第二十三話 お疲れ様
「……いっちゃった」
裕樹が去っていった扉を見つめながら、思わずこぼす。
できれば、もっと裕樹と一緒にいたかったし、ベッドから抜け出して、抱きしめてもらいたかった。
だけれども、それはできない。
……体が、動かないのだ。
しびれているとか、感覚がないとかいうものではなく、ただただ力が入らないようなものだ。
全力で力を入れれば、頭だけは動かせたのだが、それ以外はびくともしない。
(……これが、後遺症かな)
桜月は以前、「ライジング」を二回使ったらしいが、初めは一か月、二回目は半年以上も寝たきりだったらしい。
そして、こちらに来た時も、イオツミスマルの魔法を使ったことで、数日高熱を出して意識不明だった。
おそらく、同じようなことが起こっているのだろう。熱の有無はその時々で変わるようだが、あえて病名をつけるとしたら、魔力消費性疲労症で、その重篤なものだろう。
……それこそ、魔量暴走症を引き起こしそうなほどに。
なんでも、桜月の話では、魔力消費性疲労症の重症になったもののうち、急激に悪化したものが魔力暴走症なのだとか。
頭痛や動悸、胸痛、発作、……そして、桜空みたく、狂乱するのが主な症状らしい。
最悪の場合、死に至る……。
それでも、桜月は回復していたのだから、きっと大丈夫なはずだ。
こんなにも安らかに目を閉じているのだ。
全く苦しさは感じられない。
バノルスのご先祖様のようにも、祟りの二の舞にもならないと信じている。
時間はかかるかもしれない。
だけれども、みんなと幸せになると決めたのだ。
みんなを裏切るわけにはいかない。
……それに。
これからは、もう呪いにも、運命にも翻弄されることはない。
穏やかな時を過ごせるのだ。
だから、みんなで、ゆっくりと今までの分を、それ以上の幸福をつかもう。
(……裕樹ともこれからずっと一緒にいたいしね。だって、大好きだもん)
先ほどまでの裕樹の手の感触が残る自分の手を眺めながら、頬がだらけるのを感じた。
※
その後、病室に医者と看護師がやってきて、今は診察中だ。
いろいろなところを見てもらうので、裕樹には席を外してもらった。待っている間はみんなに連絡してくれるらしい。
ただ、今日は金曜日で、すでにお昼近くだということなので、みんな揃うのは早くて明日になる。
その間に桜空と桜月も起きてくれればいいのだが、一番はとにかく無事に起きてくれることだ。医者に聞いたのだが、とりあえず命は大丈夫だということなので、やはり待つしかないだろう。
一応、魔法である程度回復させることもできるが、気づかれずにやる必要があるし、体はまだ回復しきっていないので、一日一回が限度だ。
無理しては、リベカや、バノルスのご先祖様の二の舞になりかねない。
今はゆっくりと休む時だ。
とりあえず診察を受けたが、体が動かないこと以外、特に異常がないようだ。かなり気を遣わせてしまったが、しばらく寝たきりだったという桜月が歩けるようになっていたのだから、きっと大丈夫だと信じていて、特に暗い顔はしなかった。
そして、諸々の診察を終え、医者と看護師が去ろうとした時だった。
「……あれ? ここは……」
その瞬間、五月の頭の中に電流が走ったかのように衝撃が訪れる。
……帰ってきた。
帰ってきてくれた。
桜空のベッドの方から声が聞こえてきたのだ。
仰天したようにくるりと桜空の方へ医者たちが向かう。
「暁さん!? 暁さん!?」
必死の形相で桜空に呼び掛ける。
しかし、起きたばかりの桜空はなにが起きたかわからず、ポカンとしかできない。
「……? どうしたんですか……?」
再び桜空から言葉が紡がれる。
間違いない。
桜空も無事に生還し、目を覚ましてくれたのだ。
とてもうれしくて、目頭が熱くなる。
そのまま、声を押し殺して泣いた。
※
それから桜空も五月と同じように診察を受けた。
結果から言うと、五月と同じで、体が動かない以外は大丈夫だった。
