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3‐6 僕らにも、ひとつだけ分かり合えるところがあったな


 地下迷宮は、地上の神殿らしき場所に繋がっていた。らしき、と思ったのは、建物自体が倒壊していて、残った柱になんとなくその名残を感じたからだ。

 空にはふたつの月。久しぶりの地上は晴れていて、光が目に染みる。

 思い切り息を吸い込んだら、土埃を吸い込んで咳き込んでしまった。目も痒いし、くしゃみが止まらない。


「げほっ、げほっ……」

「何をしているんだ」


 プラート・シーが冷ややかな視線を向けてくる。

 目の前に広がるのは、ベルブラドの砂漠とは違う、完全な荒れ地だった。

 かつてメジーシュ族が住んでいたであろう煉瓦造りの建物は倒壊して、雑草だけが呑気に風に揺られている。地面はひび割れて、生活の痕があちらこちらに散らばっていた。


「勇者一行の所業だ」


 渇いた空気に、プラート・シーの言葉が響く。


「……それは」


 仕方ないことじゃないのか、と言いかけて飲み込んだ。


「我らの聖樹はこの先にある」


 メジーシュ族の生き残りは、慣れた様子でがれきを踏み越えていく。

 足を取られながらもついていくと、やがて、開けた場所に出た。


「これが、メジーシュ族の聖樹」


 鼻水をすすって、あらためて枯れてしまっている聖樹と向き合う。

 僕と同じくらいの背丈。樹皮はがさがさに剥がれていて、内側はひどく乾いている。覗き込むと、繊維が剥き出しになっていた。枝も折れて、ほとんどない。

 ただ、そんな状態でも、堂々としているように見えた。

 突然、胸が詰まって苦しくなる。どうしてかは分からないけれど、僕の頬を、ひとすじの涙が伝った。

 ……フヴィエズダ族の聖樹のときと同じように、震えていた。心が。


「触ってもいいか?」

「好きにしろ」


 さらに聖樹に近づいて両手で触れる。見た目通り乾いているけれど、ほんのりと温かい。

 自然と、額をつけて目を閉じていた。


『ノーク様! また聖樹の様子を見に来られていたんですか』


 振り返ると、そこは僕が今まで立っていた荒れ地ではなかった。建物は本来の形を取り戻し、賑やかな声もあちらこちらから聞こえてくる。

 ノークと呼ばれた幼い少年は、僕の真横に立って、僕と同じように聖樹へ額をつけた。


『我に王の資質がないから聖樹は枯れたのだと皆が言う。だとしたら、聖樹を元通りにするのは、自らに課せられた試練なのだ。王となるための』

『大人たちは勝手なことばかり言うんです。気にしてはいけません』


 顔立ちは幼いものの、もう一人の登場人物はプラート・シーだった。

 頬を膨らませ、口を尖らせている。


『そう言ってくれるのはプラート・シーだけだ』


 はにかむノークは、今とは似ても似つかない。


『私が仕えるべき御方は、ノーク様、ただお一人ですから』


 やがて、ふたりの体は薄くなって空気に溶けていく。

 代わりに立っていたのは、己の手のひらを見つめる、青年ノークだった。


『我も堕ちたものだ。否、初めから、王という器ではなかった。生まれながらにして傀儡だったとはな』

「魔王ノーク……」


 魔王も知らなかったのだ。

 聖樹を枯らしたのが、大賢者だったということを。そして聖樹が枯れていなければ、こんな結末を迎えなかったかもしれないのだ。

 メジーシュ族がしたことは許されない。

 だけど、初めて、ほんの少し同情したくなった。


『聖樹を、誇りを取り戻したかった。我が一族に。それが叶わないのであれば、せめて、最後の枝を守るべきだったのだ』

「最後の枝……?」


 言葉の意味に、不意に思い至る。

 緊張が解けた僕は、ふっと笑みを浮かべてしまう。


「なんだ。お前にも、好きだと言えない相手がいたのか」


 ノークがようやくこちらを見た。眉間に皺を寄せて、心底厭そうな表情をしている。


「僕らにも、ひとつだけ分かり合えるところがあったな」

『くだらん』


 その言葉からは、もう、戦意を感じ取ることはできなかった。

 ぱっとノークが何かを投げてくる。


『持って行け』


 受け取ったのは、黒い指輪だった。ヴォダさんの創ったものにそっくりなデザイン。


『これはあの男の創ったブラフではない。我の魂は間もなく消滅する。そのとき、我の力はすべてここに集約する』

「指輪を創れるのは、聖女だけじゃないのか?」

『創造する、という意味ではそうだ。しかし、もうひとつ、指輪を生み出す方法がある。高位魔族の死だ』


 僕は黒い指輪に視線を落とした。


「それって……」

『貴様に使われるのは不本意だが、使うといい』

「素直じゃないんだから。って、痛いな。蹴るなよ」


 たとえヴォダさんが裏で糸を引いていたのだとしても、魔王ノークが人間の王国へ侵攻した極悪非道な魔王である事実に、変わりはない。

