第二話 源桜空 後編
長い川のような日々を超え、桜空は友菜ちゃんと友達になった。
光り輝く幸せへの道のりの表舞台に、桜空も再び舞い降りたのだ。
友菜ちゃんは持ち前の明るさで桜空を迎え入れ、順調にその歩みを進める。
そう五月は思いたかったが、問題があった。
「ところで、桜空。ここにいたらまずいんじゃない? みんなに見られるということは、どこの誰だか知らない人がここにいることになるから、不法侵入になるんじゃ……。それに、日本国籍もないんだし、下手したら捕まると思うんだけど……」
五月は仮にも源家当主。イワキダイキの妄言で傷つきながらも、御三家を中心に対応に当たってきたが、その過程で行政的なことや、司法的なことも自然と学んできたからこそ浮かんだ疑問だ。
そして、バノルスの王女だった桜空も、五月の指摘で容易に問題に気付いてしまう。
……。
時が止まったような、沈黙のリフレイン。
友菜ちゃんも先ほど見知らぬ桜空を見て固まってしまったので、桜空がここにいる状況がいかにまずいかが身をもって分かった。
「……まずい、よね? どうするの、桜空ちゃん……?」
焦ったような友菜ちゃんの言葉で再び時間が流れ出す。
桜空は顎に手をやって考えるそぶりをした後、何か思い浮かんだのか、げんこつで自分の手をポンとたたいてから口を開いた。
「こうしましょう。五月と同じく、『メモリー・コントロール』を使いましょう。それで公的文書を偽造したり、周囲の人の記憶の一部をいじったりすれば、問題なしです。それを応用してこのままこの学校に入学しましょう。そうすれば呪いにも対応しやすいはずです」
……。
何度目かの沈黙。
「……なに平気で犯罪しようとしてるの?」
「あら。誰も知らなければ犯罪になりませんよ。『初めから私がいた』という状況にするだけなので、問題なしです。まあ、千渡村の方々には混乱が生じるかもしれないですが、そこらへんは御三家と相談したうえで、周辺の人の記憶をいじれば誰も気づきません」
呆れて渋い顔をしている五月に、あっけらかんと桜空は説明する。
「……でも、これって五月ちゃんがやってることと同じだよね? なら、……大丈夫、かなあ……?」
友菜ちゃんが首をかしげるように、一応これは五月のしていることの真似事である。
そのことに気付き、五月はバツが悪くなる。
「ま、まあ、ばれなきゃいいよね、……たぶん。そういえば桜空、あなた魔力は大丈夫なの? イオツミスマルの中だけでしか使ってなかったけど、今どんな状況?」
そのため、何も言うことができず、桜空の計画をしぶしぶ了承するが、問題は本当にできるかだ。
「問題ないです。体の調子もいいですし、そもそも魔力量は元から多いですから。血が濃い分、五月よりも多いかもしれませんね。『メモリー・コントロール』はかなりの魔力を食いますが、イオツミスマルの力を借りれば、簡単なことです」
「じゃあ、『フラッシュ』を使ってみて」
「いいですよ。……ほら」
桜空は呪文を使わずに、いとも簡単に手から光を出してみせる。
どうやら、杞憂だったようだ。
魔力量も、数々の修羅場を乗り越えてきた桜空なら問題あるまい。
しかし、まだ桜空にやらせるわけにはいかない。
「大丈夫そうね。それはいいとして……、桜空、まだやっちゃダメ」
「どうしてですか?」
「まだ御三家全体の了承を得られてないじゃない。それに、この学校に通うんだったら、学費はどうするの? お金を出してもらわなきゃいけない状況なんだから、まずはお義母さんと綾花に話を通さないとだめ」
五月の言うことはもっともで、生徒として学校に通うのであれば、そのためのお金が必要になる。それを負担するのは五月の保護者であるゆかり、つまり暁家。一応、源家の遺産から出費をしているが、それでも管理をしているのは暁家なので、絶対に話を通しておかなければならない話だ。
それに、五月もゆかりに許可をもらって「メモリー・コントロール」を使っているのだから、同じことをしようとする以上避けられない。
「……そうですね。まずは話をしないと。五月、……いえ、源家当主、源五月」
久しぶりに源家当主として呼ばれたので、五月は居住まいをただす。
村のトップとしての顔だ。
ひたすらがむしゃらに頑張っていた中学校のころとは違い、努力してきた今では、若いながらもすでにその場の空気が引き締まるほどの風格が漂う。
はじめて源家当主としての顔を見た友菜ちゃんは、少し戸惑ったように自分の視線を惑わしていた。
「今度の休み、つまり明後日日曜日に御三家当主の会議を開いていただけませんか? 私はそれまで宝物殿の中で身を隠します」
「大丈夫? 体が元に戻ったってことは、お腹もすくし、色々大変でしょ? それはどうするの?」
今まで桜空は五月以外見聞きできず、誰も触れない存在だった。そのためなのか、様々な生理的なことが起きず、ただそこにあるだけの、見えない石のような存在だった。
それでも、体が元に戻ったと考えられる今、以前のように生理的なことが起こることが考えられるので、その配慮が必要だと五月は考えた。
「そうですね……。とりあえず、それに関しては源家の本宅を使わせてもらってもいいですか? 水道とか使ったことがありませんが、ずっと五月たちの様子を見てましたし、いざというときには魔法がありますし。食料に関しては、朝日と暮らしてた時、時々狩りをしていたので、何とかなると思います」
「狩りって……、道具は?」
「その時は道具を使ってましたけど、魔法の方が便利です。大丈夫ですよ」
およそ桜空が狩りをしている姿など想像できないが、かつての村での暮らしでは食べ物の確保が耕作だけでは厳しいはずなので、それを補うためにも採集や狩りなどは必要だったのだろう。
……今の日本の法律で狩りをして大丈夫なのかは知らないが、いざとなれば「メモリー・コントロール」を使ってどうにかするのだろう。そんな事態になってほしくないが、今の日本ではイノシシやシカなどの獣害が農作物に多いので、その駆除になれば、……まだまし、なのだろうか?
