携帯ストラップ
差し出された紫陽花の花束は、深い青紫の発色が美しい。
それは良いのだが。
「倉木さん。これは……」
「近所の花屋で見かけたんです。綺麗だと思って」
にこにこ。
蜘蛛騒動の一件ののち、彼は無事、成績を回復させたらしく、なぜか時折うちの店に来るようになった。しかしこれはなあ。
はじめー、はじめー、助けてくれー。
しかしはじめはつれなくも店のディスプレイの配置換えなどして、我関せずといった風である。
外は梅雨らしい雨模様。天と地を繋ぐ銀線がうっすら視認出来る。
私は一応、礼を言って花束を受け取り、レジ奥に置いた。あとで花瓶に活けよう。
「今日は何かご依頼があって来られたんですか?」
気を取り直して倉木さんに話しかける。
「はい! ビーズストラップを作っていただきたくて」
「ビーズストラップ……」
「うちのばあちゃん、もうすぐ誕生日なんです。シニア携帯を使ってるんですけど、それに華やかな飾りでもあれば良いなと思って」
「なるほど。携帯の色は?」
「あ、これです」
そう言うと倉木さんは自分のスマホの画像を見せた。紅がかったピンク。可愛らしい。
「ではストラップの色も赤系統がよろしいですね」
「お願いします!」
「帯状の物を考えていますが、携帯ストラップに使うとなると、丈夫な物にする為、二重織になります。その場合、金額もそれなりに頂きますが……」
「どのくらい……?」
私はレジ台に置いてある電卓をカタカタと打った。出した数字を見て、倉木さんの顔が若干、強張る。しかし彼はそれでお願いしますと言った。祖母孝行だ。
倉木さんが帰ったあと、私とはじめは遅い昼食を摂っていた。こればかりは営業職のどうにもならないところで、食事時間は不規則になってしまう。鮭とたらこ入りのお握りは、それでも美味しい。ペットボトルのお茶をごくごくと飲む。
忘れない内に、紫陽花を活けておこうと私が紫陽花の花束を手に取ると、はじめがひょいとそれを取り上げた。
「え、何だ、はじめ」
「俺が活ける」
不愛想にそれだけを告げると、はじめは二階の倉庫にあった淡いサーモンピンクの硝子の花瓶に黙々と花を活け始めた。青紫を、サーモンピンクが引き立てて見栄えがする。そういう色合わせを選ぶあたり、やはりはじめも『time』の従業員なのだ。
傘を差して帰宅する頃には、雨はやや強くなっていた。七月というのに肌寒い。
マンションに着いた私はまず湿ったパンプスに丸めた新聞紙を入れ、風呂を沸かした。その間に夕食の準備をする。うどんが良いな。具沢山のうどんが食べたい。そう思った私はわかめや法蓮草や筍やかまぼこを出して、適宜、処理した。
風呂が沸いたことを知らせる音楽で手を止め、着替えを持って洗面所に向かう。
いつものラヴェンダー入りのバスソルトを入れてゆっくり湯に浸かると、疲れや冷えが湯に溶けていくようだ。そのままぼーっと何も考えずに温もりに身を委ねて、風呂から上がる。湿り気のない新しい衣服を着て、心身のリカバリーもだいぶ出来た。
それからうどんを茹でて、用意しておいた具と、玉子を落してふうふう、息を吹きかけながら食べた。身体の芯からぽかぽかする。
食べ終わって食器を洗ったところで、さて、戦闘開始。
スケッチブックを広げ、凡そ二センチ程の幅のビーズの帯をさらさらと描く。
携帯と繋げる部分も重要だ。
金色の金具を合わせて、薄いピンクと白の縞模様の円になったビーズと、小粒の紫色のビーズを帯に繋がる金具と、ストラップの紐の繋ぎ目にしよう。紐の色は黒。ご高齢だし、ぴりりと締まった色が入ったが良いだろう。
肝心の帯の色は赤を主体に水色や緑、紫や茶色など気持ちが明るくなるような色柄にしよう。単調な柄ではいけない。変化に富み、心楽しくなるような柄だ。
考えるのは楽しいんだよなあ。
これ、実際に作るのはとても手間なのだ。
私は作業は明日からにして、今日はもう休むことにした。雨で冷えたからか身体が疲れている。ベッドにずるりと入り、文庫本を十分も読むと私は眠りに就いた。
翌日も雨だった。
但し昨日のような肌寒さはなく、湿気で蒸し暑い。天気模様の大らかさもいい加減にして欲しい。私は人参ジュースを飲むと朝食を手早く済ませ、ストレッチをした。もちろんその間に気鬱になる部屋干しという作業をこなしている。新聞を読んでニュースを少し見て、それでも今日はまだ時間が余ったので、ファッション雑誌をぱらぱらめくっていた。コーヒーが美味しい。
ファッション雑誌を読むのは職業柄というのもあるが、単純に見ていて楽しいからでもある。がさつに見えて私も一応、妙齢の女性だ。
そこまで考えて、倉木さんが持ってきた紫陽花の花束が蘇る。
あれはやはりそういうことなのだろうか。
そういうことなんだろうなあ。まあ、考えないでおこう。そろそろ営業時間だ。
