P.022 小悪魔まりあ様とビースト幼なじみ
〈まりあ様で目を醒ます〉
夏の高原の朝はとても清々しい。それは木組みの室内にいても実感する。いやむしろ、全て木造の別荘であるからこそ、感じるのか。とにかく、家と学校を往復するだけの日常生活では味わえない感覚や情緒が、ここの朝にはある。
目覚まし代わりの洗顔からして、すでに日常と今との違いを認識せざるを得ない。夏の、それも街中の水道水は朝からぬるい。それを顔に浴びせたとて......眠気から冴えるはずもない。
一方、この建物の蛇口から出る水は疑いようもなく清い天然水。したがって夏にも関わらず十二分に冷え、肌触りも最高。高地特有の雰囲気もあって、実に気分良い朝を迎えている。
「っ......!ふぁぁっ」
自然が生み出す冷水を両手で目一杯掬って、生気を失った顔に打ち付ければ......たちまち私の視界も機嫌も上々に開けていく。
まぁ顔を水から離した後の、ビール一気飲みのようなだらしない息遣いには目を瞑るとしよう。誰も見ていないのだから許される......
姿勢を正して鏡に映る顔を見つめれば、その表情はよく引き締まっている。自信を持って一日の生活を送れそうな、缶詰め合宿2日目はいろいろとうまくいきそうな、そんな予感さえ溢れてくる。柄にもなく気分が高ぶってしまう。陽気な鼻歌さえ口ずさむ。
軽やかな気分ともおさらばして、自前の柔らかなタオルで顔の水気を拭き取って、毎朝のルーティンはおしまい。次にとある重大任務を無事遂行できれば、私にとってのよりよい一日の実現も夢ではないだろう......!
「おはよう光ちゃん、ごきげんだね。」
「はっ。お、おはようまりあ......」
ハミングをしながら浮かれていると、奇襲のごとく寝起きのまりあが洗面所にやって来た。特別まりあは大声を出したというわけでもないが、私が気を抜きすぎていたがゆえ、身体が反射的に大袈裟な反応をしていた。間抜けな私をまりあに見られてしまったかと思うと、背中や顔が一気に熱くなっていく。
「光ちゃんもう歯磨きと洗顔終わったの?すごい早起き。」
「ま、まぁね。やりたいこともあるし。」
「そうなんだぁ。」
朝一番の会話もほどほどに、まりあも洗面台に顔を向けた。もう顔はよくこちらには見えないが、出会い頭に目に入ってきたまりあの顔面は......なんというか、寝起きの天使だった。まぶたはいつもよりかは見開いていないにしても、口元にはいつも通りの柔らかい笑みが見られて、まるで純真無垢な少女もとい神さまが全てを赦すようだった。後光さえ差しているように思われた。
............やはり、ついまりあを手本としたくなってしまう。
無意識のうちに篤哉が私にくれたアドバイスの通り、まりあのような女の子の模範的なかわいいを目指すことが全てではないこと。私は忘れずに意識している。そうすれば、篤哉が私を恋愛対象として見てくれるかもしれないという、淡いながらも確かな望みが生まれたのだから。
だけれども、まりあの持つようなかわいさが男子に好まれるのもまた事実。同性の私だって、少し前のまりあの姿を見てときめいてしまった。いつも私が蔑んでいる篤哉に逆に引かれてしまうほどに、だ。男子であればなおさらそのかわいさに焦がれることだろう。
自分らしいかわいさと皆の心をつかむようなかわいさ......これらと私はどのように向き合ったらいいのか。あの時から2ヶ月ほど経った今まで、じりじりとその2つで板挟みにされていた。
「まりあかわいいねぇ......」
「ふえぇぇ!?」
私の心はたった今地の果てまで揺れ動くようになって、普段なら口にはしない言葉ですらもまりあに投げかけてしまう。その言葉に嘘偽りはないのに、それを聞いて慌てふためく歯磨き中のまりあ。その様子すらもかわいらしい。全ての要素を包括して、まりあを目標にしてみたいものだが......
「どうしたの?」
「え、何が?」
「急に『かわいい』なんて、びっくりしちゃうよ。」
「いやまぁ、いつもまりあは見た目も心もかわいいんだけど、朝はより一層......って感じで。」
私、もしかしてキモい?
