2‐7 僕の今の望みは何だ?
くくく、とヴォダさんは楽しそうに笑った。
「いいねぇ、若者は勢いがあって。じゃあ、おじさんが少しだけ手助けしてあげよう」
外に出ようか、と言われた僕たちは指示に従った。
眩しさに目を細める。
ただ、砂漠だけどイメージより暑くないのは、空に浮かんでいるのが太陽じゃないからだろうか。
「さて、坊やにこれからやってもらうことを説明しよう」
ヴォダさんが僕と向き合う。
その迫力に、一瞬気圧されそうになった。
だらしなく座っていたから気づけなかった。ヴォダさんはオドゥバーハよりも背が高くて肩幅が広い。立っているだけでかなりの威圧感がある。
「そんなに脅えなくても、取って喰ったりしないさ。ボクはね」
ヴォダさんが口角をにっと吊り上げた。
そして、手に持っていたクゥワストの瓶を、僕の影の上でさかさまにした。
どばどばどば。さっきまであんなに大切に飲んでいた酒を、影へ流していく。
「メジーシュ族の王を君の影から切り離す。君は、その影をクゥワストの瓶へ詰めなさい」
「ど、どうやって……」
「方法は君自身に尋ねなさい」
ぬるり。僕の影が、僕の形を止めた。反射的に僕は腰から棒を取り出して伸ばす。
どさっ!
「叶汰くん!」
櫻子さんが叫ぶのと同時に僕は砂にしりもちをついていた。
「君は手を出しちゃあいけないよ、戦乙女」
地面と水平にした棒を両手で必死に握りしめる。
「な、何だよ、これ……」
ごくり、と唾を飲み込んだ。
影は曲がった剣の輪郭をとって僕に振り下ろされていた。実体がないとは思えないくらいに強い。
飛びのくように、剣は一旦棒から離れた。そして、空中でもやになる。
影を瓶に詰めろ、だって? 一般人にはハードルが高すぎる!
ちらりとヴォダさんを見ると、口元に笑みをたたえたまま両腕を組んでいる。
「いいのかい? よそ見をしていて」
「わっ!」
僕は右手で棒を持って、襲ってきたもやを振り払う。
魔王は言葉こそないものの、自由に形を変えてくる。今度は腕の形になって、僕の首を絞めてきた。
「くっ……」
ぎりり、と締めつけが強くなっていく。息が吸えなくて顔が歪む。
影なのに実体があるなんてありえない。いや、実体があるなら、物理攻撃も効くのか?
「くそっ」
がっ! 思い切って噛みついてみると、思惑通り影はぱっと離れてくれた。
咳き込みながら立ち上がって、剣を構えるように両手で棒を持ち直した。
剣道の授業、真面目に受けておけばよかった……。変な後悔が湧いてくる。剣道とは違うから、役に立つかどうかは分からないけれど。
きらきらと、棒が煌めいた。何かを僕へ語りかけているように見えて、息を呑む。
この世界に来て、強くなりたいと、思った。
僕の今の望みは何だ? ……変わっていない。それは、櫻子さんを守ることだ。
イメージするんだ。
僕が水で、魔王は油。決して混ざり合うことは、ない。
分かり合えることなんて、ありえない。
「うおおおおお!」
僕は思い切り棒を振り下ろして――影に触れた瞬間、巻き取るように棒を動かした。
さながら、綿あめを作るように。
僕が願えば、その通りになるのだという確信を、棒に込める!
「僕からいなくなれ!」
自分でも何を言っているのか、やっているのか分からない。だけど、影はちゃんと棒に巻き取られた。
……棒に、黒い影がまとわりついてゆらゆらと揺れている。
ヴォダさんがクゥワストの瓶の口をこちらへ向けた。
「成功だよ。よくやった」
僕が棒の先を向けると、しゅるしゅると影が瓶へと吸い込まれていく。
……しゅぽんっ!
