蟹 誕生
小説においては読者と作者は距離を置くべきだと思うので、もし感想頂いても有り難く拝読しますが、返信は行いません。
どうかご容赦ください。
蟹は大層な難産の末に生まれてきた。
もうこれ以上は母体の命が危ないと、医師が蟹の頭をつかんで無理矢理に産道から引っ張り出した。
生まれてきた蟹を見て誰しもが絶句した。
生まれてきた赤子はあまりに蟹だった。
体も頭も横に広い。手足は短い。鼻はどこにあるかわからないぐらい低く目は離れている。人の赤子とは思えないぐらい平たい。
難産だったのも道理だった。
人の体はこんな平たいものを産めるようにできていない。
産湯を使い臍の緒の切った蟹を蟹母に抱かせると蟹母は無言で真顔になった。蟹母は平凡な容姿の女性だった。特に平たくはない。蟹父も普通の人だった。
どんな子でも自分たちの子だ、そう思えばどんな子でも可愛い、はず。
心に盛大にバイアスをかけて、生まれたばかりで元気に泣く赤ん坊を見ても蟹は蟹だった。
とても蟹な女の子だった。
性別を知って蟹父も蟹母も真顔で見つめあった。
人は見た目が全て。
男の子でもこんなに蟹では苦難の連続が予想されるのに、女の子ではどれほどの苦難が押し寄せるのか。
「なあ、この子ってほんとに俺たちの子か?」
蟹父は真顔でそう言った。
「なに? わたしが浮気したからこんな子が生まれたっていうの?」
蟹母は感情のないのっぺりした口調で返した。
「いや、そうじゃなくて病院で赤ちゃん取り違えとかたまにあるだろ? この子は間違えたうちに来たよその子だよ。うちの子じゃないよ」
それを聞いて、蟹母はやおら生気を取り戻した。
「ええ、きっとそうよ。絶対そうだわ!」
「俺、看護婦さんに言ってくるわ」
残念ながらその日その時間に生まれたのは蟹だけで、新生児の取り違えは起きようもなかった。
それもこれはうちの子じゃないと病院に再調査を要求する蟹父蟹母と新生児の取り違えはないと主張する病院側は揉めに揉め、DNA検査にまでもつれ込んだ。
その結果は蟹父蟹母ともに血縁あり。
間違いなく蟹父蟹母の愛し子だった。
蟹父は愕然とした。
病院の取り違えでないにしろ自分の子ではないのは確実、実子ではないことが証明されたなら不倫を理由に離婚して慰謝料を請求するつもりだった。
蟹母が不倫して蟹を産んだと思い込んでいたので、愛はあっという間に冷めていた。
遺伝子検査の結果が出るまで、まったく会話のない生活だった。
それが実子。
砂上の楼閣とはこれか、と。ひたひたと押し寄せる波が砂の城をさらっていく感覚を味わった。
「ねえ、この子赤ちゃんポストに捨ててきて」
何日かぶりの会話はそれだった。
「無理だよ。こんな子、特徴がありすぎてすぐに俺たちが捨てたって分かるよ」
「そう、それもそうね」
諦めに包まれた蟹父と蟹母がベビーベッドで寝ている蟹を覗きこむ。
両親の不穏な心と裏腹に、寝ている蟹は平たくて安定性抜群だった。