いや、もしかしなくても自明に気持ち悪い。決して私は同じ性別の人が恋愛対象になるとか、そういうわけではない。そもそも同性愛者だったら篤哉に恋焦がれることもないはずだ。それでも、まりあへの憧れの強さから、つい気持ちが先走ってしまう。自分でも分かる。口ぶりがダメ男のそれだ、と。
歯磨きも終わったようで、彼女は私を見つめて問いかけてくるが......さすがに引かれてしまったろうか。そうだとしたら、やらかし以外の何物でもない......
「そんなことないよ。朝は顔も結構むくんじゃうし、今日はそうでもないけどいつもはあまり頭が回らなくて周りにあたっちゃうしで、かわいくないよ。むしろ光ちゃんのほうが、起きてそんなに経ってないのに顔立ちはっきりして受け答えも完璧で......うらやましいなぁ。」
「やだそんな......褒め返したって何も出ないわよ......」
引かれるどころかむしろ、まりあに弄ばれる形になった。
相変わらずの聖女の微笑みで彼女は私に視線を送りつつ、語りかける。私はもじもじとして小声で謙遜することしかかなわない。本人は良かれと思って私を良く評価したのだろうが......照れ臭さと憧れの感情が増幅していくだけで、より一層私自身が思う私のあるべき姿が瓦解していくのみである......こんなみっともない姿、篤哉のみならず昔から私を知る人間が目にしたら困惑必至だろう。
石川まりあ。やはり、男のみならず女ですらも虜にしてしまうほどの純真少女である。というよりは小悪魔とでも例えるべきか。いずれにせよ、なんて恐ろしい子......!水の冷たさとはまた別に、感覚が冴えていくようである......!
〈ビーストと化す幼なじみ〉
「あれ、光ちゃん。そのやりたいことやらなくていいの?」
「えっ、あっ、あぁ、そうね。」
私の水を使う支度は終わったのだが、結局まりあのそれが完了するまで立ち尽くしてしまった。目があまりにも冴えすぎて、世界の観測者のような気分になったためである。遠回しにも不動を指摘されて、ふと我に返る思いだ。
「でも、そんなに慌てなくていいことだから。どうせ無理くり起こしても面倒だし......」
「起こす?」
「えぇ、篤哉をね。アイツ朝にめっぽう弱いし、それでいて強引に起こそうとするととんでもないことになるしで大変なのよ......」
「そうなんだ。なんだか、篤哉くんにもそういう弱点があるって意外だなぁ。しっかりしてるから。」
まりあの『意外だ』という感想には大いに同意だ。平たく言えば、篤哉のそのしっかりとしているところに私は惹かれたのだから。
だけれども奴の寝起きは非常に悪い。恋は盲目であるとしても、それに盲目にはなれない。荏舞からも篤哉のモーニングコールを頼まれているため、この手できっちり起こしてやらねばならない。
「でも、起こしてあげるのにとんでもないことになるのかな?」
「甘いわね......ネオテームくらい甘いわまりあ......」
「どうして人工甘味料?」
昨日の咲柚さんのような訳の分からない例えが出てしまう。しかし、咲柚さんと同じくその背景には私を動揺させるきっかけがあるのだ......
