琥珀の首飾り
平尾から西鉄電車で二駅先にある福岡都心の天神、商店街の新天町に私は来ていた。店番ははじめに頼んだ。
新天町にはギャラリーがいくつかあり、私はその内の一つを目指していた。
人通りが多い繁華な道を進むと、左手にそれは見えてくる。
カンタ刺繍が施された服やストール、バッグが置いてある。その主催者に私は呼ばれたのだ。カンタとは「刺す」という意味で、一説には「苦行者のつぎはぎの布」という意味もあるとか。エッセイ集にあった。サリーの再利用の為でもあったらしい。目に美しいことだけは確かである。だがその確かさの背景には深い奥行きがある。
「こんにちは」
ギャラリー内に人がいなくなった頃を見計らって、声をかける。
中にいた女性がぱ、と振り返った。初老と言うにはまだ若々しい、ソバージュにした髪を肩のあたりまで伸ばした彼女は私を見ると笑顔になった。
「琴坂さん、お久しぶりね。元気にしてた?」
「はい。金子さんも、お代わりなく」
私が持参した手土産のクッキーの箱を渡すと、気を使わなくて良いのに、と金子さんは朗らかに言った。
私は数年前まで彼女が主催するカンタ刺繍の会社の仕事に携わっていた。だが、徐々に『time』が軌道に乗り忙しくなった為、手を引いたのだ。いつかまた、お役に立つ時があれば声をかけてくださいと言って。
どうやらそれが今らしい。
金子さんはカンタ刺繍の布で仕切られた奥から、長方形の箱を持ってきた。
中から古い首飾りを取り出す。トップには滅多に見られないような大粒の琥珀がある。透明ではない。卵の黄身のような色と質感だ。赤ん坊の握り拳くらいの大きさで独特の存在感がある。
「この首飾りを、琴坂さんのデザインでリメイクして欲しいのよ」
「とても高価なものなのではないですか。他の方に依頼されたほうが」
しかし金子さんは首を横に振る。
「――――母の具合が良くないの。幸福を呼ぶビーズ細工を作る貴方に、お願いしたいのよ」
金子さんは真剣な表情だった。正直、私は驚いていた。
彼女のような合理的な人でさえ、信憑性に欠ける噂に縋ろうとするのか。
結局私は押し切られる形で首飾りを預かり、電車に揺られて店まで帰った。夕暮れ時で、電車内からも淡いピンクの優しい暮色が見えた。
帰ってはじめに仔細を話すと、良いんじゃないかと言う。気軽なものだ。
「色々あるんだよ。恩義とかプレッシャーとか」
私は頭をがりがり掻く。
「お前なら出来るだろう」
「無責任な信頼だな」
「そうでもない」
私はふう、と溜息をつくと、レジのある台に置いていた琥珀の首飾りが入った箱を人差し指でちょいと突いた。
金子さんは、琥珀以外のデザインは全て変えて良いと言った。となると、デザインをスケッチに起こし、必要な材料を買い出しに行かなくてはならない。これだけの大粒の琥珀だ。なまなかなビーズでは太刀打ち出来ないだろう。
私が金子さんの会社から手を引くと言った時、金子さんは一瞬、険しい表情を見せた。しかしそのあと、そうした表情を恥じるように、琴坂さんの自由にしてくださいと言ってくれた。そういう所以もあって、彼女の頼みには全力で応えたいと思うのだ。
店を閉めて雑務を片付けると帰宅し、まず風呂に入った。
諸々の疲れを洗い流し、たらこスパゲッティを作る。スパゲッティのソースは市販のレトルトではなく、本物のたらこを買って来たものだ。茹で上がったスパゲッティにたらこをオリーブオイルで溶いたものを混ぜ、海苔を細かく刻んで散らす。それから缶ビールを開ける。
リビングのテーブルで私は一日の活力を取り戻していた。
食べ終えると食器を洗い、スケッチブックを開く。
台布巾で綺麗に拭いたテーブルには琥珀の首飾り。それを睨むようにして見ながらデザイン案を考えていく。やはりここは、天然石のビーズを使うのが良いだろう。アメジスト、瑪瑙……翡翠。どれがしっくり来るだろう。存在感がありながら主張し過ぎず、尚且つ琥珀を引き立てる材料。
――――思い切ってヴィンテージボタンを使うというのはどうだ?
