大学のパンフレットだった。


「経済的な不安か? そんなの奨学金や学費免除でいくらでもなんとかなるんだ」

「何度も言ってますけど、調理系の専門学校に行くつもりです」

「質問を変えよう。どうしてこの高校へ入ったんだ?」


 僕は、大げさに溜め息をついてみせた。


「先生もご存じのように、姉と兄が卒業生だからです」


 高校すら進学するつもりのなかった僕に対して執拗なプレゼンを続けた双子は、破天荒な性格で有名な卒業生。姉が生徒会長で、兄が副会長だったらしい。

 そしてこの教師は、その双子の担任もしていたので僕の事情も知っている。


「そういえば、未来も(はるか)も元気にしてるか」

「はい。おかげさまで」


 未来というのが姉で、公立病院で看護師をしている。一方、兄の悠は、営業マンをやっている。


「とにかく、福山は一度ちゃんと双子と話し合いなさい。嫌だって言うなら、こちらから双子へ連絡を入れるぞ」

「……はい」


 しぶしぶ了承することで解放された僕は、重い足取りで教室へ戻っていた。


「既読にならないぞ、あいつらめ」


 西島と佐伯は、進路指導で疲れた僕の心を慰める会と称してカラオケに行くと言って聞かなかった。だから面談が終わったとメッセージを入れたのに、見ていないようだ。

 ふたりとも一年のときからの付き合いで、なんだかんだ気を遣ってくれてありがたい。

 先生は何も分かっていない。

 僕は早く大人になって、自分で稼げるようになりたいんだ。

 もちろん、調理人になったからと言っても数年は修業に明け暮れるだろう。給料だってちょっとしか出ないかもしれない。だからこそ、住み込みで働くのが理想で、同時に、家から出ていく理由にしたいと考えている。

 姉も兄も僕に優しくて甘い。だからこそ、ふたりの足枷になる訳にはいかないのだ。ふたりにはふたりの人生がある。

 ふと、足を止めた。


「ん……? 悲鳴……?」


 ガラスの割れる音。机か何かが勢いよく倒れる音。それから、悲鳴。

 すべて二年一組の教室から聞こえていると気づいた瞬間に僕は床を蹴っていた。

 あの、悲鳴は……っ!

 廊下がきらきら光っていた。つまり、窓が教室の内側から割られている。


「櫻子さんっ!」


 後ろの扉から大声で叫ぶ。目の前の光景に背筋が粟立った。


「西島、佐伯……? お前ら、何してるんだよ。櫻子さんから手を離せ!」


 音通り、ぐちゃぐちゃになった机と椅子。その真ん中で神石さんに馬乗りになっている西島と、椅子を振り下ろそうとしている佐伯。神石さんは西島に首を絞められている。

 僕はためらうことなく飛び出した。

 体が、熱い。

 ぶわぁっ、と内側から熱風が吹いてくるような感覚。


(力を貸してやる。弱き者よ)


 音が体の内側に響く。


(腕を前へ突き出せ)


 言われるがままにすると、手のひらが急激に熱を持つ。生まれたのは光の球体。


『〈◇×〇△□〉』


 認識できない言語が口から出た。そのまま光は西島へと向かい、西島の体は机と椅子に突っ込んだ。大きな音と同時に衝撃波が伝わってくる。

 今のは……魔王の、力……?


「ぐぅ、ぁ、」


 硬い物に背中をぶつけた西島が呻く。その目が異常で、背筋が凍る。


「白目が、黒い……?」


 後ずさる僕の後頭部に鈍い痛み。振り返ると佐伯が僕目がけて椅子を振り下ろしていた。その白目はやっぱり塗りつぶされたみたいに真っ黒になっている。


(もう一度、だ)

(待てよ、魔王! こいつらは僕の友だちなんだ!)