それは、篤哉を起こすという任務がうまくいけば、今日一日がよりよいものになると確信する理由にもつながる。
「アイツ、力づくで起こそうとすると周り全てを焼け野原にするのよ......」
「焼け野原?そんな大袈裟だなぁ。」
表現の仰々しさにさすがのまりあも嘲りにも似た苦笑をしている。確かに焼け野原と聞いただけでは大袈裟に思うのも無理はない。でも、実際に体験していないから何とでも言えよう–
「私が小さい頃、篤哉含めた幼なじみ三人衆でお泊まり会的なものをしたことがあったのよ。そのときから朝に弱くて、私ともう1人の男とで篤哉を文字通り叩き起こそうとしたんだけど......」
まりあに対して、何かを叩くように手を振って見せる。その何かは、あのときは篤哉であった。
「全てをなぎ倒したわね。私やもう1人も。さっきまで起立してたはずなのに次の瞬間ヤツの力で仰向けになってる。それはもう......地獄!この世の終わりよ!ビーストよ!」
「は、はぁ。」
普通は幼き頃の記憶など忘却の彼方に葬られているものであるが、ビーストになった篤哉の記憶だけは今なお鮮明に覚えている。屍になった私と弥、散らばった布団、定位置からずれた家具類等......記憶を掘り起こすだけで......冬場でもないのに身震いしてしまう。
そう聞いてもなお、まりあはイメージが湧かず合点がいかないようである。かわいいかわいい神さまは混沌を知らないということか。戦場や荒野を知らない平和ボケしているまりあにもあの惨状を見せてやりたいものだ。
まぁ......もちろん体感しないに越したことはないが。わざわざ、自らハードモードを選択して、身体張ってまりあに混沌を見せるつもりもない。平和というものだけを、今までもこれからもまりあは知っていればいい......
「そういうことで、爆弾処理のごとく起こしてくるわ。」
「爆弾かぁ......あっ、私も。」
篤哉の部屋に方向転換。全員で統一した起床時間にもなったため、ようやく処理班として爆弾処理、もとい幼なじみのよしみで篤哉の部屋にモーニングコールをしにいく。自らの任務成功を祈るばかりである。
そして私が動き出したところ、なぜかまりあも同行。私が慎重にやれば部屋が焦土になることはまず無かろうが......親鳥の後ろをテクテクとついていく小鳥のようなまりあと共にというのは、少し不安だ。
「先輩たち起きたのかな?」
鋼の精神という装備をまとって洗面所を出てみれば、声が聞こえる。まりあも気づいて指摘する。先輩たちの声が、篤哉のいる1階の部屋から。特に咲柚先輩の声が荒っぽく。
部員の中でもサディズムが特徴的な咲柚先輩。篤哉もよく絞られ、もとい常識の範囲限界までいじめられている。これらから、この状況についてアレコレと容易く想像できるが、もしや......
「まずいッ!」
「ふぇっ?」
必要ないと判断して先輩たちにはこのことを伝えていなかった。しかし、それは大いなる間違いだった。現在進行形でそう噛み締める。私は、パンドラの箱を開けてしまうかもしれない......!
ダイニングに面する篤哉の部屋扉は開いていて、やはりその中に先輩たちもいた。洗面所で私たちが話し込んでいる間に下へ降りてきたらしい。
そして中では、私の想像通りのことが巻き起こっていた......
「オラオラオラ!起きろ南原ぁ!」
「もぉ、起きて〜篤哉く〜ん」
「椛島くんその辺で......」
星谷先輩は2人を宥める存在であるが、2年生2人組はかたや篤哉を足蹴にし、かたや両手でベッドに横たわる篤哉を強く揺らす。当の篤哉は、小さく唸っている。
今、私が目にしている光景は–幼き頃の記憶の再放送と言うほかこの上ない......!
「ダメです咲柚先輩っ!離れて......!」
言い回しが中二病だ。そんな指摘を誰かにされるかもしれない。でも私は本気だ。
「お、光おはよう。大丈夫だ、後まで残るようには痛くしていないからな!」
「そうじゃなくて!咲柚先輩が危な–」
私の制止にロクに耳を貸さず、咲柚先輩は篤哉をSMプレイのように踏みつけ続ける。
しかしそれがいよいよ、トリガーとなって......篤哉の野性を呼び覚ました。
「さ、咲柚先輩が、跳んだ?」
春先に背丈を伸ばす筍のように、篤哉は徐ろに上半身を起こしたかと思えば......その次には、彼は手のひらから衝撃波でも放出するかのごとく咲柚先輩を部屋の外に追い出した。私やまりあを横切って、風を起こして、咲柚先輩はフローリングの上に仰向けで着地。もはや、バトル漫画の世界が突如として現実に顕現したようである。
この現実を目の前にして、まりあもやっと理解したらしい。篤哉のビースト化というものを。それすなわち......
地獄のはじまりだぁ......!