金子さんは好きにして良いと全面的に任せてくれているのだし。しかし手持ちにめぼしいボタンはない。やはり買い出しに行かねば。
明日は定休日なので、私は以前から懇意にしている薬院のビーズ屋に行くことにした。
薬院は平尾の隣駅だ。
そろそろ梅雨に入りそうで入らない、思わせぶりな天気が続いている。暑かったり、冷えたり。落ち着かない。明日はお気に入りの麻のスプリングコートを羽織って行こう。
私はそんなことを考えながら眠りに就いた。
翌朝、色々悩んだ割にはぐっすり熟睡した私の目覚めは爽快で、天気も良かった。
薬院はうちから歩いてでも行ける距離だ。
私は斜め掛けショルダーバッグに琥珀の首飾りを慎重に入れると、自転車に乗ってビーズ屋を目指した。その店は昔は平尾にあったのだが、何を思ったか薬院に移転した。私としてはやや不便になった訳だ。車の通りの多い道を横断しながら、私は風を受けて良い気分だった。
その店は住宅の集まる中、アパートの二階にある。よく見ないと気づかない店構えに、客は入っているのだろうかと他人事ながら心配になる。自転車を邪魔にならない場所に置いて、細い階段を上り、店に着く。ドアは開いていて、店名が牧歌的にプレートに記されている。
「こんにちは」
「あら、琴坂さん。いらっしゃい」
すっかり顔馴染みになったおっとりしたマダムに挨拶して、私は早速店内を物色する。
この店にはビーズや天然石、ボタンの他にもアンティークのレースや装飾品も置いてある。
壁に飾られたアンティークのボタンはマニアから見れば垂涎ものだろうが、残念ながら非売品だ。この店の宝だろう。
「ちょっと広げて構いませんか」
「どうぞ~」
私は机の上に琥珀の首飾りを置いた。
マダムが凝視する。
「あら、お宝ね」
「そうなんですよ。お宝の、番人を任されたんです」
「それは大変」
くすくすとマダムは笑うが、少しも大変と思っていないことは声調から明らかだ。
私は早速、店内の物色に移った。
プラスチックで作られたモダンなビーズも、意外と合うかもしれない。
このターコイズ、欲しいな。値が張るがこの琥珀に見合う大きさと数となると妥協出来ない。
私はプラスチックの仕切りのついた箱に次々とめぼしいビーズ類を入れていく。
箱の仕切りは値段のシールが張られ、十円のものはその仕切りの中に入れる、という作りだ。こうすれば客も売る側も計算がしやすい。上手い手だ。
私はあれもこれもと琥珀に合いそうなビーズを手当たり次第、箱に入れて行った。必要経費は全て金子さんが払ってくれる。そのことがまた、私の気を大きくしていた。
結果として、材料の総額は大層、高くつくことになった。
当然ながらマダムは満面の笑み。やれやれ。私は大した上客なのだろう。
自転車に乗って帰路を辿りながら、私は民家に咲く紫陽花を眺めていた。もうそんな季節なのだ。可憐な青紫やピンクの花の群れ。花屋でも紫陽花は見かけたが、やはり紫陽花は庭先に咲き濡れてこそ、という風情がある。近所の紫陽花を丹精しているお宅からは毎年、数本の紫陽花を頂く。そんな時は家中の花器を総動員して活けにかかる。お返しに夜のおかずを余分に作り、持って行ったりする。今年はまだだなと思いつつ、見事な紫陽花を目に焼き付けた。
美しいもの、快いものを見るのもビーズ細工制作において欠かせない。それは映画や読書に関しても言える。良い作品、上質な作品に触れることで想像力やもっと根幹の、イメージを成り立たせる力を養う。名作と呼ばれる映画を見ては登場人物の装いにアンテナを張り巡らし、この人物にはどのようなビーズ細工が似合うだろうと考えたりする。
自転車を駐輪場に置き、三階の我が家まで階段を上る。階段の途中で色鮮やかな蜥蜴を見かけた。私が姿を見せると、ちょろりと長く鮮やかな青い尾を引いてどこかへ逃げて行った。マンションの階段もそろそろ掃除しなくては。
別に決まった訳ではないのだが、マンションの階段が汚れてくると、私が掃除するようになっている。お隣の奥さんなどは称賛しつつ有難がって煮物などを差し入れたりしてくれる。汚れを放っておけないのは私の性分だ。私は実に魂の根底から美しいという観念の奴隷なのだ。
出汁巻き卵と法蓮草のソテーに冷やご飯を解凍してお昼にする。
食べながらも私の頭の中は琥珀を中心とした首飾りのイメージで一杯だ。
