1‐4 さて、ここで質問です。
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『意識を失っても自我を手放さないとは、実に奇妙な話だ。そんな人間、見たことも聞いたこともない』
うっすらと目を開けると、僕はどこかに倒れていて、頬を何かに踏んづけられていた。
痛い。痛くないけど、痛い。
「……魔王か?」
『是。我の名は、ノーク。誇り高きメジーシュ族の王である』
「なんだよ、それ。っていうかこの足をどけろよ」
『ふん』
素直に言うことを聞いてくれたので、起き上がる。
アニメで見たことがある。この真っ暗闇な空間は、十中八九、僕の心のなかだ。
目の前にいるのは、褐色の肌で尖った耳を持つ、魔王。髪の毛は銀色で瞳の色は朱い。銀色の甲冑を身に着けていて、黒いマントを羽織っている。イメージ通りの魔王の姿に息を呑んだ。
王と名乗っただけあって、悪だけど、そこはかとなく気品も感じる。
僕は自分の手のひらを確認する。ちゃんと人間に戻っている。それだけでだいぶほっとできた。
『戦乙女の魔法が効かぬなら、戦乙女に打ち勝てると思ったが……逆のようだな』
「逆?」
『我は貴様に特別な力があるのだと考えていた。しかし、そうではなかった。魔法が効かないのは、貴様があの女に特別な感情を抱いているが故の現象だ』
「なっ……」
一気に顔が赤くなる。
つまり、僕が神石さんへ片想いしているってことが、彼女の不在に気づけた理由だと言うのか。それはそれで神石さんに報告できない。好きだって告白するのと同じだ。
死ぬ、恥ずかしくて死ねる。
『そして、それ故に我は貴様の体から出て行くことも叶わぬ。忌々しいことになった』
「そんな……!」
動揺する僕とは逆に、魔王は両腕を組んで何かを考えているようだった。
『人間族の子よ』
「な、なんだ」
『契約は、貴様へ力を与える代わりに戦乙女を滅ぼすという内容だ。我は戦乙女を殺したい。貴様は、戦乙女を守りたい。この状態が不均衡なのは事実だ』
魔王の瞳が妖しく輝いた。
『実際のところ、我は器を見つけなければ存在が消滅するまで弱体化している。貴様から出て行けたとしても、次の器を得なければたちまち消えてしまうだろう。一方で、貴様の意志が強ければ、我は貴様の内側で消える可能性もある。それくらい、我と貴様は相性が悪いようだ』
「……つまり、僕が神石さんを守ることもできるっていうことか?」
『その通り』
「や、やってやるよ。そしてお前を滅ぼしてやる!」
『威勢のいい小僧だ』
くくく、と魔王が笑うので怯んでしまう。意識世界だというのに、汗が背中を伝うのを感じていた。
魔王の方が明らかに劣勢なのに、動揺することなく堂々としている。
『貴様の世界で、約一ヶ月』
近づいてくると、魔王は腕を伸ばして僕の顎を持ち上げた。
『その期間に、貴様は戦乙女へ特別な感情を抱いていることを知られてはならない。暴露した場合、我は貴様の力をすべて奪い食い破る。しかし、貴様がそれを隠し通せば、我はこのまま貴様の内側で消滅しよう』
「簡単な話だよ」
陰キャをなめるな。本人を目の前にするとどもってうまく話せないんだぞ。
そう言いたかったけれど魔王には通じないだろうから飲み込んだ。
「僕がお前を滅ぼしてやる、魔王!」
『よかろう。賭けは、成立だ』
◆
「……福山くん?」
「神石、さん」
僕を覗き込んでいるのは神石さんだった。鼻のあたまが、わずかに赤い。
「気分はどうですか。起き上がれますか」
うん、と呟く。僕の声だ。がさがさしていない、それだけでほっとした。
僕は、家から少し離れたところにある公園のベンチに寝かされていた。
街灯に照らされた公園は、さっきの大惨事が幻だと語っているように静かだ。実際、今となっては幻なのだけど。
体の内側はまだ気持ち悪い。まだ、魔王が内側にいるからだろうか。
「本当にごめんなさい。わたしのせいでとんでもないことに巻き込んでしまいました」
「神石さんが謝る必要はないよ! 悪いのは全部、魔王だ」
慌てて両手を振る。
同時にほっとした。人間の体に戻っている。そして、右薬指が光るのに気づいて手を止めた。
僕の指には、銀色の指輪がはめられていた。
首を傾げていたら、すっと神石さんが自分の右手をかざしてきた。
「これはわたしの魔力で作った仮の封印です」
同じように薬指に、同じ指輪が煌めいている。
「えっ」
そ、それって、ペアリングってやつじゃ!
