P.018 兄と妹のone summer day
〈起床学概論Ⅰ〉
夏季休業、つまり夏休み。少なくとも日本の学生でこの期間が嫌いな人はいるだろうか。いやいない。
「ん......おはよう世界......」
某誠の彼女の片割れではない。
俺にとってその理由は、自然の流れに沿って起床できるからということ。『自分の意志に反して決まった時間にベッドから引き剥がされること』などクソ喰らえ。学校のある日常においては毎日そう思うが、夏休みは自分が自然に目が醒めた時に起きられるのだから、ストレスフリーである!人生3分の1は睡眠時間なのだから人間社会はいつもそうなればいいのにな!
当然、自然に目が醒めた時に起き上がるわけだから、この上なく身体の調子がよい。妹の手を借りないと立つことすらままならない要介護者とはおさらばである。
そして、冷房に電源が入って部屋の中はビール缶のようにキンキンに冷えている。いや実際にビールを飲んだことはないから実際のところ分からないが。8月中はオールナイトで冷房の稼働を許可されているため、自室は言うまでもなく快適。こうすることで真夏ながら起床時の機嫌も上々である。
「よっと」
見ろ野郎ども、この間までの日常が嘘みたいな軽やかなステップだ。しかもベッドから離れるだけだぜ。よっぽど気分が上がらねぇと見られない代物だこりゃあ。
盗賊集団の下っ端のようなセリフを心の弱さが見せたもう1人の自分に吐いたところで、部屋の扉に向かう。1人で足取り確かに歩けること、是非とも妹に讃えていただきたいものである。
「あっ、やっと起きたー!」
すると願いが通じたのか、開いている扉の前を通りかかった荏舞が顔を出してきた。出会い頭から表情と声色の憤りを隠せていないのだよ、妹よ。
「やっとって、9時はまだ健康な起床時間だろ。」
「そう言ってたらリズム崩れてもっとクズ人間になるよー」
とぼけた顔してオブラート皆無の本音を言いよる。
「別に、俺がクズになったら荏舞が面倒見るだろ?」
「うわぁー......」
「そんな引くことなくね?ジョークだから。」
ただし、冗談とはいえ俺も平気な顔して妹のヒモ宣言してしまうあたり、一部の親しい人間に対してはイカれた人間であるという自覚はある。向かう荏舞がかなり冷めた目をしている。
「まぁいいやー」
「いいんかい。」
「実際もうしばらくは養ってあげないとだからねー、クズ人間アツー」
「向こう10年はよろしく。」
「調子のんな。」
「マジさーせん?」
普段語尾を伸ばして話す人が不意打ちのごとく厳しい口調で話すと怖気付いてしまうよな。あえて例えるなら、大抵のことは笑って許す人がひょんなきっかけでありえないほど怒って、集団を動揺させてしまうようなやつだ。それが今は荏舞に当てはまるのである。
「それより、宿題見てよー」
胸元に抱えていたテキストの類いを俺に突き出す。俺の得意な国語から、平々凡々なその他教科まで揃っている。曲がりなりにもそれなりの進学校に通っている身ではあるから高校受験レベルならば一通り教えられる。教えられるのだが......腹が減って息絶えそうでそれどころではない。
「わかったわかった。でもその前に飯食わしてくれよ。」
「働かざる者食うべからずだぞー。クズだったらなおさら奉仕の精神を持ってはたらくんだー」
「んな殺生な......」
「ホントに殺っちゃおうかなー?」
「『殺生』そのまんまの意味じゃねぇから?」
この妹、やはり雰囲気の割にはちゃんとした人間である。寝起きは社会の最底辺まで没落する兄には出来すぎている存在だ。もっとも、夏休み中の寝起きは最底辺まで落ちていかないという自負はあるが。しかしそれでも、今の時間帯はおとぼけであろうと明らかに妹の方が優秀。そう認めざるを得ないだろう。
「ほーらー、下いこー」
「分かったから押すな押すな。」
決してリアクション芸人がやるようなフリではない。そもそも、すでに荏舞の片手で背中を押されているのだから芸人であったら疾うに熱湯風呂へ落とされたところである。
荏舞のなすがまま、階段を降りる。栄養補給はさせてほしいと懇願しながら降りたのである。しかし荏舞は、良くも悪くもマイペースを崩さなかった。まったく、いい人間してるぜ......
