P.034 地獄の印刷作業(前編)
~9月8日~
「すみません遅れまグエェッ!?」
俺は、部室にあった『職員室前の会議室にGO!』の書き置きを見て会議室に急いで飛んできた。そして扉を開けて一歩踏み出すとどうだ……何かに脚が引っかかってこけた。少々命の危機さえ感じた。あの書き置きは、罠への誘因だったのか?
「遅いぞ南原。30秒遅刻」
その“何か”の主は、もはやお決まりの咲柚さんであった。パイプ椅子にふてぶてしく腰掛け、脚を組みながらこちらにその片方を突き出す。なんと悪役のようであろうか。
「もう光とまりあは来てるぞ」
「そんな、30秒って誤差……いやなんでもないです上官」
咲柚さんは遠い目で見つめる同期ズを指さす。視線が冷たい。ほんの数十秒遅れただけなのに……咲柚さんに盾突くことも脳裏をよぎったが、力量の差ゆえにやらない方がいいことは賢明であるのは明白だ。
「というか俺ばかり糾弾されてますけど、部長と風芽さんは」
「風芽先輩はクラス準備のほうで抜けられないんだって」
「梨子先輩は寺矢先生と相談中よ。ヒラの部員と責任重大な先輩たちを同じ土俵に立たせるんじゃないっての」
「大変申し訳ありませんでした……」
「篤哉くんすごくきれいな土下座してる……」
もはやテンプレートと化しているが、今日も今日とて熱い手のひら返しをお見舞いしていく。日本伝統のスタイルでね。
「そこにいる変なヤツはほっとくとして、今日は部誌を刷っていくぞ。みんな……心してかかるように」
「え?」
腑抜けた光の反応が会議室に木霊する。土下座から直った俺も理解が追い付かない。そして『心して』と告げた咲柚さんの目元は、なぜか青ざめる一方。
「咲柚さん?」
「まぁいい……1年3人は職員玄関前に届いてる用紙の束を印刷室に運んでくれ。箱に『文芸部用』っていう指示書が貼ってあるやつだからな。こちらは印刷室で準備しているから、よろしく頼む」
そう言って、哀愁たっぷりに咲柚さんは会議室を出ていった。いつもは恐怖する対象としてこちらから見えている彼女が、今だけは哀れに見えてしまう。
「……とりあえず、運びましょ。職員玄関よね」
「うん……行こっか」
同期ズもそんな雰囲気を汲み取ってか、いつにもましてもの静かだ。アイコンタクトを取って任務に向かい始めた2人のなすがまま、俺もその背中を追う。このときの俺らは、まだ気づいていなかった。咲柚さんの『心して』という言葉の真意に…… 気づかないまま、文芸部の深淵へと足を踏み入れたのである……
※
「これじゃない?」
「これだな?」
目的のブツは、はよ運んでくれやと言わんばかりに玄関の陰に追いやられていた。底面は内容物と同じくA4サイズ、高さは40センチメートルほどの水色の箱、それが4箱だ。
「自力でもイケるんじゃねぇか? まりあの台車を待たずしても」
「いやでも、紙の束ってかなり重くなるわよ? 絶対腰にくるって……」
「大丈夫だろ。まだピチピチの高校生男子だぜ? そう簡単には腰いわせねぇぜ」
「そのピチピチのって言い方、気持ち悪いしすごく腹立つわね……」
なにやら横にいる横暴幼なじみの不興を買っているようだが、そんなものは気にしない気にしない。不興を買うなんて、これまで何百何千とあったのだからな!それよりも、目の前の箱に入った用紙束の方が重要だ。
見たところ、2段重ねが2つセットになって置かれているが、持ち上げるためのくぼみや持ち手は付けられていない。運ぶこと自体は易々とできそうだが、床から持ち上げるのが少々厄介そうではある。
「どれ、よっしょ」
「ねぇ、本当に大丈夫? なんだかすごく嫌な予感がするんだけど……」
「ちとヒヤヒヤしすぎだっつーの。お。どれ、いけっかな」
光の姐さんの心配を余所目に、箱を相手にして試行錯誤。そして俺は、箱の片端を指を滑り込ませられるだけ持ち上げ、箱の中心まで両手を忍び込ませる。こうすることができれば、勝利確定だ。
「ほらほら、ここまできたらイケる。まりあの台車は残りの箱を載せ――」
パキッ
「あっ」
「えっ? なに?」
不意に鳴る破裂音に似た弾ける音。それは、重なった2箱を勢いつけて床から持ち上げた瞬間のことであった。もう深く省察するまでもなく、アレだ。
「わりぃ、俺死んだ」
「篤哉がほんとに腰いわしたぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」
正直、俺はこの上なく後悔した。曲がりなりにも、昔から付き合いがある幼なじみの、信頼に足る忠告を…… 光の悲痛な叫び虚しく、俺は箱と相討ちの形で床へと崩れる。
※
「いやぁ……本当にお騒がせして申し訳ないです」
「全く、あの箱の重さをなめてもらっては困るよ。あれを1箱ならまだしも、2箱なんて無茶以外の何物でもない」
「そうよ!だから最初から私の話を素直に聞けばいいのに……」
