P.035 地獄の印刷作業(後編)
「さて、これからこの印刷機を使っていくけれど、見たところだとかなり難しそうだろう?」
「そうですね。スイッチがいろいろとガチャガチャしてて……」
咲柚さんの指示通り、今は部長から印刷についての指南を受けている。私情を挟むべきでない仕事をしている最中だからすんでのところで踏みとどまっているが、この人に関して、思うこと考えることは様々あるし、油断すればすぐに思考の渦に呑み込まれそうだ。指南を受ける距離感も相まって、より気を付けなければならない。
「でも、私たちがこの作業で使うのはほんの一部分の機能だけなんだ。それだけしか必要がないし、なにより下手にそれ以外の機能を使ったら大目玉を食らって印刷室使用禁止にもなりかねないからね」
「なるほど。それじゃあ、今から俺はその一部分の機能に着目して、印刷の時はどのようにすればいいか見ればよいと」
「そういうこと!毎度のことながら話が早くて助かるよ」
部長は、事が自身の思い通りに進んだようでとても喜ばしそうで、愉快の波に浸っているようである。それだけ嬉しそうにされると、俺もやりがいというものを感じてしまう。しっかり技術を学ばねばと思う。
「それじゃあ、実際にやりながら説明していくよ」
そしてここから、部長の指導が始まった。途中で言葉の説明は挟んでいるはずであるのだが、それでも部長の作業の手には一切の迷いや滞り、もたつきがない。単純に『すごい』と感じてしまう。
元版作って試し刷りをし、部数分のA4用紙の片面を仕上げていく。ここまでは文字通りの流れ作業として部長は取り組んでいた。しかし、印刷機から手を放す。
「さて南原君、ここでひとつ注意点だ。いま私は、片面の印刷を終えただろう?」
「そう、ですね?だから次は用紙を裏返してセットして、裏面に印刷していく。じゃないですか?」
「そうその通り!この先は君が言ってくれた通り至極単純だ。しかしここで気を抜いてはいけない。なにを、と言えばだね――」
「やりようによっては裏表で上下が反転してしまう。だから差し込む向きに気をつけよ、ですか?」
「んんん大正解!反転するとページとしては使い物にならなくなって、紙数百枚をいとも容易くゴミ箱という名の墓地に送ることになるからね」
「なんとムダで悲惨な……」
用紙の表裏の切り替えを手動でやる以上、確かにそこは注意しなければならないだろう。現に、部長の表情もまた先ほどのような迫真のものになっている。紙の命を犠牲にしないためにも、ミスは絶対にしてはならないようだ。
「そうなんだ悲惨なんだ……だが紙と同じく印刷した当人も悲惨な運命をたどることになるからね?」
「へぇ……?」
「私も昔失敗して200枚の紙を墓地送りにしたけれど、そうしたら私の心も一度墓地に……」
「あぁーよぉく分かりましたこれ以上は言わなくて大丈夫ですよ十分に気を付けますぅ!」
どうやら、文芸部たる以上、紙の一枚一枚を大切に扱えということなのか。あるいは紙と運命共同体ということか。途中で身振り手振りまで使って部長の経験談を遮ったが、印刷で下手をこいたら、当人の心の命は刈り取られるらしい。刈り取る具体的なイメージは湧かないが、やっぱり怖いな、この部活。
その後、紙の表裏を変えて裏面を印刷。手練れ、かつその悲惨な末路経験者の部長なだけあって、手早い転換でありながら同時に向きの確認も怠らない。そうして再び印刷スタートのスイッチを押せば……
「どれ、これで両面1ページの完成だ」
「おぉ……なんというか、それっぽいですね」
「あはははっ!ペラの紙一枚だけ仕上がっても、確かに反応に困るだろうね。でもすべてのページが仕上がって、一冊に綴じるときには、得も言われぬ達成感でいっぱいになるよ」
「そんな、ものですかね」
仕上がったとある1ページの束を抱えて、俺の反応を全力で笑ったり、柔らかく俺に語りかけたりと、忙しないことよ。
「さぁ。そんなところで、南原君、ここからやってみようか!」
「はい、よろしくお願いします」
そんな熟練して機械的でありながら、後輩への温かみある指導が一通り終わったところで、俺にバトンタッチ。心の命を刈り取られることだけ細心の注意を払って、やっていくとしよう。
※
「篤哉くんそっちは終わりそう?」