 僕は僕の奥へ向かって叫ぶ。

 げほげほと咳き込む声が聞こえた。続いて詠唱と呼ぶべき言葉。


「〈跪きなさい、コンソーラシオン!〉」


 ぐらり、と佐伯の体が揺れてそのまま倒れた。


「佐伯っ」


 なんとか受け止めて、何かにぶつかるのは防ぐ。そのまま佐伯を硬い床に寝かせながら気づいてしまう。


「叶汰くん……? それとも、魔王……?」


 両足を広げて立ち、こちらへ手のひらを向けているのは櫻子さんだった。

 質問の意図は痛いほどに理解できていた。


「ぼ、僕だよ。福山叶汰だ」


 僕の腕は、満月の晩のように褐色に変化していた。

 しゅわわ……。水が沸騰したような音がして、西島と佐伯の頭頂部から、黒いもやが立ち昇ってきた。

 すっと櫻子さんが腕を伸ばした。


「〈奏でなさい、セレニーテ〉」


 浄化されるようにもやが霧散していく。


「ん……」

「あれ? なんで俺たち……」


 西島と佐伯が意識を取り戻しかけている。僕はまだ、魔王の見た目から戻れていない。


「叶汰くん。逃げましょう」


 力強く櫻子さんが僕の手を取った。


「う、うん」


 さっきまで誰も気づかなかったのはおかしいくらいに、驚きや悲鳴が後ろに響いていた。



 急いで向かったのは屋上だった。


「助けてくれてありがとうございました」


 櫻子さんの声はわずかに震えていた。


「それに、ようやく名前を呼んでくれましたね」


 黄昏の逆光でよく見えないけれど、笑顔を作ろうとしているようだった。

 ……そうだった。勢いとはいえ、名前で呼んでしまった。


「叶汰くん」

「……櫻子さん。今、僕の外見は」

「人間に、戻っています」


 僕は耳にそっと触れた。尖っていない、よく知る形だ。ぺたん。力が抜けて、その場へへたり込んだ。手が震えている。握ろうとしても、力が入らない。


「感情が昂ると魔王に変化してしまうのでしょうか。だとしたら、叶汰くんを危険に晒す訳にはいきません」


 僕と違って櫻子さんは冷静さを取り戻していた。これが場数の違いだというなら、とうてい叶わない気がする。

 だけど、魔王に櫻子さんを殺させはしない。絶対に。

 僕もだんだん落ち着いてきた。僕のせいでかえって不安にさせてしまったのが、ただただ辛い。なんとか立ち上がって平静を装う。


「さっき、西島たちがおかしくなっていたのは何だったんだ?」

「あれは『テムノッタ』といい、下級魔族の一種です。人間の意識を奪い操ることのできる魔法を使います」

「テムノッタ……」


 櫻子さんが頷く。


「魔族と人間の違いは見た目だけではありません。たとえば人間と違って、魔族は指輪を媒介としなくても月の力を使うことができます」


 櫻子さんが説明を続けようとしたとき、よく通る高い声が夕焼け空に響いた。


「無能なテムノッタどもめ。やはり、直接私が手を下さねばならぬか」

「誰だ!」


 しゅたっ。僕たちの前に降り立ったのは、黒いロングワンピースの女性だった。

 ショートボブの髪の色は、銀。褐色の肌に尖った耳。三白眼の、鋭い瞳は朱色。その見た目は魔王と一致する。つまり、魔王の仲間……!

 どくん。心臓が大きく跳ねるような感覚。僕のものであって僕の鼓動じゃなかった。


(……生き延びていたか)


 内側の魔王が呟くのが響いた。重ねるように、櫻子さんが声を発する。


「プラート・シー。あなたも生きていたのですか」


 櫻子さんの瞳が驚きに染まる。


「戦乙女め。いつ見ても虫唾が走る」


 プラート・シーと呼ばれた魔族は、忌々しそうに櫻子さんを見返した。


「私はノーク様を滅ぼした貴様を絶対に許さない。その想いだけで、ジェクイへ辿り着くことができたのだ」


 さっと櫻子さんが僕を庇うように移動してきた。顔はプラート・シーへ向けたまま小声で告げる。


「叶汰くん、変身だけはしないように努力してください。もし魔王が存在していることが彼女に知られたら、より大変なことになります」

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