〈俺の調子が狂うのはどう考えても妹が悪い〉
お許しが下って栄養補給したのち、荏舞の国語の論述問題を採点中のこと。
「いいか荏舞、国語の文章、特に小説とか随筆を読むときは面白いと思ったらいけない。そう思った時点で負けだ。」
なんとも文芸部員らしからぬ発言ではあるが、許してほしい。あくまで国語のテストで点数を稼ぐための解法を伝達しているだけにすぎないから。
「その上でだ、これじゃあここにある文章の先のことを想像して書いているだけだ。とても点数は取れないな。」
「ぶー」
声と口先、まるで豚さんかな?そうからかおうと考えたが、本気で怒られそうでやめた。さすがに妹に嫌われて口を聞いてもらえないということは避けたい。なんにせよ、荏舞はだいぶご不満の様子である。もちろん、その気持ちは分からなくもない。
「だってー、『心情を書きなさい』なんてあったら悲しいだって良さそうじゃーん。やるせない、でもそりゃいいだろけどさー」
明らかな根拠は文章中に無いが、この後予想される展開を踏まえれば模範解答以外の答えだって正解だろう。そう思う気持ちは、荏舞のみならず全国の国語の問題に取り組む学生が持つに違いない。
しかし、国語の問題においては客観的な読解が鉄則である。そこに学生の苦悩は与しない。このことを、荏舞にきっちり伝えてやる必要があるだろう。
「そうだな。じゃあ荏舞、漢字2文字でドッカイってどう書くよ。」
「えー......」
相変わらず不満そう、というよりは訳分からなそうな顔でいながらも漢字を書き取り始めた。漢字の書き取り練習にもなるからちょうどいい。
やがてテキストの端に書かれたのは、俺の想定通り『読解』の2文字であった。丸っこい文字がいかにも女子中学生だ。その2文字に、俺が横から送り仮名を付け加える。
「よみとくー?」
「あぁ、読み解く。国語なんかでよく読解問題がああだこうだ言うが、国語ってのは基本的に目の前の文章を真面目に読んで問題に立ち向かう教科なんだよ。」
「へぇー?」
理解できそうでできない。荏舞はその狭間にいると見える。限界も近そうだから結論としよう。
「つまり、文章の先まで想像するというのは国語の読解でやることではないんだよ。与えられた文章だけで答えを練ること。必要があれば言い換えすることなんかも視野に入れる。これを国語の問題解くときに意識する。オーケー?」
「要は読んだ内容以外のことは考えるなってことでしょー?うーん......まー、オーケー」
納得はしていない。だがロジックは分かる。そう言わんばかりの面持ちである。今は納得いかずとも、トレーニングを積むうちに腑に落ちるようになっていくだろう。正直、ロジックを咀嚼できるだけでも荏舞を褒め称えるだけの価値はある。決して、シスコンだからとかでは、ない。多分、おそらく......
