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1‐3 僕は、間違えた、のか?

 ノイズのようで、しっかりと聞き取れる音だった。

 僕は、ゆっくりと顔を上げる。目の前に現れたのは、ゆらゆらと揺れる黒い影。


「お前は、何者だ……?」


 影から伸びた影が、腕と手の形になる。僕の目の前で手のひらを広げる。まるで、僕を誘うようかのに。



『我はポモッツより来たりし存在。この世界を修復したければ、我と契約せよ』



 ポモッツ。それは神石さんが行っていた異世界の名前だ。

 つまり、神石さんに危険が迫っている可能性も高い。

 どっどっどっ。心臓が早鐘を打つ。指先が急に冷えていく。

 神石さんを助けられるのなら。僕なんかに何かができるのなら、願ったりかなったりだ。


『貴様に力を分け与えよう。その代わりに――』

「分かった。この惨状を元に戻せるなら、何でもする」


 喉が渇いて、声が掠れる。

 震える手を伸ばし、影に触れようと腕を伸ばした、瞬間。


 

「福山くん、だめです!」



 廃墟と化した空間に響いたのは、ここにいないはずの神石さんの、空をつんざくような絶叫。


「その者の正体は魔王です! 応じてはいけません!」


 頭上に神石さんの影。

 信じられないことに、神石さんは空を飛ぶようにして現れた。


「ま、魔王って、神石さんたちが倒したっていうあの魔王……?」


 声が掠れる。

 僕は。僕は、間違えた、のか?



『残念だったな、戦乙女。たった今、契約は成立した』



 嗤った。影が。見えなかったけれど、分かった。

 ぶおんっ! 影が揺らぎ、突風が吹く。


「うわぁっ!」


 阿鼻叫喚の惨状が一瞬にして何事もなかったかのように元通りになり、僕は、アスファルトの上に座り込んでいた。


「元に……戻った……?」


 よかった、と思うのも束の間。

 ぬるり。

 体の中に異物が入り込む感覚。僕は地面に膝をついて、胃の中のものを吐き出した。


「おえっ」


 びしゃっ、びちゃっ、と嫌な音が耳に入ってくる。気持ち悪い。気持ち悪い。なんだ、これ?



『貴様に力を分け与える代わりに、戦乙女の命を奪うための器となってもらった』



 内側から響く音。

 目の前で火花が散ったみたいにちかちかして、頭の中がぐわんぐわんと揺れている。


「福山くんっ」


 誰かが僕に近づいてきて、肩に手を載せてきた。


「意識を奪われてはいけません。魔王に心身を乗っ取られてしまいます」

「うぅ……。か、神石、さん……?」

「はい、そうです。同じクラスの神石です」


 何とか顔を上げると、神石さんの眉尻が下がっているのが見えた。

 泣きそうになっているのは、まさか、僕が原因なんだろうか。

 謝りたい気持ちでいっぱいなのに、体が思うように動かない。


「……何だよ、これ」


 自分の視界に入る腕を見て、何回目かの嘔吐をする。もう、胃液しか吐き出せなかった。

 褐色でがさがさとした腕。伸びた爪は、ネイルしたみたいに真っ黒だ。

 体の内側がざらざらした声を放つ。


(貴様はただの器と化した)


 意識が、強い力でどこかに引きずり込まれそうになる。どこかってどこだ。分からない。苦しい……。

 まるで映画やドラマを見ているみたいに感覚が遠くなり、自分のものだったはずの腕の感覚がなくなったかと思うと――



 立ち上がり、目の前の神石さんの首を勢いよく掴んでいた。



「きゃあっ!」

『戦乙女よ、今度こそ貴様の命を奪う』


 僕の口から発せられるざらついた音。

 いやだ、やめろ! 神石さんを殺すなんて絶対にさせない!


(抵抗は無駄だ。貴様との契約は成立している。おとなしく戦乙女が死ぬのを見守ることだ)


 騙して契約したくせに! そんなのは無効だ!

 僕の褐色の両手が神石さんの首を絞めている。どんどん力が強くなっていく。手の甲に浮き出る血管。

 神石さんは苦悶の表情で抵抗しようと試みる。足が宙に浮いている。

 セーラー服のままここまで来てくれたんだろうか。異変を察知して、戦乙女として。

 ……それなのに、僕はなんてふがいない。

 騙されたとはいえ、魔王に乗っ取られて神石さんを殺そうとしている。

 いいのか? このまま魔王の思い通りにさせて。

 いい訳がない。

 両親は交通事故で突然死んだ。僕が十二歳のときだった。あんな思いは二度とごめんだ。

 同じように、神石さんを死なせてたまるものか!


「うわああああああ!」


 ばちんっ!