なぜ二人とも同じ症状なのかわからず、医者たちは困惑していたが、詳しく検査するためにも、しばらく入院することになり、その説明を受けた。
それが終わると医者たちは去っていき、五月と桜空、まだ目を覚まさない桜月が残された。
互いに体は動かない。
それでも、口を動かしたり、頭を動かしたりはできたので、ベッドに寝たまま五月は口を開いた。
「……おはよう、桜空」
「おはようございます。五月は今日起きたんですか?」
「うん」
顔は無理に桜空に向けていない。
声だけの会話ではあったが、すぐそこにいるし、ずっと一緒にいたので、声色からだけでも簡単に気持ちが分かった。
今の桜空は、まだ状況をつかみ切れていなくて、色々と情報を探っているということだろうか。
「ほかのみんなは?」
「今日は裕樹だけ。あとのみんなは学校で、お義母さんと綾花は仕事中。で、裕樹は今までわたしが診察受けてたから、外に出てもらってたの」
「……ケセフ・ヘレヴは?」
恐る恐るといった感じで、少し震えた声。
きちんと討てたか、不安なのだろう。
ただ、その不安はもう必要ない。
もう、呪いにも怯える必要はない。
普通の人生を歩めるのだ。
そのことをわかってほしくて、なるべく穏やかな声を出した。
「……大丈夫。残骸はないし、特に騒ぎにもなってない。……やったんだよ」
「……そうですか」
まだ現実を受け止められないかのように、桜空の声はうれしいような、戸惑っているような、複雑なものだ。
沈黙が流れる。
桜空は五月の言葉を噛み締めて、心を整理しているのだろう。五月はそう思い、静かに待つことにした。
そして、それは時が止まったのではないかと思うほど、長く感じた。
それだけ様々な思いをしてきたし、五月以上に長い時を過ごし、幸福や地獄を味わってきたのだ。
そのすべてに思いを巡らせている。
一方の五月も、始まりから終わりまで、今一度振り返った。
呪いのこと。
魔法のこと。
桜空のこと。
そして、みんなのこと。
永遠に抜け出せないかと思っていた。
それでも、全て乗り越えた。
あとは、桜月が目を覚ますのを待って、魔法を滅ぼすだけ。
イオツミスマルを使って、全てを終わらせるのだ。
あるいはそれは、始まりかもしれない。
普通の女の子としての、幸せの時間の。
勉強したり、友達と遊んだり、大好きな人と一緒に過ごしたり。
当たり前のようで、当たり前でない、かけがえのない瞬間の数々を、余計な重荷など無しに味わえる。
そんな幸せだ。
――ああ、そうか。
ようやく、柵から解放されたのか。
だからこんなに心が軽くなった気がするのか。
まだ桜月は目を覚ましていない。
だけれども、もう不安はなかった。
全てを乗り越えられたのだから。
信じているから。
……約束したから。
だから、絶対に大丈夫。
「……よかった」
同じことを思っていたのだろうか。
憑き物が落ちたような、優しい声音で桜空がつぶやいた。
「……桜空」
その桜空に、友達として、妹として、娘として、労いと感謝を伝える。
「お疲れさま。そして、……ありがとう」
それだけで十分だった。
「……はい。こちらこそ、ありがとう。お疲れさま」
そこに、病室の扉からノックと、裕樹の声が聞こえてくる。
みんなに連絡が済み、戻ってきたのだろう。
「どうぞ」
五月の言葉を合図に、裕樹が入ってくると。
桜空が目を覚ましていることに気付き、その傍らに駆け寄る。
そこには孤独だった桜空の姿はない。
普通の女の子として友達と過ごす、幸せな光景が広がっていた。
次回、最終話「魔法の契りで幸せに」。
ついに最終回です。すごくあっという間だったような気もしますが、もともとボツにしたものを含めると、三年位前から構想はあったので、ようやく完成するのかとすごく感慨深いです。
そんな様々な思いや、裏話なども含めて、「後書」も最終話の後に投稿しようと思います。
明日投稿になります。最終話は午前中、後書は午後に投稿しようと思います。
最後まで、よろしくお願いします。