できれば五月が食料も援助したいのだが、学生という立場上お金もないし、御三家に話を通してないために食事を恵んでもらうこともできない。
そのため、五月はしぶしぶ受け入れることにした。
「……じゃあ、とりあえず当日までは源家で過ごして。会議の時に詳しい話をしよう。
あと、友菜ちゃん。まだ何も決まってないから、桜空のこと、誰にも言わないでね」
「うん、わかった。……でも楽しみだなあ! 桜空ちゃんとの学校生活! これからもよろしくね!」
「はい。よろしくお願いします、友菜」
とりあえず桜空の存在がばれないように、すぐさま白魔法の「ゲート」で桜空は源家本宅に戻る。
一方の五月はお義母さんに連絡し、御三家当主の会議が日曜日に行われることになった。
※
「……本当に、あんたが桜空なのかい?」
全てを聞いて打ちひしがれてしまっているゆかりが重い口を開く。
ここは、千渡温泉の一室で、御三家の会議など重要な話し合いで用いられる部屋だ。
畳が何畳も敷き詰められ、他の部屋を隔てる襖で、周囲からは完全に孤立してしまっている。
ここに足を踏み入れるたび、どこか現実ではないような、厳かであり、他を寄せ付けないほど重い、異質な空気を五月は感じていた。
それは、今のように、御三家の当主三人が集まっている状況ならなおさらだが、そこに一人投げ込まれている桜空が感じる威圧感は、それ以上だろう。
その会議の議題となるのが、その桜空について。
予め五月と桜空、そして友菜の三人で話し合っていた内容を、ゆかりと綾花に話していたのだ。
「……はい。私が『桜空』と崇められることになった、サラファン・トゥルキア・バノルス――この地では、桜空というものです」
「そうかい……」
思わずゆかりはため息をつく。
御三家の当主として、神と崇められている存在であり、遠い過去では実際にこの村に住んでいて、祟りを起こした存在と直接対面していることに、神妙な気持ちなのだろう。
そして、桜空の夫である朝日の妹、菊が、暁家の初代当主、蘭の母親であり、さかのぼれば遠い親戚でもあるのだから、なおさら複雑な気持ちのはずだ。
一方の綾花は、目を伏せて唇をかんでいる。
桜空の話では、夫を殺すように命じたのが橘家。つまり、綾花の家だ。橘家の末裔である綾花にとって、自分がしたことではないとはいえ、根も葉もないうわさで、橘家の成美とも親しかった桜空の家族に手をかけさせた咎を、ただただ悔いるしかなかった。
「……橘家はあなたたちに申し訳ないことをしてしまったようですね。とても許されることではないですし、たとえそれが遠い昔のことだとしても、償わなければなりません。これは、源家に対しても、暁家に対してもですね。
大変申し訳ございませんでした」
綾花は土下座して頭を下げる。
ただ、五月は先祖が殺されたとはいえ、遠い過去のことで、簡単に許していいこととは思えない。
ゆかりも同じだ。
それを決められるのは、たった一人。
その時を生きていた、今も生きているもう一人の源家で、嫁だった、桜空しかいない。
五月が桜空の方を向くと、桜空はじっと綾花を見つめている。
そのまま沈黙が流れる。
永遠かと思われるほど長い。
まるで死刑宣告を受けるかのように綾花は感じ、先祖の罪をひたすら後悔する。
そして、その時間は唐突に終わる。
不意に桜空が笑みを浮かべたかと思うと、立ち上がり、綾花の目の前で腰を下ろした。
「……顔を上げてください」
綾花はその言葉で顔を上げると、桜空の笑みは憑き物が落ちたような、晴れやかなものだった。
「橘家の方が悔い改めて、贖罪を果たそうとしているのは、今までの橘家の方を見ても、あなたを見てもわかっていました。あなたは自覚がないかもしれないですけど、源家の五月を精一杯支えようとしているのを見て、その気持ちは本物なんだなと、私は思ったんです。それは暁家に対しても同じ。
あの時の領主とは違う。……きっと、成美がすごく後悔したんでしょうね。そうでなければ、橘家はここまで千渡村を、血腸村を支えることはなかったと思います」
そのまま桜空は綾花の手を取る。
綾花は茫然と桜空を見つめることしかできなかった。
「……私が、あなたたちを、あの時の領主、成吉の犯した咎を、……赦します。これからも、源家の子たちを、暁家の子たちを、よろしくお願いします」
桜空はそのまま綾花を抱きしめる。
橘家との見えない黒い鎖が溶けていく。
橘家の綾花にとって救いだったに違いない。
「……ありがとう、ございます」
