3-3 怯むことすら、馬鹿馬鹿しい。
ナデジェはからからと笑っている。
動悸は激しくて耳の奥がうるさいし、全身は震えている。これが剣なら、死んでいた……。
それでいいのか? いい訳がない。
「待ってくれ! もう一回!」
食い下がったときだった。
……どごんっ!
下から伝わってきたのは大きな衝撃。
「地震っ?」
「違います、これは」
櫻子さんが立ちあがる。
ばりばりっ、がしゃんっ!
「ガラスの割れる音です……!」
不穏な物音に悲鳴が混じり始める。
「降りましょう」
櫻子さんと顔を見合わせて僕たちは頷いた。階下へ降りる扉を開けると、階段の下の方に見えたのはこの場に似つかわしくない銀色の髪。メジーシュ族だ。
そして、白い煙。
「走らないように、急いで!」
「やばい。これ、現実なのかよ」
「こら! 動画は撮らないで避難に集中しなさい!」
教師たちは大声で、外へ避難するよう呼びかけている。
泣いている女子もいれば、スマホで撮影している呑気な奴もいる。
凍りついたように動かない。足が、頭が。これは、目の前で起きている紛れもない現実なのだ。さっき、死んでたまるかと決意したばかりなのに、情けない。
ぽん、と背中に手が触れた。
「叶汰くん、行きましょう」
櫻子さんだった。まったく怯えていない。櫻子さんは、恐ろしいほどに冷静だった。
おかげで僕も、ようやく手に感覚が戻ってくる。
すっ、と櫻子さんは右手を宙に伸ばした。
「〈跪きなさい、コンソーラシオン〉」
その手に生まれるのは、女性では扱えなさそうな大きな剣。
太くて長いブレードはぎらりと銀色に輝く。花の絵が彫られていて、雄々しさよりも美しさがある。
ポモッツで剣を向けられたときは、殺されかけていて見る余裕がなかったけれど、櫻子さんらしい凛々しさを兼ね備えた武器だ。
そして、鍔には立派な桜色の宝石が輝いている。
「行くわよ」
ナデジェはナデジェで、棒はいつの間にか弓矢に変わっていた。
「まずは皆の避難が最優先です。その後、メジーシュ族と戦いましょう」
「こんな狭いところでサクラが戦ったらガッコウが倒壊しちゃうもんね」
「そ、そういう意味じゃありませんっ」
櫻子さんが慌てる。待ってくれ。本気を出した櫻子さんは、そんなに強いのか?
「それにしてもオディはどこで油売ってるのかしら。出番がないまま終わっちゃうわよ」
……僕、は。
黒い棒を握りしめる。
まだまだふたりの足手まといでしかない。だからこそ、少しでも足手まといにならないようにがんばろう。
怯むことすら、馬鹿馬鹿しい。
「行きましょう」
「うん!」
階段を駆け下りていくと、だいぶ避難は済んでいるようで、教師が各教室のチェックをしているところだった。
「神石、福山。まだいたのか? 早く校庭に出なさい」
「はい。すぐに出ます」
大人たちも多少はパニックになっているようで、ナデジェの存在や僕たちの手にある武器に気づかない。
いくつかの教室を確認して誰も逃げ遅れていないことを確認する。
煙だと思っていたものはどちらかというと霧のようで、吸い込んで倒れるような類のものではなさそうだった。
急に、櫻子さんの気配が鋭くなる。
「来ました」
廊下の奥から、ゆらりと現れたのはメジーシュ族だ。
その瞳孔に光は感じられない。
「とりゃあっ! ……って、え?」
勢いよく踏み出す。棒を振り下ろす。ところが、メジーシュ族は僕の攻撃を避けることなく受け、ぐにゃりと潰れた。
しゅわしゅわと崩れて溶ける、下級魔族テムノッタ。
「……テムノッタになって、消えた……?」
同じようにナデジェや櫻子さんの攻撃を受けたメジーシュ族もまた、テムノッタになって消滅する。
「まさか、あの動画も全部テムノッタだったっていうことなのか」
「ちょっと! こんなの見たことも聞いたこともないわよ」
メジーシュ族もどきは次から次へと湧いてくる。まるで、ゾンビみたいだ。
「これではきりがありません。発生源を突き止めましょう」
「手分けして探すしかないか。カナタは無理しないでね」
「う、うんっ」
