2-2 このままだと櫻子さんに殺されてしまう。
プリテルと名乗った女性は、僕へ顔を向けた。一瞬たじろいでしまったけれど彼女はにこっと微笑む。
「助かったよ、アリガトウ」
「ど、どういたしまして。じゃあ」
なんとなく関わってはいけないような気がして場を離れようとしたところで、プリテルに肩を掴まれた。
プリテルはじっとフードの中を覗き込んできた。
瞳の色はブラウン。櫻子さんともナデジェとも、まとっている雰囲気が違う。
「……あんた、もしかして」
すっとプリテルの瞳が細くなる。
「メジーシュ族の生き残り?」
敵意とも好意ともつかない問いかけに冷や汗が噴き出た。
「え、えぇと」
「まぁいいや。助けてくれたお礼もあるし、ついてきてちょうだい」
有無を言わせないとは正に今の状況だ。プリテルは僕の肩から手を離してくれたものの、今度は腕を掴んでくる。
ど、どうしよう。
プリテルが歩きはじめるので僕もしかたなくついていく。到着した先にプラート・シーがいませんように。
この世界では、こういうとき誰に祈ればいいんだろう。
櫻子さん、だろうか?
◆
プリテルに連れて行かれた先は、鬱蒼とした森の入り口にある石造りの塔だった。
おかしな位置から煙突が空に向かって伸びている。
「入って」
残念ながら僕に拒否権はなかった。
「……お邪魔します」
入り口にはキッチンのような水回り付きの設備があって、奥に部屋が続いていた。
ダイニングルームのようで、木製のテーブルと椅子が二脚。壁際の棚に短剣や棘のついた球のような武器が並べられている。
「護身用さ。物騒な輩が多いから」
「はぁ」
生返事。よほどの相手じゃない限り、プリテルの方が強そうな気がする。
僕たちは向かい合って座った。
この世界に来て初めて腰かけた椅子は、硬いけれど快適に感じた。足がじわじわと疲れを訴えてくるので、こっそりと太ももをさする。
「オルロイは初めて?」
「オルロイ?」
「この街のこと。ということは初めてだね。名前は?」
「えぇっと、……」
僕はようやくフードを外す決意をした。
視界は明るくなるけれど、気持ちは伴わない。ぼそりと呟く。
「……覚えていないんだ、何も」
まだプリテルが敵か味方か分からないのだ。情報はなるべく伏せておいた方がいいだろうし、反対に、この世界の情報でもらえるものは引き出しておきたかった。
「へぇ。勇者から生き延びたときに記憶喪失にでもなったのか。まぁいい。辿り着いたのがオルロイでよかったよ」
「なぜ?」
「ここはフヴィエズダ族の街。珍しく人間と魔族が共存している場所で、人間にとっては人気の観光地なんだ。かくいうワタシも半分は魔族で半分は人間」
えっ、と驚きが口から漏れてしまった。
「魔族のハーフ? どこからどう見ても普通の人間じゃないか」
「そんなことすら覚えてないのか? 人間族以外で知性の高い種族はメジーシュ族、フヴィエズダ族、スルンツェ族。まとめて魔族って呼ばれている。ワタシはフヴィエズダ族のハーフ」
初めてもたらされた情報だった。
僕は黙ってプリテルの説明に耳を傾ける。
「フヴィエズダ族は人間族と見た目は変わらないんだ。で、アンタはメジーシュ族。耳が尖っているのが特徴かな。対して、スルンツェ族は、見た目に関してはほぼ獣に近い」
「僕を初めて見たときに、生き残り、って言ったのは?」
「メジーシュ族は数百年の長きにわたっていたくさんの人間を屠って、悲劇を産んできた悪の代表みたいな存在だ。それが勇者と呼ばれる人間によってみるみるうちに劣勢になって、戦乙女の登場で最終的に全滅した……そう、聞いている。まさか生き残りがいたなんてね」
ごくり。つばを飲み込む。
櫻子さんのポモッツでの旅が、そんな壮大な話だったとは。