購入した材料をシャッフルしながら様々なデザインを思い起こしている。昼食を終えると食器を洗い、手をよく洗浄してから琥珀の首飾りをテーブル上に置き、その左右に今日の収穫を並べた。それから改めてスケッチブックにデザイン案を描いていく。素材一つ変わるだけで、全く違う首飾りとなるのだから面白い。
私は考えた末、ラグビーボールのような形状の透明で筋の入った大粒のビーズとターコイズを収穫の内から使うことに決めた。その二つと交互に、ビーズで作った帯状の飾りを挟んでいく。帯は二重に糸を通して補強しよう。使うビーズは丸小の鈍い銀色と白、赤に紫など。
全体的にオリエンタルな雰囲気が漂うのが良いだろう。
デザインが決まった私はほっとして、それからおもむろに箱の上で琥珀の首飾りに鋏を入れた――――。
それからどのくらい時が流れただろう。
気づけば日は暮れかかり、いつの間にか来ていたはじめがマグカップに入ったココアを差し出してくれた。有難い。丁度欲しかったところなのだ。
テーブル上には作りかけの首飾りがある。オリエンタルでありつつもモダンな首飾りは、四分の一程出来ていた。完成した時の美しさを彷彿とさせる。私は自分の仕事に満足していた。
だがはじめはしかめっ面で自己管理をもっときちんとしろとくどくど言ってくる。
「うるせー」
「お前は反抗期の高校生か」
「若く見てくれてありがとう」
「そういう意味じゃない。どうせ夕食も手抜きで済ます積りだったんだろう」
「お、作ってくれるのか!」
「甘えるんじゃない。一緒に作るんだ」
「ええ~~~~。でも、まだ首飾りが」
「どっちみち今日は完成しないだろう。違う作業をして休息しろ」
はじめの言い分は反論の余地のないもので、私は渋々立ち上がると、台所に向かったのだった。
それから一週間後。
出来上がった首飾りを持ち、私は県立美術館近くのマンションに向かった。
そこは金子さんの自宅兼アトリエで、ギャラリーで商品を売らない時には、そこが即席の店舗となる。首飾りが完成したと電話で告げると、何度か来たことのあるそこに招かれた。うちのマンションとは違い管理人が入り口に常駐している立派なものである。入り口で部屋の番号のボタンを押すと金子さんが応答し、自動ドアが開いた。
五階にある金子さんの自宅は見晴らしが良い。
窓からは県立美術館や樹々が見渡せる。非常に魅力的な立地だ。
お茶を出してもらい、琥珀の首飾りを取り出してテーブル上にそっと置くと、金子さんはそれを持ち上げ、吟味するように凝視した。
数分後、金子さんはほう、と息をつき、笑顔になった。
「想像以上の出来だわ。ありがとう、琴坂さん」
この言葉に私も笑顔になる。
依頼を確実に果たせた時ほど嬉しい時はない。
「母はね。昔、美術教師をしていたの。影響を強く受けたわ。とにかく美しいとはどういうものか、美しくあるにはどうあるべきかと口を酸っぱくして巻き返し繰り返し言われて育ったの。それに反抗した時もあったけれど、三つ子の魂百までかしらね。結局、こんな職に就いてる。……近くの病院では受け入れ態勢が万全じゃなくて。少し遠くに入院することになるかもしれない。そしたら私もしばらくは休業して母の看護に専念するわ。琴坂さんが最後にこんな素晴らしい作品を見せてくれたから、決心がついた。感謝してる」
澄み切った湖のような表情で、金子さんはそう告げた。
私はそんな彼女の顔をぼんやりと眺めていた。
金子さんの会社から抜けると言った時、金子さんの見せた険しい表情は、怒りではなく心配ゆえのことだったかもしれない。私の心の中で小さな棘となって刺さっていたことが今、優しく融解しているのを感じる。
くすりと金子さんが微笑んで茶目っ気のある顔で私を見る。
「これ、母にあげる積りなの。こんなに素敵な首飾りを見たら、気持ちも前向きになるんじゃないかと思って」
それから私は必要経費と料金を受け取ると、金子さんのマンションを出た。
足取りがいつになく軽やかになる。
一つの大きなことを成し遂げたとそう感じる。長年のしこりが解消した。
今回の依頼は、私の中でも大きく飛躍する好機だったのだ。
柔らかく、穏やかな風が吹いて私の髪を控えめに乱した。
見上げれば丁度、黄味のような琥珀に似た太陽が空にあった。