第72話 怪我人を乗せて
アンナ達は、オルフィーニ共和国へと向かっている。
イルドニア王国を出発し、数日が経っていた。
アンナ達は、馬車で移動しており、御者席にはアンナとカルーナが座っている。
「カルーナ、こっちでいいんだよね」
「うん、そのまま真っ直ぐでいいよ」
イルドニア王国を出発した日、カルーナはガルスと入れ替わる形で、馬車の中に入っていた。その原因がなんだったのか、アンナにはわからない。
ただ、一つわかることは、あれからカルーナの態度が少し変わったことだった。
「ねえ、カルーナ……」
「何? お姉ちゃん?」
アンナにとって、それはとても気になるものだ。
カルーナの態度は、悪くなった訳ではない。ただ、少しだけ距離感があるのだ。
「その……何かあった?」
「……別に何もないよ」
例えば、以前までならこの御者席に座っている時、アンナと隙間なく引っ付き、体を押し付けてくるが、今は引っ付いているだけなのである。
「……本当?」
「……本当だよ」
アンナとカルーナとの関係は、一度崩れたことがあった。その時のことを思い出し、アンナは恐れているのだ。
アンナは、再びカルーナに離れられたら、駄目になってしまうことを確信していた。
いくら使命感が芽生えたからとはいえ、元々の目的はカルーナとの平穏な暮らしを取り戻すことなのだ。そのための前提条件が崩れたら、アンナは戦えなくなってしまうだろう。
「……それなら、いいけど」
「……うん」
いつもより少しだけ距離の開いた二人は、変わらず馬車を走らせるのだった。
◇
「うん……?」
「どうしたの? お姉ちゃん?」
アンナが馬車を走らせていると、その道筋に一人の人間が立っていた。
体はマントで覆われており、短く青い髪をした中性的な顔立ちの人間だ。年は、アンナと同じか、少し下くらいだろうか。
その人間は、手を上げてアンナ達に合図をしていた。
「……なんだろうか?」
「わからないけど、とりあえず止まってみた方がいいかも」
「そうだね……」
アンナは、馬に止まるように合図を出す。
馬車が止まったのを確認すると、青髪はアンナ達に声をかけてきた。
「悪いが……俺を乗せてもらえないか?」
「え?」
「足を怪我してしまったて、歩けないんだ……」
そう言って、青髪は足を指さす。
確かに、包帯が巻かれており、怪我をしているようだ。
「……カルーナ」
「うん、お姉ちゃん……」
そこでアンナとカルーナは、顔を見合わせる。
もちろん、困っている人間を助けることは、二人にとって当然のことだ。
ただ、問題が一つだけあった。
「その……乗ってもいいんだけど、中の人達に事情を話すから、ちょっとだけ待って欲しいんだ……」
「もちろんだ。世話をかけてしまって申し訳ないな」
「それじゃあ、カルーナ、よろしく」
「うん」
それは、馬車の中にいる者達のことである。
「それと、中の人達はちょっと個性的だけど、悪い人ではないから、気にしないでくれるかな?」
「……うん? まあ、乗せてもらえるのに、文句を言ったりする気はないぜ」
ティリアはともかく、残り二人はマントと鎧だ。普通の人が見たら、少々驚く可能性がある。
「お姉ちゃん、皆に伝えたよ」
「よし、それじゃあ、こっちへ肩を貸すよ……」
「すまないな、ありがとう」
アンナが肩を貸し、青髪は馬車の中へと案内されていく。
「……あ、名前を聞いてなかったね。私は、アンナ、そっちは妹のカルーナ。よろしくね」
「俺は、ネーレだ。よろしく頼む」
青髪はネーレという名前のようだ。
アンナは馬車のドアを開け、ネーレを中に連れていく。
すると、ネーレは目を丸くして驚いた。
「なっ……!?」
やはり、事前に宣告していても、驚きは変わらなかったようだ。
「そ、その……こちらにどうぞ」
そんなネーレを落ち着かせるために、ティリアは彼女を自分の隣に座らせる。
ガルスとツヴァイは特に反応せず、黙っていた。
「い、いや……これはなんの集団なんだ?」
「ティリア、ネーレさんのことを任せても大丈夫かな?」
「あ、はい。お任せください」
ネーレは困惑していたが、アンナは残りのことをティリアに任せることにする。
いつまでも、ここで止まっている訳にはいかないからだ。
こうして、アンナは御者席に戻るのだった。
「ど、どういうことだ?」
「ネーレさんでいいんですよね? 私はティリアといいます」
「あ、ああ……」
ティリアは、とりあえずネーレを落ち着かせることにする。
「あちらは、ガルスさんに、ツヴァイさん。お二人とも、悪い人ではないので大丈夫です」
「ガルスだ、よろしく頼む」
「ツヴァイという。ティリアの兄だ」
「よ、よろしく……」
二人が普通に挨拶をしたことで、ネーレも少し落ち着いたようだ。
これで、ティリアがしたかったことができる。
「ネーレさん、少し足の様子を見せてもらえますか?」
「足を?」
「私は回復魔法を使えます。だから、ネーレさんの怪我を治せるかもしれません」
「……そうなのか、それなら、お願いしたいな」
ティリアのことを信用したのか、ネーレは足を上げ、包帯をとっていく。
すると、大きな切り傷が見えてくる。
「これは……かなりひどいですね」
「ああ、森で誤って罠に嵌ってな……」
「そうですか……今、回復魔法をかけますね」
ネーレは、森で罠に嵌ってしまったようだ。
森には、猟師などが獣や魔物を捕まえるために罠を仕掛けることがある。それに誤って人間が嵌ることは、稀にあることだ。
「回復呪文」
「おおっ……」
ティリアの回復魔法によって、ネーレの傷はどんどんと癒えていった。
聖女と言われたティリアにとって、このくらいの傷はすぐに治せるのだ。
「うん?」
「あっ!」
その時、馬車が動き出した。
そして、その揺れによって、ティリアとネーレがバランスを崩してしまったのだ。
「ティリア!」
「に、兄さん、大丈夫です……」
ツヴァイが思わず立ち上がったが、ティリアは無事であった。
なぜなら、ティリアが倒れたのは、ネーレの上だからだ。
「ネーレさん、大丈夫ですか?」
ティリアは半身を起こしながら、ネーレに声をかけた。
「だ、大丈夫……うん?」
「どうしたんです……あっ!?」
ネーレも、どこも打ってなさそうだったが、そこでティリアはあることに気づく。
それは、自分の手が、何か柔らかいものを掴んでいることである。
そして、その柔らかいものは、ネーレの胸元にあるのだ。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、別に構わないが……」
ティリアは、すぐに手を離すと同時に驚く。
「ネーレさん、女の人だったんですね」
「ああ、別に隠していた訳じゃないんだけどな」
ティリアは、容姿や口調から、ネーレを男性だと思っていた。
だが、どうやらネーレは女性のようである。
「ごめんなさい……男性だと思っていました」
「それも別にいいけど、とりあえず退いてもらえるか?」
「あ、ごめんなさい……」
ティリアは、ネーレの上から退き、再び座り直し、ネーレもそれに続く。
「でも、どうしてそんな口調を……?」
「うーん、多分男所帯で育ったからだな。その人達の影響で、こんな喋りをしてるんだと思う」
ティリアが疑問を口にすると、ネーレはそう答えてくれた。
「……治療を続けましょうか。足をあげてください」
「ああ、よろしく頼むぜ」
ティリアの言葉で、ネーレが足をあげる。治療が、再開されるのだ。
奇妙な客人を乗せた馬車は、走り続けるのだった。