影が入りきったところで、ヴォダさんは瓶に蓋をした。
「〈新たな器に収まりたまえ、ドブロ・ウノツ〉」
それは、ヴォダさんの魔法だった。
クゥワストの瓶が青い光に包まれて、みるみるうちに形を変えていく……。
ぽとり。
「指輪……?」
砂の上に落ちたのは黒くてシンプルな指輪だった。
のろのろとしゃがみ、ヴォダさんが指輪を拾う。
「手をだしてごらん」
「は、はい」
両手を差し出すと、ヴォダさんは指輪をそっと手のひらの上に置いてくれた。宝石はついていないけれど、蔦のような模様がぐるりと刻まれている。
「メジーシュ族の王はここに閉じ込めたよ」
「あ、ありがとうございます」
「本当に、封印できたんですね……」
櫻子さんが指輪を覗き込んできた。
「こ、こんなにあっけなくてよかったんだろうか」
「ヴォダ様は大賢者ですから。それに、一番の功労者は叶汰くんですよ」
櫻子さんの表情からは心底ほっとしている様子が伝わってきた。
「世界は、守られました。これで真の平和が訪れます」
オドゥバーハとナデジェも、深く頷く。
「やった……」
実感は湧かないけれど、これで、櫻子さんが魔王に命を狙われることはなくなったのだ。
鼻の奥が熱いけれど、なんとか堪える。だって、誰も泣きそうになっていないのだ。
ヴォダさんと視線が合うと、手をひらひらと振ってきた。
「その指輪は好きにするといいよ。記念に持って帰ってもかまわない」
「いや、流石にそれは……」
ひょい、と指輪を取り上げたのはオドゥバーハだった。
「それなら俺が貰おう」
「ちょっと、オディ! この期に及んで危ないことはさせないわよ」
「気になることがあるので調べさせてもらうだけだ。いいな?」
「あっ、うん……」
「調べ終わったら、ゆくゆくは神殿で封印する」
ぎゅっとオドゥバーハは指輪を握りしめた。そして、僕を睨んできたような……気がした。
びくっ、と肩が震えた。
……いや。皆、この状況に安堵しているのだ。ここで言うべきじゃない。僕はぐっと、言葉と違和感を飲み込んだ。
だけど、今のは、何だったんだ?
◆
櫻子さんと僕は、その晩、ベルブラドから元の世界へ帰ることになった。
「プラート・シーはまだサクラを狙っている。くれぐれも気を付けろ」
「はい。ありがとうございます」
そうなのだ。
忘れかけていたけれど、問題は、すべて解決していない。
プラート・シーは僕のなかに魔王がいると思っている。そこをどうにかしなければならない。
右薬指の指輪は静かに光っている。櫻子さんの魔法で、黒い棒を封じている。おかげで元の世界でも使えるらしい
最後の脅威が去るまで、僕は櫻子さんを守るために全力を尽くす。
……ただ、それが解決したら、櫻子さんとの関係は終わってしまう。
急に、胸が痛んだ。
いやいや。それはいいことなんだから、素直に喜べ。
それにまだ、文化祭実行委員がある。めげるな、福山叶汰。
「カナタ、どうしたの? 青くなったり赤くなったり」
「な、何でもないよ」
「ふーん」
ナデジェは振っておきながら興味がなさそうだった。そのまま、櫻子さんを抱きしめる。
「また近いうちにジェクイへ行くから」
「はい。待っています」
櫻子さんも、ナデジェを抱きしめ返した。
きょろきょろと、僕は辺りを見渡す。
「あれ? オドゥバーハは?」
「オディはやることがあるって言ってどっか行っちゃった。薄情でごめんね」
「ナデジェが謝ることじゃないよ。あいつはそういう奴だろ」
くすっと櫻子さんが笑みを零した。
「仲良くなったんですね。うれしいです」
「そう見える……?」
「はい」
満面の笑みで頷かれたら、もはや否定することはできないのだった。
ようやく、櫻子さんの顔をまともに見られるようになった気がする。
僕の、大好きな人。
◆
「……くん。叶汰くん。起きてください」
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、櫻子さんが僕を覗き込んでいた。
「わっ!」
前言撤回である。
目覚めてすぐ至近距離の櫻子さんは心臓に悪い。どっどっど、と心臓が激しく脈を打っている。
「どうやら半日しか経っていないみたいです」
櫻子さんがスマホを開いて確認する。僕もスマホを取り出すと、ようやく電源がついた。
……そういえば、魔王が封印されたということは。櫻子さんへ、告白できるんじゃないだろうか?
実行するかどうかは、置いておいて。だってまだ、文化祭の実行委員会がある。フラれて気まずくなるのは、絶対に避けたい。
「明日も学校だし、帰ろうか」
僕もスマホを確認する。この時間ならまだ双子たちは帰ってきていないはずだ。晩ご飯の支度をして、日常に戻ろう。ところが。
「叶汰くん……!」
僕を見た櫻子さんの表情が驚きに満ちていた。
「その、瞳の色は……」
僕が尋ねるよりも先に、櫻子さんは制服のポケットから手鏡を取り出して僕へと向けた。
ぞわっと背筋が粟立った。顔は僕自身のものだというのに、瞳の色だけが、魔王と同じ朱色に染まっている……。
「どういうことだよ。ヴォダさんの力で、魔王は封印できたんじゃなかったのか」
指先がどんどん冷えていく。
「叶汰くん。空に……」
櫻子さんが夕焼け空を指差した。
「なんで、まだ裂け目がっ」
空にはプラート・シーが示した裂け目が残っていた。今にも闇が零れ落ちそうな、不自然さ。
喉が詰まって、それ以上何も言うことができなかった。
~第二部 完~
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明日の更新回から第三部に入ります。
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