それにしても、弥に国語を熱く教えるように長文で語ってしまった。俺が熱弁するときというのは、大抵の場合心が落ち着いていない。今日も例外ではない。
では、何に心を乱しているというのか。それは–妹・荏舞の身なりに、である。あまりにも防御が薄すぎる。
荏舞の防御が薄いことは、何も今に始まったことではない。暑くなり始めた5月の末くらいから家の中ではハーフパンツ、白Tシャツというスタイルが確立していたのだから。そして俺は俺で、少し気になったりすることはあっても、なんとか他のことに昇華してやり過ごしてきた。
しかし!今日はどうだろうか!なぜか白シャツの代わりにタンクトップである!しかもワンサイズ上であるほか、見るからにスポブラなどもしていない。見てはならないものが見えそうで、気が滅入っているのである。家族に欲情するほど真のクズではないが、ソレが見えそうになるのは気まずいし、妹のこれからが心配になる。
もちろん、妹そのものから目を離せば万事解決である。しかし、今俺がすべきことは荏舞の家庭教師。タスク達成が不可能になる。
「荏舞、頼むから上に1枚羽織るか、ちゃんとしたシャツ着るかしてくれ。」
「えー?」
これまで熱弁で心地悪さを相殺していたが、そのターンも終わった。我慢ならなくなって、直接的にちゃんとした着衣を求めた。目は少し逸らして。
「どしてー?エマはこれがいいー」
「いやだから、色々見えそうなんだよ......」
「んー?あー、もしかしてちく」
「女の子が軽率にそういうこと口にしちゃいけません!」
「うーうー」
俺の思いを一言一句違わず口にしようとしたため、妹の口を兄の手のひらで覆った次第である。その裏で『やめろやめろー』と言おうとしているのであろう。良きところで封印を解いてやる。
「はぁ、別にエマは気にしないけどなー」
「お前が気にせんでもこっちが気にする。荏舞は見えそうになって嫌じゃないのか?」
「うーん?家族だったらよくなーい?」
「おう......」
本当に我が妹は思春期に突入済の女子なのかと疑ってしまう。ノーマルな思春期女子学生なら、例え同じ屋根の下で暮らす家族だとしてもちょっとした視線に敏感になるはずであるから。もちろん小さい頃は一緒に入浴したこともあるわけで、そのときにイチモツがついていないことも確認済みであるから男ではないということは間違いないが。
不思議に思う気持ちを、視線で荏舞の目元に送っていると、次第に荏舞の顔つきは真顔に変わっていった。
「もしかしてアツ、エマのことやらしい目で......」
「そ、そんなことは断じて無い!家族に欲情するとかマジでありえねぇから!そしてその怪しむ視線をやめろぉ!」
「怪しむんじゃなくて、粗大ゴミを見る目だよー」
「あぁただのゴミじゃないあたり荏舞らしいなオイ!」
すべて真実を述べているはずなのに、ますます俺の主張が胡散臭くなっていくのは何故だろう...... 実の妹に、おそらく身体のサイズからして粗大ゴミ認定を受ける始末である。
「まぁ、冗談だよー。そんなふうに見てるなんてこれっぽっちも思ってないからさー」
「ひ、人をおちょくるんじゃあない......」
本気で焦って、そのように荏舞をたしなめた一方で、荏舞もここまで口が達者になったものかと深く感心している。さっきまで近親なんたらの嫌疑をかけられていた人間の心理状態ではないだろう。
「ソーリーソーリー。よいしょ」
大変満足であったと言う代わりに、コップを持って荏舞は立ち上がった。飲み物を注ぎに行くようである。
女の子座りから立ち上がって、そのまま冷蔵庫に駆けていくかと思われたが、なぜか立ち止まった。
「それと、童貞じゃこの格好に耐えられないよねー。じゃあ、着替えてくるよー、おにーちゃん」
ウィスパーの内容が意表をつきすぎて......
「ぐっ......」
言葉にならなかった。お手本のように。宣言通り荏舞は去っていく。
童貞もおにーちゃんも正しい情報である。だけれども......首だけ振り返って、囁き声で煽りを投げ入れていく。こんなもの、誰が身悶えないだろうか。いや身悶えない人はいない。そもそもこんな高等テク、荏舞は一体どこで仕入れたというのか...... 何も言えなくて、ひたすらに机に額を叩きつけていた。
もう、シスコンでマゾ野郎という烙印が押されてもいいや。それと、妹はこれから先俺を凌ぐほど強大化して、おちょくりが増えていくだろう。そんなことを思った。
そんな俺と妹の、one summer day......
途中レジェンドラノベのタイトルのもじりもありますが特に意味はなく......
☆☆お読みいただきありがとうございます。ブックマーク・評価などよろしくお願いします!☆☆