 ほんの少しだけ同情する気持ちがない訳ではない。

 だけど、それを口にしたら、今まで魔王と戦ってきた櫻子さんたちを否定することにもなってしまう。

 ……難しい。

 ちくりと胸が痛む。これは、ずっとしまっておかなければならない感情だ。

 僕は、指輪を左手の中指にはめた。


「この指輪、どうやって使えばいいんだ?」

『我には人間が分からぬ。魔法創造については、スルンツェ族の長にでも訊け』


 スルンツェ族。三魔族のうち、まだ会ったことのない種族だ。

 プリテル曰く、一番人間の見た目から離れている。それこそ魔物みたいな感じだろうか。


「分かった。行ってみるよ。ありがとう」

『貴様のためではない。これは、我が一族の復讐のためだ』


 ふん、とノークは鼻を鳴らした。



「ありがとう、プターク」


 プタークの背中を撫でて、プラート・シーから預かっていた干し餌をくちばしへと運ぶ。待っていたかのようにすぐに食べてしまった。


「プラート・シーによろしく」


 言葉を理解しているらしく、頷くような仕草を見せて空へ飛び去るプターク。


 スルンツェ族の聖樹は、国。

 どの種族のものよりも太く大きく、その枝の下すべてがひとつの国。その名をレスゼレニー。

 今、僕が立っているのは生い茂る葉の際辺り。幹は遥か遠くに臨むことができた。


 フヴィエズダ族の聖樹は毒霧に覆われた森に生えていた。

 メジーシュ族の聖樹はヴォダさんの手で滅んでしまった。

 人間にとっての聖樹はどんなものなんだろう?

 この戦いが決着がついたら、櫻子さんに見せてもらえるか訊いてみよう。

 そのためには、僕が僕であると証明して、ヴォダさんの企みを阻止しなければならない。


 爽やかな風がどこからか吹いてきて、頬を優しく撫でる。一歩踏み出すと、やわらかな土の感触が足元から伝わってきた。土のにおいは、雑味がなくて心地いい。

 プラート・シーは移動手段だけでなくて服と靴も用意してくれた。

 黒地に紫の縁取りの、ナポレオンジャケットみたいな上着。中のシャツもズボンも、着心地のいい素材。ブーツは軽くて、動きやすい。

 というか、服に関しては子どもの頃のノークのものらしい。

 あんな廃墟に、よく残っていたものだ。着替えたときに変だと散々言われたけれど、僕は普通の人間だから当然だろう。王様の服なんて似合うはずもないのだ。


「ノークが消滅したときは、ちゃんと言わなきゃな……」


 聖樹の前でノークと会話した内容は、すべては伝えていない。伝えてはいけないとも、思っている。

 もしかしたら、プラート・シーもプラート・シーで、解っている部分もあるのかもしれない。


 葉の隙間からは木漏れ日。枝を積み、組んで作った小屋のようなものが点在している。スルンツェ族の住居だろうか。

 プラート・シーからは、幹へ向かって歩いていけばスルンツェ族の長に会えると教えられている。ただ、スルンツェ族の特徴については情報を与えられなかった。

 自分の目で見て確かめろ、と言われてしまったのだ。

その通りなので、僕は素直に従った。


『メジーシュ族の生き残りがいたとは』


「!」


 風が集まって声になった、気がした。

 少し離れたところから、青い毛並みの狼がこちらを見ていた。


『この地に何の用だ。返答次第では貴様を殺す』


 喋っているのは確かに青い狼だ。

 つまり、スルンツェ族っていうのは……狼?

 明らかに敵意を向けられている。ノークめ、スルンツェ族に一体何をしたんだ。ノークじゃないかもしれないけれど、可能性が高いので一応恨んでおく。


「ま、待ってくれ。僕は人間だ!」


 息継ぎせず一気に説明する。相手は狼だ。飛びかかられたら勝てる気がしない。

 伝わるかは分からないけれど、僕は手のひらを狼に向けてひらひらしてみせた。敵意はないということを理解してもらうためだ。


『信じられるものか。見た目は人間族でも、気配はメジーシュ族だぞ』


 狼は僕を睨んだまま動かない。

 口が動かないから、声は人間とは違うところから発せられているんだろうか。その鼻が、ひくひくと動く。


『……確かに、貴様の魔力は人間並みしか感じられない。おかしな話だ』

「そうなんです。だから、僕は魔法の使い方を知りたくて、ヴルクビリィ様に会いに来ました!」

『何故人間ごときがヴルクビリィ様の名前を知っている?』


 うわ。久しぶりの、話が通じない感じ。きりきりと胃が痛くなってきた。

 どうする? どう説明する?

 戦乙女の名前を出せば納得しててくれるだろうか。いや、それで櫻子さんがここに来てしまったら困るのは僕の方だ。

 まさか戦闘以外で窮地に陥るなんて思ってもみなかった。僕が言葉に詰まっていると、青い狼の後ろからさらに大きな影が現れた。


『モドリー』

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