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2‐6 耐えろ、僕。ツッコんだら負けだ。

「サクラ! カナタ!」


 ナデジェの声が乾いた空気に響き渡った。


「よかった。無事だったのね」


 がばっ。ナデジェが櫻子さんへ飛びつくのは挨拶代わりのようだ。抱きしめてから、ナデジェは櫻子さんと手を繋いだ。


「ヴォダ様の家へ案内するわね。オディもそこにいる」


 僕はふたりの後を黙ってついていく。

 集落の中ほど。ひときわ大きなドーム状の家に入ると、ぶわっとお酒のにおいがしてきたので反射的に鼻をつまんだ。

 絨毯の敷かれた中央、だらしなく座っていたのは赤ら顔の男性。

 無精ひげが若干だらしなく見える。長い灰色の髪はひとつに束ねられ、ゆるやかに床へと流れていた。まるで着物のような服を着ていてるけれど、はだけて胸元が見えている。

若干じゃなく、とんでもなくだらしない。ただ、やけに立派な革の手袋をはめていた。指の先が開いているタイプだ。

 本当に酔っぱらいじゃないか!

 引き気味の僕とは対照的に、櫻子さんは深く頭を下げた。


「お久しぶりです、大賢者ヴォダ様」

「戦乙女か。かしこまったのはよしておくれ。おや?」


 細い瞳が、櫻子さんの持っているクゥワストを認識すると、かっと見開いた。

 プリテルと同じ濃いブラウンだ。


「それはクゥワストだね。愛娘のところへ寄ってきたのかい」

「はい。プリテルはよろしく伝えてと言っていました」


 ヴォダさんの目尻の皺が深くなる。


「そうか……あの子が……」


 一方、オドゥバーハは壁際にもたれかかるようにして立っていた。


「だから遅かったのか? 待ちくたびれたぞ」


 ふん、とオドゥバーハが鼻を鳴らす。

 僕は包帯を巻いて怪我だらけではあるものの、服に隠れて見えてはいない。余計なことは言わない方がいいだろう。


「ふむふむ。坊やが魔王の器にされてしまった不憫な少年かい」

「初めまして。福山叶汰と言います」


 ヴォダさんは早速クゥワストを開けている。話を聞いているか不安になってきた。


「まずはその傷を癒してくるといい。話はそれからだ」

「えっ」


 どうして、僕が怪我をしていることが分かったんだ?


「カナタ? 怪我をしているのか?」

「あ、うん。ちょっといろいろとあって……」


 ヴォダさんはクゥワストをあおりながら、片目を瞑ってみせた。



 ぴちゃん。


「なんで……砂漠の中に……?」


 そして僕は案内されるまま、ぬるめの温泉に浸かっていた。

 ガラス張りの建物は砂漠において違和感しかない。

 子どもの頃に行った植物園みたいな空間に、プールのような温泉があった。

 砂漠って水がないから砂漠なんじゃないのか? 流石、ファンタジーの世界。なんでもありということか。とろみのついた湯はちょうどいい温度で、体がぽかぽかしてくる。においは何となく薬草っぽい。

