小学4年――不音
ソロサックスの全国大会に向けて、おじさんの指導は一段と熱が入ってきた。
バンドのほうは他の先生にまかせ、終始付きっきりで指導してくれていた。それに応えるべく、僕も必死にくらいついた。
前だけを向いて。
だから、周りが見えていなかった。変化にも気づいていなかった。
バンドの大会が近づいてきたからか、何かピリピリしたムードになってきている。それは毎年のことだろうが、何かが違う。そう感じているのは僕だけだろうか。
どこか冷たい――そんなことを、ふと思うことがある。
ひと学年上だが、仲がいい健ちゃんが、冗談混じりで言っていたことがある。
「先生をひとりじめにしているから、嫉妬されてんだよ」
嫉妬などという難しいことを言われても分からないが、よくは思われていないということか。おじさんと親戚だからと、その嫉妬ってやつをしている人もいるらしい。
でも、健ちゃんは「まあ、気にするな」といつもと変わらない。相変わらず笑わしてくれる。学校の先生の物まねというのも、学校が違うからよく分からないのに、なぜか面白い。
そんな休憩時間は、いつもと変わらない。
健ちゃんとは、まだ遊び程度に楽器をしていたキッズクラスの時から一緒だが、その時から何も変わっていない。
上のクラスになって、サックスを始めたのは、母ちゃんに勧められたからだけど、先に健ちゃんがサックスをしていたということも、少なからず影響があったと思う。
「まあ、大ちゃんは大ちゃんでソロがんばれよ。こっちはこっちでメンバー入り目指してがんばるから」
健ちゃんは、そう言って握り拳を作った。その後すぐに、
「さすがに信ちゃんには勝てないから、セカンド(ポジション)か、サード狙いだけど」
苦笑いを浮かべていた。
僕とバンドとは別練習だが、同じ大部屋でそれぞれ指導を受けている。
バンドを指揮する女性の先生も大会に向けて熱が入り、厳しい声が飛んでいる。僕も自分の練習に気合を入れなくてはならない。
そんな思いで、サックスへと息を吹き込んだ。
僕は集中して、一曲吹き上げると、大きく息をついた。
ふと、気付く。部屋の静けさに、背後を振り返った――バンドは?
バンドの音が止まっている。そして、先生が僕を見つめている。
その視線が僕からはなれた。僕の前に座るおじさんに向い、何やら意味ありげにうなずいている。そして、視線をバンドへと向けて、ひとりの女子へと声を投げかけた。
「倉中さん、いったん休憩して、外から(バンドを)見てみようか」
そう言われた6年生の彼女が、ゆっくり立ち上がっている。重い足取りで、部屋の横のほうに向かっている。
たまに見る光景ではある。部屋の横で控えとして楽器を手に座っている誰かと交代ということになるのだろう。アルトサックスとうことは、もうひとりしかいない。
健ちゃんはどこか嬉し気に立ち上がりかけている。気持ちはバンドの中でポツンと空いたイスに向かっているという感じだ。
がんばれ、健ちゃん。さあ、僕も練習練習。
おじさんへと視線を戻し、指示を待った。だが、おじさんは、「ちょっと、いいか」と立ち上がっている。
どういうことなのか。練習場所を移動するということなのだろうか。だけど、そんな場所がどこに?
とにかく、僕も立ち上がって、おじさんの後に。
それより、なんで健ちゃんは同じ場所に座ったままなのか。なんで声をかけられないの。
先生を見れば、彼女の視線は僕に向かっている。そして、おじさんの足はすぐに止まった。バンドの真後ろで。
「バンドの曲、春のイベントで吹ているし、分かるだろ?」
曲は分かる。でも、なんで……。
返事に詰まる僕に、おじさんは、「とりあえず、やってみろ」と背中を押してきた。
僕がバンドに……?
自然と視線が動く。その先には複雑な顔で僕を見る姿がある。驚き、戸惑い、混乱……。
健ちゃんの視線はすぐに下へと落ちた。
おじさんに再び背中を押され、足はその勢いで進んでいく。下を向く健ちゃんの横を通り、バンドの中へと。
席につくと、視線が突き刺さってくる。
健ちゃんかもしれないし、6年生の彼女かもしれない。他の子かもしれない。
僕は、ただ目の前の楽譜を見つめた。
先生の声ともに、演奏が始まった。
僕は、とにかく音符を追いかけていた。
それから、僕個人の練習は、バンド練習の後にするようになった。今まで以上に大変だが、それ以上に苦しいことがあった。
周りが変わっている。なんとなくではなく、あからさまに僕は避けられるようになっていた。
辛い。
でも、健ちゃんがいたから。健ちゃんは変わらなかった。
それに、信くんも。普段から無口なので、ほとんど、しゃべることはなかったけど、何かを聞けば、みんなと違って、普通に答えてくれていた。
だけど……。