3-1 距離が! 距離が近い!
◆
月曜日の放課後は、定例の文化祭実行委員会。
櫻子さんと僕はクラスの代表として会議に出席していた。
「二年一組は、ファンタジーをコンセプトにした異世界カフェをやります」
僕の発言を議長が黒板へ書き記す。
「つまり、コスプレカフェということですか?」
「大体そんなところです」
委員長の質問へ、貼りつけた笑顔で答える。
皆、オドゥバーハのことはきれいさっぱり忘れていたのに、やたら乗り気なのである。
クラスの中心にいる女子たちと同じ熱量なのは佐伯だ。コンセプトカフェとは何かという資料まで作ってきていた。さらに、この衣装を作るためにはこのサイトを参考にしろだの、布を買うならここが安くていいだの、多弁に説明。普段は引きそうな女子たちも、佐伯に対してどんどん質問を浴びせていた。
「分かりました。まぁいいでしょう」
あっさりと受理され、次のクラスの発表に移っていく。
僕たち以外にカフェをやるクラスもあれば、お化け屋敷や脱出ゲームなんていうクラスもあるようだ。
無事に全クラス分の企画内容を発表し終わると、今日の会議は終了した。
「帰りましょうか」
「うん、そうだね」
荷物をまとめて、立ち上がる。
先に教室から出た櫻子さんの後に続こうとしたときだった。
「福山ー。これ知ってるか?」
話しかけてきたのは、去年同じクラスだった山口だ。
「最近出回っている怪奇映像」
「明らかにこの辺りで撮られたものなんだ」
名前を知らないもうひとりの男子が説明を被せてきた。
「怪奇映像? 合成じゃなくて?」
「まぁまぁ、まずは見てみろよ」
山口のスマホを覗き込んで、僕は目を疑った。
褐色の肌、銀色の髪。僕はその姿をよく知っている。ポモッツ三魔族のひとつ、メジーシュ族だ。
背景には何となく見覚えがある。駅の裏側の少し治安が悪いエリアだ。
そこに、メジーシュ族が猫背でだらんと腕を下ろして立っていた。
メジーシュ族はプラート・シー以外いなくなったんじゃないのか?
ざわりと嫌な予感がして押し黙っていると、廊下にいた櫻子さんが戻ってきた。
「何を見ているんですか?」
近く、どころではない。わずかに体が触れた状態で、櫻子さんは山口のスマホを覗いてきた。長い髪の毛がさらりと音を立て、僕の手のひらを撫でるように揺れた。
「わっ?」
距離が! 距離が近い!
「神石さんも見てよ」
櫻子さんとはろくに話したことなどないはずの山口が馴れ馴れしく勧めてくる。
再生中の動画では、メジーシュ族が何もない地面から次々と生まれてきていた。そして彼らは何をするでもなく空へと昇っていく。
おそらく、吸い込まれているのだろう。空の裂け目に。
「……!」
櫻子さんが顔を上げて僕を見つめた。僕と同じ理由の動揺が表情に浮かんでいる。
「やばいだろ、これ」
山口が呑気に同意を求めてくる。
「そ、そうだな」
僕もなるべく呑気な声で返しつつ、尋ねた。
「その画像、どこから拾ってきたんだ?」
「SNSだよ。検索したら出てくると思うぜ」
「そっか。ありがと」
山口は僕たちの動揺には気づいていないようだった。
櫻子さんと僕はなんとなくもやもやしながら廊下を歩く。
「不可解なことばかりですね」
ぽつりと櫻子さんが呟くので、小さく頷いた。
「叶汰くんの瞳の色といい、メジーシュ族の出現といい、これから何が起きるのか不安です」
瞳が朱くなってしまった件については、櫻子さんの魔法で元の色に見えるようにしてもらっている。
僕たちは『赦しの桜』の前を通って、それぞれ、下駄箱で靴を履き替えた。
しとしとと雨が降っている。どんよりとした曇り空にも不自然な裂け目は消えない。
何も、解決していないのだ。
一度だけ、櫻子さんは単独でポモッツへ行った。だけど空の裂け目については分からなかったという。さらに、ヴォダさんはもうベルブラドにおらず、オドゥバーハにも会えず、収穫もなく戻ってきた。
それ以来、事態は膠着したまま。
ぱっと開いた傘は、櫻子さんはペールピンク、僕のは黒色だ。
