1‐11 躊躇なんかしない。
「サクラの料理はポモッツでたくさん食べたから、もう十分だ」
なるほど。僕も僕で、いろいろと察した。
「ほんとだーっ! カナタ、お菓子も上手なのね!」
「ナデジェ!」
さらに加わってきたのはこの場にいないはずのナデジェ。きちんとグレーのセーラー服を着ている。
「あっ……」
櫻子さんの眉が下がった。
僕が渡したばかりのビニール袋は空になっていて、ナデジェが口をもごもごと動かしている。
「さ、櫻子さん。クッキーならいくらでも焼くから」
「わたし、そういえば職員室に呼ばれていました。ちょっと行ってきますね」
たたたっ、と櫻子さんは教室から出て行った。
「……そんなにクッキーが食べたかったのか」
「えっ。カナタ、何言ってるの?」
さくさくと音を立てながら元凶ことナデジェが言い放った。
「ナデジェ。お前がどうしてここにいるんだ」
「心配だからに決まってるじゃない」
制服姿のオドゥバーハとナデジェが向かい合うと、なかなかの違和感と迫力だ。
「プラート・シーがいつ仕掛けてくるか分からないもの」
「ふたりとも、その話はここではちょっと」
屋上へ行こうかと思ったけれど櫻子さんがいないと鍵を開けられない。困った。
「……!」
「来たわね」
ところが僕が提案するより先に、オドゥバーハとナデジェは教室から飛び出していた。
「ま、待ってふたりともっ」
慌てて僕も教室から出る。
全速力で追いかけても追いつくことはできなかった。
ただ、ふたりがスリッパのまま出たのは校庭だった。視線の先を追って息を呑む。
「空が……空が裂けてる……?」
青空に、ハサミで切り裂いたような違和感が浮かんでいた。その奥は濃い闇。夜とも違う、おどろおどろしさがある……。
「ほぅ。あれが見えるか、ノーク様の器よ」
銀色の髪、朱い瞳。褐色の肌に尖った耳。
スリットの入ったロングワンピース。校庭に立っていたのは、プラート・シーだった。
「プラート・シー!」
「我が一族に伝わる伝承を調べて確信を得た。すべては時間が解決してくれる。貴様はノーク様によって完全に支配され、肉体を食い破ってノーク様は再び誕生するだろう。その前触れが、あの裂け目だ」
ぶわぁっ、と強い風がプラート・シーから吹く。
反射的に両腕を顔の前に出していた。それでも耐えられなくて僕は倒れる。
「叶汰くんっ」
異変を察知した櫻子さんが昇降口から走ってくる。
プラート・シーは、櫻子さんをすっと指差した。
「戦乙女よ、目覚めたノーク様は手始めに貴様を殺す。本来であれば私が貴様を殺したくてたまらないが、ノーク様はご自身で貴様を滅ぼしつくしたいだろうからな」
にやり、とプラート・シーの口元が愉快そうに歪む。
「次に私が貴様たちの前に姿を現すとき、貴様たちは物言わぬ屍と化しているだろう。それだけは残念でたまらない」
「待てっ!」
オドゥバーハが吠える。
しかし、再び強い風。舞い上がる砂埃。プラート・シーの姿は、そこにはもうなかった。
青空に、不自然さだけを残して。
◆
いつの間にか、空は鮮やかな夕焼けに染まっている。
僕たちが向かったのは、公園の池だ。
「反対です!」
「だけど、このまま僕がこの世界にいる方が皆を危険に晒すんだ」
「叶汰くんがポモッツに行ったとき、どうなってしまうか予想もつかないんです。危険です。だめです」
「まぁまぁ、サクラ。冷静に考えてみなさいよ」
「ナデジェに賛成だ。ポモッツに戻った方が、俺たちは真の力を発揮できる。それに、一度は魔王を倒している」
「ですが……」
珍しく、櫻子さんだけが反対意見側にいる。
オドゥバーハのホームステイ事件のように無理やり説得してこようとしないのは、頭のどこかで、その方がいいと理解しているからなのだろう。
そうだとしたら、僕は押し切るまでだ。
「僕なら大丈夫だから」
「大丈夫じゃないかもしれません」
「叶汰くんに何かあったら……わたしは……」
泣きそうになっている訳ではないのに、櫻子さんの声が震えていた。
「僕に何かあったとしても、櫻子さんを殺させはしないから」
「はいはいあんたたち、そこまでにしておきなさい」
ナデジェが僕たちの口論を止めてくれる。
「しかし、俺やナデジェ、サクラはいいとして。カナタが何事もなくポモッツへ行けるかどうか
保証がないのは事実だな」
オドゥバーハが何かを思い出そうとして首を回した。
「万が一離れ離れになったときの集合場所を決めておこう。……何だ、カナタ」
「いや、今すごく勇者っぽく見えて」
「忘れたのか? 俺は救国の勇者だ」
真顔で返されてしまうので、ぐっと言葉に詰まった。
「ソウデシタ。仰る通りでゴザイマス」
そして、櫻子さんは、『戦乙女』であり『聖女』なのだ。
「……そうだな。ベルブラドのヴォダという男を訪ねてくれ。ポモッツの全てを知る大賢者だ」
「えぇー」
不満の声を上げたのはナデジェだ。
「えっ、今のはどういう意味」
「酒臭いから苦手なんだよね……」
説明になっていない上に、若干の不安が生じる。酒臭い? それでも救国の勇者が言うのだから間違いないのだろう。
「オドゥバーハ。もし僕がはぐれる側だったら、櫻子さんのことをしっかりと守ってくれ」
ふん、とオドゥバーハが鼻を鳴らした。
「当然だ。俺のことをなんだと思っている」
「勇者だよ」
僕たちはどちらからともなくグータッチをする。
きっと、はぐれるとしたら僕の可能性が高い。
覚えておかなければ。ベルブラドの、ヴォダという男の名前を。
「……しかたありません。向かいましょうか、ポモッツに」
櫻子さんと、オドゥバーハと、ナデジェ。目を合わせながら、しっかりと頷いた。
「〈開きなさい、クワリール〉」
そして生まれるのは、眩い光の柱――
ごくりと唾を飲み込む。
櫻子さんにとっては、ここからすべてが始まったのだ。
光が僕たちを照らす。あまりの明るさに、全身の毛穴が開くような、ざわりとした感覚が生じる。
「行くぞっ!」
躊躇なんかしない。僕は、僕にできることを見つけるんだ。
~第一部 完~
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