だからこそ、人々は勇者や戦乙女にあやかったアイテムを楽しそうに購入していたんだろう。
「……それって、もし僕が勇者に見つかったら、殺されるっていうこと?」
僕のことをどこかに突き出すつもりなのか、という質問の意図が伝わったらしい。
プリテルはふっと笑ってみせた。
「安心しな。ワタシは中立だから」
「……ありがとう」
このままベルブラドの情報も聞き出そうと口を開いたとき。
ぐぅ。僕のお腹がなって、プリテルがきょとんと目を見開いた。
「おや? 腹が減っているのかい?」
「あの、これは、その」
「いいよいいよ。簡単なものなら出してやれるから、食べな」
プリテルは立ち上がって部屋の奥の方へと歩いて行った。ということは、入り口の設備はキッチンではないらしい。
取り残された僕は天井を見つめた。日本では決して見ることのない石造りの建物は、とても頑丈そうに見える。
壁際の武器は物々しいオーラを放っている。プリテルが使いこなしているのは簡単に想像できた。
今のところ、プリテルは敵ではなさそうだ、と思う。
食事をいただいたら、ベルブラドの場所を訊いて出発しよう。こうしている間にも事態は進行しているのだ。
「お待たせ」
数分で芳ばしいにおいと共にプリテルが戻ってきた。テーブルに置かれた木の皿に載っているのは、薄焼きのパンのようなものの上に焼いた肉のような何か。においを嗅ぐと、豚肉に近い気がした。えぇと、確か。僕は記憶を探る。
「ラッパス?」
「食べ物の記憶はあるのか? そう、ラッパスのニーパだよ」
ニーパ、がパンということか。きっと、たぶん。
プリテルはニーパを二つ折りにして口に運んだ。僕もそれに倣う。
「いただきます」
がぶ。
「……薄味だね」
しまった。厚意で出してもらったというのに、正直に感想を述べてしまった。薄味というか、味がない。ぬるい。さらに正直に言うと、美味しくない。なんだこれは。
「食べられれば何でもいいだろ」
「そんなことはないよ!」
二口目には手をつけず木の皿に戻す。プリテルが目を丸くした。
「もしよかったら僕に作らせてもらえないか」
「アンタ、料理ができるっていうの? 記憶喪失なのに?」
「た、たぶん」
プリテルは不躾な客の申し出に対して、考え込んでくれた。
「うーん。まぁ、いっか。面白そうだし。それなら、まず裏の井戸で水を汲んできてもらえるかい」
「分かった」
プリテルから水汲み用の桶を借りて、家の外に出た。
空を見上げる。
ふたつの球体はずっと位置を変えずに存在している。
建物の裏手へまわって、井戸らしきものの前に立ったときだった。
「叶汰くんを返しなさい!」
聞き覚えのある声が後方から響いた。
どさっ。倒される瞬間になんとか背中を地面につける。ころころと桶が転がっていった。僕に馬乗りになっていたのは、櫻子さんだった。
いや、櫻子さんだけど櫻子さんじゃない。
僕が魔王の姿になってしまったのと同じように、櫻子さんも戦乙女の姿になっていた。
セーラー服ではなく、白地に蔦のような金色の縁取りがされたワンピース。マントの端がふわりと地面に降りて、僕の足にかかった。
セーラー服とも私服とも違う。かっこよさというか、凛々しさがある。
その瞳に、射抜かれる。言葉が、自然と零れた。
「戦乙女……」
ぞくり、と全身が震える。
目と目が合う。櫻子さんの瞳に、うろたえる魔王が映っている。
金属の擦れる音。櫻子さんが鞘から剣を抜いたのだ。両手で柄を握って、剣の切っ先を僕へ向ける。
「今度こそ覚悟しなさい」
「待って、話を聞いてくれ。この世界で目覚めたときはもうこの姿だったけれど、魔王の気配は少しも感じられないんだ」
まずい。このままだと櫻子さんに殺されてしまう。
「僕だよ。福山叶汰だ。見た目は魔王になっているけれど、中身は僕のままだ!」