「でも大ごとにならなくてよかったよ。もう大丈夫そう?」
俺は腰をヤって、もといた会議室へ搬送、いや、連行されていた。さすがに、いわゆるぎっくり腰というやつを真に負ったわけではなく、思い込みで一大事を抱えてしまったように幻想を抱いただけのことだった。だらしなく椅子にはもたれるが、腰には瞬間的に少し大きな負荷がかかっただけで、身体はとりあえず五体満足である。しかし、光といつの間にか合流していた部長からはお説教、まりあからは無償のお情け、紙の束に敗北したという事実という、三重の精神的ダメージを加えられている。消えたい。
「ほら、大丈夫かい」
「あっ……」
すると部長はこちらに寄ってきて、『立ち上がれ』と言わんばかりに手を開いて差し出す。その繊細で華奢な手先を見て、俺はさまざまな思いがよぎった。その思いとは、部長の手では俺の質量を支えきれないだろう、ということには収まらない。部長が恋焦がれた人や、部長が抱えているかもしれない想い、さらに俺自身の部長に対する熱情についても……この期に及んで、だ。俺が考えることからひとまず引き下がったことたちである。
だから、その助けには頼らなかった。またループに足を踏み入れそうだから。
「さてっ……」
「ん。がんばるとしよう!」
部長の文字通りの手助けを無視するように、勢いよく椅子から立ち上がる。結局負傷者にはならなかったから、パワー抜群の噴出。目前の部長はのけぞる。が、やはりいつものペースは崩さない。
「梨子さん、印刷機問題なしです」
「あぁ、椛島くんありがとう。それじゃあ、みんな隣に移るとしよう」
そもそも俺にあれこれと考える隙など与えられぬまま、部誌製作は次の工程に進もうとしていた。ならば俺は、その流れのまにまに従うのみだ。
※
「はじめて学校の印刷室に入ったけど、なんか暑いね」
「それは、印刷機が3台も4台もあったらね……」
まりあが言う通り、学校の印刷室のような教員専用スペースというイメージが強い場所に立ち入るというのは、新鮮である。そして事実、暑い。部屋の中央に会社やコンビニにありそうないかついコピー機が3台と、部屋の端には背の高い、コピー機とは思えないビルのような機器が1台。それから発せられる熱量は、計り知れない。
「さて、うちの部誌は文章とイラストの二部構成だけれど、ここでは白黒の印刷しかできないから、私たちはここで文章の印刷をしていくとするよ」
「イラストの印刷は、職員室のカラー印刷機で寺矢先生が命懸けでやっているぞ。後で丁重に感謝しておくように」
「やっぱりこの部怖いんですが……」
部長も咲柚さんも、鬼気迫るような迫真の表情でこれからの方針をひよこの俺たちに伝えていく。俺は腰をヤりかけ、先生はなぜか命を懸けてイラストを刷り、今いる印刷室は若干の蒸し風呂の様相を呈している。どんな地獄であるか、どうして恐怖しないことがあろうか。入部からまもなく半年、まだまだ俺の知らない文芸部の世界があるようだ。
「それじゃあ今からは印刷機の使い方をレクチャーするぞ。まりあと光は私、南原は梨子さんに付いてくれ」
「「はーい!」」
「そこだけ幼女やめろってふたりとも」
対して同期ズは恐れるものない明瞭な返答を先輩に聞かせる。この場に小児性愛者がいたら、間違いなくふたり諸共餌食になっていたであろう萌えを孕んだ声だ。ただし『やめろ』とは忠告しつつ、同期片割れは見た目と絶妙にマッチしているから苦でもない。かと言ってもう片割れの幼なじみも、ある部分に着目すれば……神がかった整合性だ。
「……なによ」
「いや。お前天才だな、と」
「私は前触れなくそう言うアンタが怖いわよ、篤哉」
どうして光の野郎は俺や弥のよからぬ思考に対してアンテナが敏感なのか。今回は滑稽に思う心情を表に出さず真顔で表情をのっぺりとさせただけなのに。ひとまず核心を突かれることはなかったが、非常に心臓に悪い。やはりこの部活、光という存在が唐突に浮上してきたという点からしても恐ろしい。
「南原君。私たちはこっちの台でやるよ」
「あっ、はい……」
虚を突かれた。同期たちは咲柚さんに引き連れられ、すでに作業に取り掛かろうとしている。くだらない幼なじみ考を繰り広げている場合ではないらしい。
だがしかし、まだなにかあるのではないか。そう疑ってしまって仕方ない。咲柚さんが浮かべた曇り空のような表情も、俺が紙の束に敗北したことも、この環境も、まだそのなにかの序章ではないか……咲柚さんの言う通り、部長との作業も心してかかったほうがよさそうだ。
気づけばこのシリーズも1周年を過ぎていました。それだのに投稿していなかった作者がいるらしいですね……あたしだよォ!(にしおかす〇こ) というわけでお待たせして大変申し訳ありませんでした!ぜひこれからもよろしくお願いします!
☆☆お読みいただきありがとうございます。ブックマーク・評価などもよろしくお願いします!☆☆