三手に分かれて、僕は渡り廊下へ駆け出す。じわり、と手に汗が滲む。
「……あれは、もしかして」
かつて僕が櫻子さんの魔法を見てしまったのと同じ場所に、誰かが立っていた。
黒のロングワンピース。思い当たるのはひとりしかいない。プラート・シーだ。
「棒よ、伸びろっ」
声に応じて棒が伸びる。僕は地面に棒の先端を落として、勢いよく――二階の渡り廊下から中庭へと飛び降りた。
「いてっ」
着地の衝撃が地味に痛いけれど、歯を食いしばる。
「お前の仕業か、プラート・シー!」
その背中へ向かって叫ぶ。
ゆっくりとプラート・シーは振り返った。ふわり、とスカートが空気を抱いて揺れる。
とすっ。
「……え?」
僕の胸を何かが貫いていた。それが刃物であると認識した瞬間、口から血が漏れる。
「かはっ」
力が抜けて膝をつく。前のめりに倒れそうになったところを受け止めたのは、プラート・シーだった。
「お迎えに上がりました。ノーク様」
その声を最後に、感覚はなくなった。
◆
「……ここは……?」
うっすらと目を開ける。土のにおいを感じて視線を下げると、僕は、両手両足を縛られて地面に転がされていた。
「目が覚めたか」
僕を見下ろすようにして立っていたのは、プラート・シーだった。両腕を組むその表情は冷たい。
視線を動かす。なんとなく、ポモッツへの入り口となる公園の池だと分かった。
「ノーク様を返してもらおう」
「僕に言っても無駄だ。ポモッツへ行って、魔王はもう指輪に封印したんだ」
僕は精一杯虚勢を張ってみることに決めた。時間さえ稼げば、櫻子さんたちが来てくれるに違いないからだ。
「……何だと?」
「ははは。残念だったな」
「下手な嘘だ。ノーク様の魂は、未だに貴様から感じられる。戯言も大概にしろ」
「嘘なんかじゃないさ。大賢者の魔法で、僕から追い出して、指輪へ封印したんだ」
初めて、プラート・シーの瞳に動揺が浮かぶ。
「その指輪は勇者オドゥバーハが持っている。」
「ノーク様は、生まれながらにしてメジーシュ族の王なのだ。人間ごときに、簡単に封印されるものか」
「だけど、生まれたときに聖樹が枯れてしまったんだろう? それは王の資質がないって判断されたってことじゃないか。……痛っ」
思いっきり蹴りつけられて、目を閉じる。
「貴様に何が解る! 衰退する一途を辿っていた我が一族へ、再び誇りを取り戻そうとされていた、あの御方の苦悩が……」
ざしゅっ!
プラート・シーが後ろに飛びのくのと、地面に矢が突き刺さるのはほぼ同時だった。
ナデジェの放った矢だ。
「叶汰くんを解放しなさい!」
こちらへ向かってきているのは、櫻子さんとナデジェ。
「一旦引く。しかし、私は決してあきらめない」
「ま、待て!」
ナデジェが空へ飛んだプラート・シーへ向かって弓を引く。間に合わず、矢は貫通して空へと消えた。
「叶汰くん。大丈夫ですか? 危害は加えられていませんか?」
櫻子さんが大剣をしまって駆け寄ってくる。
ナデジェも弓矢を消し、小さなナイフを取り出した。僕の拘束を解いてくれる。
「大丈夫。迷惑かけてごめん」
「迷惑だなんて、そんなことはありません。無事でよかったです」
僕は起き上がって、赤い痕の残る手首を見つめた。
踏みつけられたことは、……僕のなかにまだ魔王の魂がいると言われたことは、黙っておく。
「学校はどうなった? 皆は?」
「けが人はいなかったようです。それから、警察や消防車が来ていました。校舎が一部損壊しているのもあって、明日からしばらく臨時休校になりました」
黄昏に染まりはじめた空を見上げる。不自然な裂け目は依然としてそこにある。
「そっか……」
うなだれていると、スマホが震えた。
『点呼のとき校庭にいなかったけど、大丈夫か?』
届いたメッセージは佐伯のものだった。
「佐伯くんですか。優しいですね」
僕は頷いて、メッセージを返信する。
『ごめん、大丈夫。ちょっと前に気分が悪くて早退してたんだ』
『じゃあ、これ見てないよな。知ってたか? 天使の正体』
次に送られてきた動画に、櫻子さんと僕は目を疑った。