 ポモッツへ来てから、水浴びか意識がないかのどちらかだった。まさか風呂に入れるとは思っていなかったからありがたくはあるけれど、変な感じだ。


「この湯治場はヴォダ様の魔法でできている」

「オドゥバーハ!」


 広すぎる浴槽に現れたのはオドゥバーハだった。

 分かっていたけれど体の厚みが違う。筋肉質で羨ましい。

 もちろんオドゥバーハは僕のささやかな羨望など知らない。ざぶん、と温泉に入ってきて、僕の隣に腰を下ろした。


「フヴィエズダ族の聖樹へ行ったらしいな」

「あ、うん」

「無謀だ」


 ぴしゃりと言われて、僕は口元まで湯に浸かる。


「あの聖樹の周りに漂う毒は人間へ幻覚を見せる。無事に帰ってきたことの方が驚きだ」


 褒めているのか、皮肉なのか。


「あそこへ行って無事でいられるのはヴォダ様くらいだろう」


 暗に自分でも無理だと言うのがオドゥバーハらしいといえば、らしい。

 ざぱんっ。不意に、オドゥバーハが僕の腕を掴んで湯から持ち上げた。


「わっ? いきなり何するんだよっ」

「見てみろ」

「!」


 とろみの滴り落ちた腕の傷が、みるみるうちに治っていく。


「こ、これって」


 やっぱり、ただの温泉じゃなかったらしい。痛みもいつの間にか引いていた。


「この後、何が起きるかは分からない。だからこそ万全な状態にしておくんだ。どうせ、全身ひどい筋肉痛だろうが」

「どうしてそれを」


 ふん、とオドゥバーハは偉そうに言い放つ。


「お前が見るからにひ弱だからだ」


 ……言い返せないのが、辛い。


「僕はオドゥバーハとは違うんだ。戦いのない世界で、戦いを知らずに生きてきたんだから」

「そうだな。だが、それを言い訳にしていいのか?」


 ぐぅの音も出ない正論だった。オドゥバーハは、僕を見ない。空を見上げて左腕を空へと突き出した。


「俺は孤児だった」


 メジーシュ族との戦争に巻き込まれたと聞いている、とオドゥバーハは続けた。


「孤児院で暮らしていた俺をやたらと気にかけてちょっかいをかけてきたのが、領主の娘であるナデジェだった」

「……だから、弟みたいな存在だと言ってたのか」


 妙に納得する。いつも偉そうな態度のオドゥバーハが、ナデジェに対して頭の上がらない理由も。

 そして、密かに自分と重ねる。僕も両親はいないし、保護者は歳の離れた双子だ。


「文字の読み書きはナデジェに教わった。辛いことと腹の立つことしか知らなかった俺に、楽しいことや嬉しいことを教えてくれたのはあいつだ」


 珍しく、オドゥバーハの口調がやわらかい。きっとふたりにしか見えない絆があるのだろう。

 僕は黙って、オドゥバーハの語りに耳を傾ける。


「あるとき、王都から神官が派遣されてきた。勇者をこの地で目覚めさせたという神託があったらしい。孤児院には来ないと聞いていたので他人事だと思っていたら、ナデジェに無理やり選定の儀式へ連れて行かれた。そこで、この指輪に選ばれた」


 勇者の指輪が、宝石が、きらりと強い輝きを放った。

 最初に見たときダイヤモンドだと思ったけれど、ダイヤモンド以上に眩しいような気がした。

 普通の人間がレプリカでも欲しいと思わせるのは、指輪の美しさだけじゃないのかもしれない。オドゥバーハが、救国の勇者が持っているからこそ、なのだろう。


「力だ。力さえあれば、俺みたいな人間でも他人を守ることができる。だから俺はこれからも自らを鍛え続ける」


 なんだか、誤解していたのかもしれない。傲慢なだけかと思っていたけれど、オドゥバーハはオドゥバーハなりに勇者として真面目にやっているのだ。


「……恥ずかしいな。いろいろと中途半端で、助けてもらってばかりな自分が」


 ぼそりと呟いていた。


「鍛えることだ。体も、心も」


 決して馬鹿にすることなく、オドゥバーハは僕の本心を拾ってくれた。



「似合ってますね」

「そ、そうかな」


 湯治場を出て、用意されていた服に着替えた。

 ゲームのモブキャラみたいな地味な上着とズボンだ。土みたいな色だけど着心地はいい。オルロイの街でもこんな格好をしている人たちをたくさん見たので、庶民の服なんだろう。

 なお、目の前に座っているのはモブキャラではない。勇者、戦乙女、魔法戦士、大賢者。

 服の素材からして違う気がするけれど、深く考えないことにする。

 そして、目の前の大賢者ことヴォダさんはクゥワストを手放そうとしない。耐えろ、僕。ツッコんだら負けだ。


「坊や、手を出してごらん」

「は、はい」


 言われるがままに左の手のひらを差し出した。

 ヴォダさんが右手のひらを合わせてくる。節くれだった、分厚い手だ。酔っているからなのか熱を持っている。僕も風呂上がりだから温かいのに、それよりも熱い。

 そして、僕なんかとは違う、闘いを知る人間の手だった。


「水というのは」


 ヴォダさんの口調が落ち着いたものに変わった。

 ぞくりと震えたのは、心だろうか。


「流れているうちは腐らない。大河しかり、生物しかり」


 ぶわぁっ。


「!」


 体の内側が、波打つのが分かった。流れている。僕のなかで、水が――

 ふわり、と髪の毛が逆立つ。


「流れの悪いところがあるねぇ。分かるかい」


 問いかけに黙って頷く。


「叶汰くん……っ?」

「大丈夫、櫻子さん」


 感じる。解る。まだ、魔王は僕の内側にいたのだ。

 ヴォダさんは僕から手を離して、心臓の辺りを指差した。


「面白いことに、メジーシュ族の王と君は融合しはじめている。王の声が聞こえなくなっているのもそのせいだ」

「ゆ、融合……?」

「そんな……! どうやったら切り離すことができるんですか……!」


 僕以上にうろたえているのは櫻子さんだった。今にもヴォダさんに詰め寄りかねない勢いだ。


「水と酒を分けるのは難しいが、水と油なら何とかなるかもしれない。坊やのココ次第だねぇ」


 ココ、とつつかれたのは心臓。


「僕がポモッツへ来た目的は、魔王を消滅させる方法を知りたかったからです。お願いします。方法を、教えてください」


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