私は店に出る支度をして、玄関に鍵をかけた。
青紫の紫陽花は、活けた花瓶と相まって、お客様に好評だった。
倉木さんとはじめのお手柄である。尤も、私がそう言って褒めても、はじめは無表情だった。
「イヤリングの良いのはないかしら」
「器を探してるの」
「革のスカートってある?」
午前中は盛況だった。一気にどっと客が来て、またどっと去って行った。
お蔭でいつもより余裕のあるお昼になりそうだと思っていたところ。
「こんにちは」
「倉木さん。いらっしゃいませ。ご依頼の件で何か……?」
前科のある彼を、多少、警戒しながら私は表面上にこやかに尋ねた。
「ああ、いいえ、その」
「…………」
「お昼まだかなと思いまして」
「今からですが」
倉木さんは、バンジージャンプから飛び降りる人のような顔をした。
「あの、良ければ近くのレストランにご一緒しませんか」
「……」
「お客様。申し訳ありませんが、うちは昼休憩とは言ってもいつ、来客があるか知れませんので、店を離れられないんです」
いつの間にか私と倉木さんの間に立っていたはじめが決して愛想が良いとは言えない態度で倉木さんに言った。倉木さんははじめに一喝されたことがあり、苦手意識を持っている。今もはじめの顔から視線を逸らしながら残念ですと言った。
しょんぼりして店を出る倉木さんが些か気の毒ではあったが、私ははじめに助けられた。その広い背中をばしん、と叩く。
「助かったよ、はじめ~」
「痛い。煩い」
「お前もやっぱり『time』の店員だっていう自覚があるんだな!」
そう言った私を、はじめは相変わらずの無表情で見ていたが、やがてふっ、と笑うと、私に強烈なデコピンを食らわせた。
「いって~~。おい、何するんだ!」
「お前だって背中叩いただろうが」
「あれは労いだろ!?」
「煩い、莫迦」
「何だと!」
子供の喧嘩みたいになった。はじめとは気の置けない幼馴染だから、時々、こうした子供じみた遣り取りもあるのだ。にしても蒸し暑いなあ。店では冷房をつけてあるが、それを上回る湿度だ。
だが、だからと言って薄着をすると今度は冷房の冷気で体調を崩す。微妙な案配なのだ。
さて、今日も帰ってビーズ細工に取り掛からなくてはならない。
部屋干しは臭いがする。その臭いの中の作業となるのが私は憂鬱だった。
ビーズを広げる時はいつもその華奢な彩にうっとりする。
このビーズたちを全てあますところなく私が思うまま使用して良いのだと思うと、大袈裟かもしれないが、世界を手に入れたような気分になるのだ。
いつまでも見惚れている訳にはいかない。
私はビーズ用の極細針に、これまた極細だが丈夫な糸を通すと、ビーズを通していく。
赤紫を四粒、深紅を一粒、藤色を三粒、これを繰り返す。一定の部分出来ると、次は何も考えず奔放に赤を中心とした色を通していく。黄色、白なども入る。時々、白い列を作って遊んだり。ある程度奔放に遊んだら、次はまた赤黒いビーズの列を繰り返したりする。
良い物が出来そうな予感が私の心を弾ませていた。
夢中になって作業して、気づけば十二時半だった。慌ててビーズを道具箱に仕舞い、寝る準備をする。枕にもラヴェンダーの香りを沁み込ませてある。作業で疲れたあとの安眠効果は抜群だった。
二日程、雨が降り続いた。ようやく、三日目に梅雨の晴れ間が見えた。
そんな日の昼だった。
倉木さんが、どこか悄然とした様子で店の入り口に立っていた。外の陽光、白く塗られたドア、それらを背景にしている分、より一層、倉木さんの落ち込みぶりは際立った。
「いらっしゃいませ。どうかされましたか」
私の頭にまた蜘蛛の一件が浮かぶ。
しかし倉木さんにはあの時のような自暴自棄の攻撃性といったものがなかった。
ただ、悲しい。そんな様子だ。
「ばあちゃんが、入院しました」
「え……」
「肺炎で。だいぶ悪いそうです」
「――――ご依頼をキャンセルされますか?」
倉木さんは弾かれたように顔を上げた。
「いえ、いいえ! あんな失礼な真似、もう二度としませんっ。……依頼通りに、お願いします。ばあちゃんの、快復祈願と思って。俺、ばあちゃんにはすごく可愛がってもらったんです。大きくなったら、海外旅行に連れてってやるとか言ったりもして。だから」
目元を拭った倉木さんが、私には迷子の子犬のように見えた。この店を訪れる客には様々な事情がある。私に出来ることはごく限られている。けれど――――。
「私に何かお力になれることはありませんか」
「琴坂さん」
「まあ、実際には何もないでしょうが」
私は微苦笑しながらそう言い足した。己の無力が歯痒かった。
「じゃあ、時さんって呼んでも良いですか?」
「……そんなことで良いんですか?」
「はい」
「良いですよ」
倉木さんが子供のように笑った。
あれ。何だ。背後から痛いような視線を感じる。はじめ?