「どうしたの〜......篤哉くんこわ」
「そうだ、突き飛ばしたことはさすがに」
先輩2人が、立ち上がった篤哉によってベッドにダイブせしめられる。
いつもは自らのペースを崩さない風芽先輩や星谷先輩も、さすがに怖気付いているようだった。焦りの色が見せながら、豹変した篤哉を気にかけた。
しかし2人の尽力虚しく、ベッドから立ち上がった篤哉は、なぜか枕を手にして......無言のまま風芽先輩と星谷先輩をなぎ倒した。気を失ってか状況が掴めないからか、2人は一切の動きを止めた。攻撃の重い音こそしないのに、破壊力満点だ......!
そうして、彼の目の前からひとまず障害は無くなった。その次には、足取り重く篤哉が歩き出した。おそらくだが、誰にも睡眠を邪魔されない安地を探して、枕を持って立ち上がり、彷徨い歩き始めたのだろう。むごい、むごすぎる。睡眠のために、そこまでするというのか......!
でも、彼を甘やかすわけにはいかない。集団行動なのだから、決まりの起床時間は守られるべきだ。しかし向かってくる篤哉は暴走状態。横にいるまりあにはどうにかできるはずもない。
結論は単純だ......幼なじみが、彼を想う者が、私こそが止めるしかない!
「さぁ......来なさい!」
まさか生きていく中で、幼い頃からの付き合いである人間に臨戦態勢を整える機会が来ようとは思っていなかった。ファイティングポーズのように拳を構える。相討ちもやむを得ないつもりであった。
だけれど、ビーストは全く規格外だった。
「がはっ......」
「光ちゃん!」
自分に少しでも立ちはだかった者は有無を言わさず吹き飛ばせ–差し詰め、ビーストの異様な脳内はこのようにプログラムされているのだろう。私が手を出すことも及ばず、枕による打撃を防御する間もなく受けた。耐えられず倒れそうになる私を、既のところでまりあが受け止めてくれる。しかしまりあと私では体格に明らかな差がある。当然その場で諸共に崩れ落ちる。
そうなれば、慈悲なくこちらに歩みを進める篤哉を底面から見つめるのみである。
これは、勝てないぞ。
「強すぎ、だっての。まったく......!」
「やめて......篤哉くん......!」
まりあは現実を体感し、顔が青ざめてしまっている。いかにも、絶望の中にいるような表情だ。
それは私も同様。みなが戦闘不能になってしまった以上......幼き頃の記憶・再演だ!焦土と命運を共にするほか無いだろう。
そう私は諦めかけたが、そのとき–
「南原君、覚悟ッ!」
ベッドに埋められていたはずの星谷先輩が全速力でこちらにやって来た。間髪入れず、先輩はヤツの前に立ちはだかる。
しかし先輩もまりあと同様に篤哉とはそれなりに体格差がある。不敬を承知で、何ができるというのか。敵うわけがない。余力の無駄遣いだ。そんなことを次々に考えついてしまう。
だけれどそのような私の懸念は、すぐに杞憂であると判明する。
「っが............!」
「もうひとつ!」
「あ"ぁ"ぁ'!」
星谷先輩はすぐさま膝を150度ほどに折り曲げ前屈みになると思えば、その次には......先輩の上に位置する篤哉の顎をめがけ身体を伸ばし、頭突き。よろけたところを追撃。先輩は股間に膝蹴りを入れた。
これは、護身術の動きだ......!
か弱い人間でも容易に格上の相手に立ち向かえる術。先輩はその手練れのようで、行動に一切の迷いが無かった。蹴りの強さは多少加減したかと思われるが、それでも篤哉は苦悶の表情である。顔面、なにより股間へのダメージは相当なものであるようだ。
女では決してわかりえないが、男の弱点のなんと恐ろしいことか......
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
これまで目の輝きを失って、あてもなく彷徨うゾンビのようであった篤哉は、ようやく人間らしい輝きを取り戻した。同時に、股間を押さえてのたうち回っている。どうにかなったという安心感からか、その光景が少し滑稽に思える......
かくして、幼き頃の記憶の再放送は、偉大なる部長の物理的な制止力をもってして、終幕となったのである......
めちゃんこ久しぶりな投稿ですね。とはいえ、これからも期間は空きがちになります。それでも変わらぬ応援のほどよろしくお願いします!
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