自然に並んで歩きはじめる。ポモッツから戻ってきてから、なんとなく帰りは一緒に駅まで歩くようになっていた。
まるで、本当に付き合っているみたいだ。
未だ櫻子さんに告白できていない僕ではある。すべて解決するまでは、こちらも膠着状態なのだった。
「梅雨入り前なのに、最近、雨続きだよね」
「卯の花腐し、というそうですよ」
櫻子さんが説明してくれる。梅雨入り前の長雨を、卯の花が腐ってしまうと喩えてそう呼ぶらしい。
「へぇ。博識だ」
「勉強は好きなんです」
櫻子さんらしい答えだ。
「世界に対する解像度が、上がると思うんです」
「解像度?」
「言葉や意味を知っているだけで、世界の見え方って変わるんです。ポモッツへ行ったときに、改めてそう感じました。気づくことも選択肢も増えると知って、必死に言葉を覚えました。書くのは苦手ですが、文字は読めるようになりました」
ポモッツでひとりだけオルロイに飛ばされて、市場で戸惑ったことを思い出す。
見た目でなんとなく分かっても、不安はすさまじいものがあった。
「すごく説得力のある話だ……」
しみじみと同感。
「将来の夢も、その延長線上だったりする?」
「そうですね。きっと世界遺産も同じだと思います。言葉を知ることは文化を知ることですし、時代背景を知ることは、なにげない石ころが宝に変わることでもあります」
静かに耳を傾ける。櫻子さんといるといろんなことが輝いて見えるようだった。
十分ほど歩いたところで、駅が見えてきた。
電車通学の櫻子さんは定期券を鞄から取り出した。僕は電車に乗らず駅の東側へもう少し歩くので、どんなに名残惜しくても改札でお別れだ。
「じゃあ、また明日」
「はい」
姿が見えなくなるまで見送ってから、振り返って歩き出す。
空にはまだ、不自然な裂け目が残っている。
◆
「ただいま」
誰もいないはずの家に帰ってくると、リビングからテレビの音が聞こえてきた。
「おぅ、お帰り」
カーペットにジャージ姿のまま寝ころんでいたのは、兄の悠だ。無精ひげも生えていて、全体的にだらしない。酒を飲んでいないだけ、ヴォダさんよりはまともに見える。
「何でいるんだよ」
「朝からずっといたぞ。有休消化で今日は休み。なぁ、なんか食べるもんないか?」
「学校から帰ってきたばかりの弟に言う台詞じゃないだろ、それ。ちょっと待っててくれよ」
急いで部屋へ荷物を置きに行ってジャージに着替えると、僕はリビングへと戻った。
お笑い番組の再放送が流れていた気がしたけれど、今度は時代劇に変わっている。
冷蔵庫からキャベツとにんじんと玉ねぎを取り出す。
それから豚バラ肉。適当に野菜を切って野菜炒めを作りながら袋ラーメンを煮て、盛り付けるときに野菜炒めを上にどっさりと載せた。湯気が濃厚でいい香りだ。
「はい、できたよ」
「おぅ。ありがとう」
のそのそと悠が起き上がって、ダイニングテーブルに着いた。
「いただきます」
ずずず、と悠は勢いよくラーメンをすすった。
「美味い。やっぱり叶汰の料理は世界一だな」
「そういうことばかり言ってるから彼女と長続きしないんじゃないか?」
「うるせぇ。そういうお前こそどうなんだよ。その指輪、彼女とお揃いなんだろ?」
「なっ……!」
指摘されると思っていなかった部分を突っ込まれて、僕は言葉を失った。
「どんな子なんだよ。お兄ちゃんに教えろよ」
「あほか! ちょっと走ってくる!」
悠の文句はすべて無視して家の外に出る。
ポモッツから帰ってきて、もうひとつの変化。僕は基礎体力をつけるためにランニングを始めたのだ。
「よし」
軽くストレッチをしてから走り出す。いつもは河川敷を走るくらいだけど、今日は、確認したいことがある。
駅の裏側、メジーシュ族の動画が撮られた辺りだ。
ホームレスや不良がたまり場にするような、ちょっと地面の汚れた小さな広場。
酒を飲んで地面に寝そべっている人から距離を取りつつスマホを取り出す。山口から教えてもらった通りにSNSを検索すると、すんなりと目的の動画は出てきた。
「やっぱりメジーシュ族、だよな……?」
「はぁい、カナタ!」