青紫の紫陽花は、サーモンピンクに抱かれてまだ元気だ。
その夜も私は作業に精を出した。紺とピンクの斑模様のような部分を作り、緑と水色を主体にして更に糸を通し、水色、深紅、ベージュの並びで通した。これで一応の帯は完成した。あとはこれを二重に糸通しして、金具とビーズ、紐を取り付けるだけである。
三日後、携帯ストラップは完成した。
倉木さんに知らせると、早速飛んで来た。満面の笑みだった。
「ばあちゃんが良くなったんです!」
「それは、良かったですね」
「はい! もちろん、まだまだ安静にしてなきゃいけないけど、でももう命の心配はないって。時さんのお蔭です」
「私は何もしていませんよ」
「いいえ、時さんの作ってくれた携帯ストラップが、ばあちゃんを助けてくれたんです」
店にはたまたま美鈴も居合わせていた。彼女もまた、倉木さんの醜態を知る人間だ。当然ながら見る目は厳しい。
倉木さんに携帯ストラップを見せると、彼はしばらく言葉を失くし、それからすごいですね、と言った。
「俺の想像通り、いや、それ以上だ。こんな素敵な物作れるなんて、時さんは素敵な人ですね! 蜘蛛も、凄かった。このストラップも。まるで魔術師みたいだ。時さんは、俺の魔術師です」
余りの褒められように私はむず痒くなった。それに「俺の」魔術師って何なんだ。
色々な意味で感極まった倉木さんが店を出てから、美鈴がはじめに何やら言っている。
「ちょっと兄さん、良いの?」
「何がだ」
「あの蜘蛛男よ! 時さん、ですって。俺の魔術師、ですって」
確かに馴れ馴れしいかもしれないが、倉木さんは悪い人ではない。料金もこちらが提示した以上のものを払ってくれた。良い客だ!
「俺には関係ない」
うん、そうだろうな。と、はじめは青紫の紫陽花を花瓶から引っこ抜いた。
「おい、はじめ」
「萎れてきた花をいつまでも置いておく訳にはいかないだろう」
そう言って中庭にぽぽーいと捨ててしまった。
いや理屈は解るけどさあ。
その夜は、久し振りに三人集まって居酒屋に行った。
「あー、さがり、白みそ、ウィンナー、茄子の田楽、いっさきの刺身、海鮮鍋!
焼き鳥は三本ずつ」
私とはじめは焼酎のロックを呑み、美鈴はウィスキーの水割りを呑んでいる。
「まあ、それでもあの蜘蛛男、反省だけはしてたのね。良かったわ」
美鈴がグラスを傾けながら言う。
「蜘蛛男は気の毒だぞ。倉木さんだ、倉木さん」
私は既に焼酎二杯目を呑んでいてほろ酔い加減になっている。
今回の依頼の最初からの流れを、美鈴に話したあとだった。
はじめは黙って焼酎を呑んでいる。静かだ。いつも静かだが、今夜はとりわけ静かじゃないか?
美鈴がちらりとそんなはじめを見る。
「言ってやれば良かったのよ。時は俺の魔術師だって。兄さんも奥手なんだから」
「美鈴」
「はいはい。余計なことは言わないわよ」
「もう言った」
何の話だ。兄妹二人だけで秘密を共有して、私は仲間外れのようで気分を害する。
まあとりあえず。
「大将、焼酎ロックお代わり~」
呑もう。