ぼふっ、と体温が急上昇するのを感じる。神石さんは僕の動揺に気づいていないようで、心底申し訳なさそうに続けた。
「いろいろと試してみたのですが、どうしても福山くんから魔王を追い出すことができませんでした。勇者は、福山くんは既に魔王に乗っ取られているのだと主張していましたが……」
「勇者」
「はい。さっき福山くんを殺そうとしてきたのは、勇者オドゥバーハ。異世界でパーティを組んでいた仲間のひとりです。取り急ぎ、仮の封印で邪なるものが表出しないようにしたことで、しぶしぶ納得してどこかへ行ってしまいました」
勇者。つまり、完全に主人公だ。
そして勇者と対等に渡り合う神石さんは、異世界でよっぽどの存在だったのだ。
「……助けてくれてありがとう」
魔王からだけじゃなく、勇者からも。
神石さんがいてくれなきゃ僕は何が何だか分からないまま死んでいた。
それだけじゃない。もしかしたら神石さんを殺していたかもしれない。想像するだけでぞっとするし、許せない。
「それは、こちらの言葉です。今日、世界が救われたのは福山くんのおかげです。ありがとうございます」
心の底からの笑顔に後光が見えた。
……あぁ。僕が好きなのが、神石さんでよかった。
天使のような見た目で、中身は聖女で、戦乙女。
僕の好きな人は、あまりにも強すぎる。
「指輪を身に着けるのは嫌だと思いますが、魔王を追い出す方法が見つかるまでは我慢してもらえませんか?」
「い、嫌だなんてこと!」
言いかけて口をつぐむ。ここで神石さんを好きだとバレてしまったらすべて水の泡だ。
「手伝えることがあったら、何でも言ってほしい」
指輪に視線を落とす。理由は最悪だけど、好きな人と同じ指に揃いの指輪。
心臓が早鐘を打っているのを気づかれてはいけない。理由は最悪だし、状況も最低だ。それでも、希望はひとつだけある。
今、好きな人を守れるのは、どんな世界でも僕だけだということだ。
◆
二限が終わって教科書を片付けていたら、まさかの人物が声をかけてきた。
「一緒に食べませんか?」
さらり、ふわりと揺れる黒髪。
僕はぽかんとして神石さんを見上げた。手には小さくてかわいいランチバッグを持っている。
昨日の夜は、結局そのまま解散した。何事もなかったかのように朝登校したときも、僕たちの間に会話はなかった。
幻覚だったのだろうかと不安になったものの、僕の右薬指には銀色の指輪が光っている。そんな確認をするたびに頭を机に打ちつけていた。
つんつん、と後ろから佐伯が背中をつついてくる。
「おい、どういうことだよ」
好奇のまなざし。顔全体で説明しろと言っている。僕は自分のランチバッグを持って立ち上がった。
「って、福山? 何だよその指輪!!」
ところが、目ざとい佐伯は僕の薬指を見逃してくれなかった。
「嘘だろ……。お前らいつの間に付き合い始めたんだ……」
佐伯の絶望にまみれた大声が教室内に響く。クラス中の注目が僕たちに集まる。教室がにわかにざわめきたった。
いたたまれなくなった僕は気づくと叫んでいた。
「そんなんじゃないって! 行こうかっ!」
「はい、叶汰くん」
「へ?」
神石さんの満面の笑みに、僕だけ時間が止まる。
さて、ここで質問です。
昨日まで苗字呼びだったのにいきなり名前で呼んできた女子が片想いの相手だったときの正しい返答とは?
止まっていたのは呼吸かもしれない。どっどっどっと自分の脈が大きく響いて我に返った。
だめだ、死ぬ。これ以上この場にはいられない!