「あぁまぁ、このページの裏面ができたら終わりだな。もう元版無いだろ?」
部長直々の指南のあと、部長も咲柚さんも文化祭全体打ち合わせのために印刷作業から離れてしまった。とはいえ、特に印刷の段階で難しいこともなく、1年のペーペーたちで黙々と進行していた。
しかしずっと立ちっぱなしで印刷すること数十ページ。同じ作業の繰り返しでもあるため、脚と腕と脳と、身体の至る所が疲労してきた。
「そうねぇ。こっちはもう両面終わったから、出来上がったページ束持ってちゃうわよ」
「おぉう。よろしくぅ。ドジっ子して紙ばらまくなよォ」
部屋を去ろうとする幼なじみに冗談めかして忠告。その後をついて、「待ってるよ~」と告げながらまりあも去る。残されたのは俺一人。少し、焦りの感情も現れてくる。だからとにかく手早く紙の束を裏返して、仕上げにかかる。
スタートボタンを押して、最終ページの印刷開始。どっどっどっと、リズミカルに排出されていく紙の一枚一枚を眺めながら印刷の終わりを噛みしめていく。よっぽどこれまでの作業が、自分の心と身体にとって、じっくりながらかなり苦痛なものだったらしい。
「っしゃ終了」
感じる任務達成の悦び。しかし、完成品を取り上げて一瞥して、気づく。
「ふん、ふん、ふん、ふん……ん?」
何があっても起こしてはならないことを、起こしてしまったようである。
証拠隠滅だ……
「うおぉ!?」
「これはこれは、どうしたのかな南原君?」
「見たところ大分慌てているようだが、何かあったなら報告をするんだな」
その起こしてはならないことをやってしまったという事実を消すために、印刷機から離れようとしたら……先輩ふたりはいつのまにか戻っていたらしく、俺の背中を確保していた。
退路は塞がれた。横に逃れようとしても通せんぼをされる。そしておまけに、ふたりともニコニコとしている。俺の手元を見つめて。
「原因はこれかなぁ?」
「あっ!」
まるで小学生にでも語り掛けるような口調を披露すると同時に、部長は俺が持つ紙の束を素早く奪う。スリの所業だろうか……
「あ、あぁ……」
そしてそれを奪われたことは、俺の過失が詳らかにされることを意味する。終わった。
「ふむ、なるほど。これはいけないね、南原君。完全にアウトだ。椛島くんもそうは思わないかい?」
「どれどれ…………おっと、これは全くいかんな南原」
審判二人による厳正な判定の結果、俺はアウト、らしい。
「この印刷し損じた紙200枚とお前は……墓地に送らせてもらう。裏表で文字方向が反転した紙の一枚一枚と、運命を共にするがいい」
「い、いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!どうして俺がッ……!」
そして俺は、悲痛の叫びをあげ、腕を先輩たちにホールドされてどこかへ連れられていく。その様相は、まるでギャンブル狂い……!某地下労働行き……!
「シュレッダー起動、と」
~閑話~
「うっ……うっっ……ごめんなぁ……」
「あの。梨子先輩、篤哉はいったい……」
「気にしないが吉だよ、本荘くん」
「咲柚先輩、篤哉くんはどうしちゃったんですか……?」
「まりあ、奴は当然の報いを受けているだけだ。放っておいてもすぐ立ち直る」
一足遅れて篤哉が私たちに合流したと思えば、なぜかみっともなく泣き喚いていた。おまけに、『ごめんな』と、篤哉は抱える紙束に対して謝罪もしている。ドン引きする前に、駅前でナンパに遭うような、そんな煙たさを真っ先に抱いた。
その篤哉の不審者たる所以を、ともにやって来た先輩ふたりに尋ねてみる。が、私もまりあも適当にあしらわれて終わり。真相は闇のまま、篤哉は女々しく次の準備をこなす。次第に恐怖心すら湧いてきた。
~閑話休題~
「よし、ここからはいよいよページを一冊にしていくよ」
「しかしなぜ一列なんです……」
部長の宣言通り、個人的に紆余曲折した印刷を経て、ようやく製本が始められる。
2列分の机を向かい合わせて結合。その机上にホテルのビュッフェかのように表紙、1ページ目から裏表紙まで整然と並べられている。この場におけるとりあえずの部員たちのミッションは、机を周回して、表紙から裏表紙までの数十枚の紙を重ねて綴じる一歩手前の状態にすることだ。はじめから順序立てて重ねていくから必要以上に秩序を乱すのはよろしくないが……某ロールプレイングの竜クエストのような一糸乱れぬ隊列の組み方をしていることに関しては、理解が追い付かない。