 何かが弾ける音がして、僕は両手を神石さんから離すことに成功した。

 どさり、と神石さんが地面に腰をつく。げほげほとせき込んでいる。

 よかった。なんとか間に合ったみたいだ……。


「はぁっ、はぁっ、……」


 僕も息が切れていた。だけど、僕が僕として声を出せている。それだけで泣きそうだ。

 神石さんが痛々しく赤い跡の残る首をさすりながら、僕を見上げる。


「福山くん、ですか……?」


 問いかけてきたということは、僕の見た目はまだ『僕』に戻っていないということだ。


「そうだよ。福山叶汰だ。……ごめん、せっかく止めようとしてくれたのに」


 潤んでいる瞳に、指の跡に、罪悪感が募る。

 僕は、今まさに好きな人を殺そうとしていたのだ……。


「いえ、間に合わなかったわたしも悪いんです」


 立ち上がった神石さんは、スカートのプリーツをはたいて整える。


「それよりもどうやって魔王を封じ込めているんですか? 見た目はまだ、魔王のままなのに……」


 まだ、褐色のまま元に戻っていない腕。

 おまけに、耳にそっと触れると先が尖っているようだった。


(人間ごときが我の意志を抑え込むことができるとは大したものだ)


 内側から語りかけてくるのは、紛れもなく魔王だった。


(さ、さっさと出て行けよ!)

(それは不可能だ。我は貴様と契約した。戦乙女の命を奪わぬ限り、我は貴様から出ていくことができぬ)

(な……何だって……?)

(しかし興味深いことに、我は貴様を操ることができぬ。かつ、我の意識が途絶えて……いきそう……だ……)

(おい! ちょっと待てよ!)


 魔王はそれきり口を開こうとしなかった。僕は、完全に体の自由を取り戻したらしい。


「……福山くん。今、どんな感じですか……?」


 神石さんが若干引いている、とは思わないようにしたい。

 だって、体の内側に違和感はまだ、残っている。


「さっきまであった気持ち悪さがだいぶなくなってる。見た目はまだ、魔王のままだけど。変な声も聞こえてこない」

「まさか、魔王の封じ込めに成功しているのでしょうか」


 僕たちは顔を見合わせる。


「そうだとしたら。いいえ、そうでなくても、福山くんの外見を元に戻さなければいけません」

「できるの?」

「わたしは戦乙女ですから」


 ふわりと神石さんが微笑んだ。

 聖女の笑顔が眩しくて目がくらむ。こんな笑顔を奪おうとしている魔王の気が知れない。絶対に許さない。

 向かい合った神石さんは、そっと僕の手を取った。


「脈が速いですね」

「そそそ、それはっ」


 神石さんのことが好きだからです、とは死んでも言えない!

 僕がうろたえていると、声と共に僕たちの間に衝撃が走った。


「戦乙女から離れろ!」


 どさっ。僕は地面に腰を打ちつけ、反射的に目を瞑る。


「憎き魔王め。生きていた上に、戦乙女の命を狙って異世界まで来るとは許しがたい所業。今度こそ、完全に滅ぼしてやる……!」


 憎しみと怒りのこもった声。僕と神石さんの間に立っていたのは、甲冑に身を包んだ青年だった。

 金髪に紫色の瞳。彫りの深い顔立ち。鍛え上げられた筋肉質の体。その節くれだった指に似つかわしくない銀色の指輪の中央で、ダイヤモンドのような宝石が光っていた。


「〈解き放て、サングェ〉」


 ぶわぁっ……。

 宝石が光って、生み出されたのは大剣だ。ゲームで見たことがあるような見た目をしている。

すごい……。さっきから続々と、ファンタジーの登場人物が目の前に現れている……。

 間違いなく命の危機なのに、そんなことをぼんやりと考える。


「死ね」

「待ってください、オドゥバーハ!」


 僕の前に神石さんが立ち、両腕を大きく広げた。オドゥバーハと呼ばれた青年は敵意をむき出しにしている。構えも、崩そうとはしない。


「そこをどくんだ」

「どきません。彼は、わたしのクラスメイトです。ふしぎなことに彼は魔王の魂を封じ込められています。殺してはいけません。魔王を追い出して再度封印し、彼を元に戻すのがわたしの役目です」

「つまり乗っ取られたということだろう?」

「乗っ取られそうになりましたが、正気を保てているようです」


 神石さんの声には強い張りがある。屈強な青年相手に、少しも怯んでいない。

 教室ではいつも静かな彼女が、こんな風に喋るなんて知らなかった。


「いつまでもつか分からないだろう。だったら、魔王が顕現する前に殺した方が世界のためだ」


 睨まれた僕は縮み上がっているというのに、神石さんはなんてかっこいいんだろう。


「福山くんならきっと大丈夫です」

「戦乙女!」


 恫喝に怯まない神石さんが両腕を青年へ突き出す。


「〈奏でなさい、セレニーテ〉」


 神石さんの黒髪がふわりと浮き上がる。

 背中越しでも分かった。中庭で目撃したものの何十倍も強い光。これが、戦乙女……。

 ……あぁ、好きだ、な。

 場違いな感情が気を緩ませたのかもしれない。僕は、一気に意識を手放した。

 どさり。


「――くん。福山くん!」


 倒れる直後に聞こえたのは、神石さんが僕を呼ぶ声だった。

 それが最期に聞いた声だったなら、幸せだな、と思った。

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