「それじゃあ、裏表紙まで組み込んだらすぐ横の机に縦横交互にしてどんどん積んでいこう」
「はーい……」
しかし丁寧に丁寧に、火葬をしていたため、部長はじめ先輩の発想へ具にヤジを入れるほどの体力もなく。疲労を見え隠れさせながら、思考停止で部長の後に付いていく。なお俺の後ろには咲柚さん、光、まりあの順番で付いている。なぜ先輩にサンドされているのだろうか……
「南原、ボケっとするな」
「すっ、すみません……」
俺のすぐ後ろは咲柚さん。当然ながらもたつけばすぐに非難が飛ぶ。こうして、慌てて部長を追跡するように進む。
「って、ん?」
気を取り直して、紙を拾い上げていこうとするものの、取れない。指を頻りにスライドさせるが、めくれない。
「早くしろぉ南原ァ!」
「後ろ詰まってるんですけどぉ!」
「申し訳ありませんッ!」
そしてまたもや背後から詰められる。今度は先輩だけではなく幼なじみからもだ、圧力が2倍になると、焦燥感もそれに比例して2倍となる。早く逃げ出したいのが……
「クソがッ!チクショウ!」
1枚のページがめくれても、またその次のページをめくって拾上げるのに苦労する。とどのつまり、グダグダというわけだ。
「あっ……うっ……クソッ……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
とうとう、発狂した。あまりの停滞具合に。紙のめくれなさに。周りの目もはばかることなく。俺は、ついに爆発したのだった……
※
「さぁ完成だ!どうだいこの光景は!壮観だろう!」
そう言って、部長は出来上がった部誌の山を目の前にして、某マグロを高く競り落とす寿司屋の社長よろしく腕を広げる。かなり気分は上々らしい。
「大変でしたけどね」
「そうかな?私はとても楽しかったよ?」
「大変は大変だけど、それ以上に達成感がとってもありますね。篤哉はそう思わない?」
「いや……」
実際、光の問いかけに対して首を横に振ることができるかといえば、そうはできない。確かに、これまで一人で書いてきた小説作品が、一冊の部誌の一部として組み込まれるのは、相当燃えるものがある。
そして、その部誌の一冊を手に取ると、その達成感は如実に表れてくる。横顔美しい少女が描かれた表紙をめくれば、その先にはさまざまな物語が一文字一文字存在感を放って読むものを引き付ける。もちろん、手探りながら書き上げた俺の作品もまた然り。
なにかと地獄のような場面がいくつもありはしたが、自分たちの手で一冊の本を仕上げたという事実だけで、少しは報われるような思いはある。部長の言うことは、寸分の狂い無く正しかった。得も言われぬ達成感でいっぱいだ。
「まぁ、ちょっとは良かったんじゃないですかね」
「どの口が言ってるんだ」
「あたっ」
本心を隠して気障な発言をすると、咲柚さんから平手で後頭部をどつかれる。いつものことながら、その強さは多少の加減が見られる。咲柚さんもまた、機嫌上々らしい。
「まったく、生意気なこと言うんじゃないの」
「でも、良かったって思えたならよかったよ、篤哉くん」
「そうだね。この達成感、やりがいを糧にこれから先も文芸部の従順ないぬ……じゃなくて大いに活躍してもらえることを願っているよ」
「今、俺のこと犬って言おうとしましたね?え?俺社畜ならぬ部畜にさせられようとしてます?」
小ボケか本心か、頭のネジが5本か6本くらいぶっ飛んだとしか思えない発言を部長が投下する。それに対して、俺は変わらない熱量で狼狽。周囲のメンバーはこれでもかと笑う。なんともまぁ、にぎやかしいことよ。ただ最近では、その底抜けに輝く雰囲気を欲しているのも、事実ではあるが。
「失礼しますよ」
しかし瞬間、その賑やかさを断つ男の声が会議室内に木霊する。その声は、俺たち文芸部が深く印象に刻み付けているものであった。
う~んまた間隔が空いてしまった……お待たせ申し訳ないです。週1ペースで投稿出来たらいいけどなぁ。
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