実際、綾花は目に涙を浮かべて桜空と抱き合い、罪が赦されたことを噛み締めている。
しかしそれ以上に、桜空の黒い感情が、ようやく収まった。
朝日を奪われた恨みは、桜月との約束を果たして五月と相まみえた時には消えたように感じていた。
それでも、どこか心の片隅に残っていた。恨むことはなかったが、どうしても橘家の人たちを見ていても疑いの目を向けていたように思う。
だが、五月がイワキダイキや呪いのせいで苦しみ続けているとき、綾花は手を差し伸べてくれた。そんな綾花を見ていると、今までの橘家のことを考えても、本当に心を新たにして村のために尽くしてくれたのだろう。
それがわかると、自然と黒い感情が消えていった。
確かに悲しみはまだある。
それでも、今の桜空なら、それを乗り越えて橘家と手を取り合えた。
(桜月、朝日、……もう、いいよね)
ようやく、「桜空の祟り」は終わりを告げた。
五月はそれを見届けると、居住まいを正し、ゆかりと綾花に改めて桜空についての処遇を問うた。
「……では、源家当主として提案します。源桜空について、一村人としてこれから生活していくために、周りの人物の記憶、および資料の改変、そして、奥州女学院への就学を認めていただきたく思います。なお、その費用につきましては、暁ゆかりが管理しております、源家の遺産から出費することとします。異存はありませんか?」
「ちょっといいかい?」
ここでゆかりが手を挙げる。
「どうぞ」
「あたしは構わないんだが、桜空は源家の中でどういう位置づけにする? そして、学校にどう説明する? あんたらの意見を聞きたいんだが」
「そうですね、記憶を改変することで、双子の姉とすることにします。遠い親戚ということにしてもいいですが、その場合、新たな保護者を立てる必要があり、少々面倒かと。その点、双子の姉ということにすれば、直接ゆかりが引き取ったという体裁を取れますので、改変しやすいと思います。学校へは今年度最初から入学して、病気のために休学していたということにすればいいかと」
これは、五月と桜空が相談して決めた案だ。いくら改変するとはいえ、複雑なものとなるとリスクも大きい。そのため、事情を知っているゆかりが元々保護者になっていたということにしようと考えた。
学校についても同じで、転入にしようとは考えたのだが、別の高校に入学していたことにしたり、試験を受けたりするなど、かなり複雑になる。そのため、最初から入学して病気で休学した、ということにしようと考えたのだ。
この案を聞き、ゆかりと綾花は友菜と同じように複雑な表情をしたが、直前に五月がこの間の呪いへどう対処したかを聞いていた。
「……わかった。気は進まないが、あたしは認めよう。綾花は?」
「まあ、……はい。そうですね。私も気は進まないですけど、できるみたいですし、このまま放っておくわけにもいかないですし……。しょうがないですね。認めましょう」
そのため、二人はしぶしぶ首を縦に振った。
「だが、そうなると桜空の名前は、『暁桜空』になるが、それでいいかい? 五月も暁家の養子という形なのだから、そうしないとつじつまが合わないんだが」
ゆかりの指摘に、桜空は首を縦に振る。
「かまいません。一応源家ではありますけど、それは五月と同じです。そもそも、私の夫の妹が暁家初代当主の蘭を産んだんですから、親戚同然です。ありがたくその名を頂戴いたします」
五月は戸籍上、暁家になっているが、源家の当主、源五月としての顔を千渡村では持っている。それと同じように、戸籍上では暁桜空とし、村では源桜空とする。
一番それが現実的で、桜空もそれを受け入れる。
「橘家、源家当主もそれでいいかい?」
「はい」
「源家も同意見です」
他の御三家も受け入れる。それは、最終決定と同義。
「それでは、これから、源桜空は、暁桜空と、形式上は名乗ることとします」
五月が宣言し、正式に決まる。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
桜空は手を畳につけ、頭を下げる。
これで、御三家の承認を得られたことになり、桜空は「メモリー・コントロール」を使用し、普通の暮らしができるようになった。
やっと、スタートラインだ。
桜空は娘との約束を果たすためにも、精一杯日々を楽しもうと思った。
なにも、それは悲壮な決意ではない。
希望に満ちた、幸せへの第一歩だ。
「では、このあと桜空による『メモリー・コントロール』で、記憶、記録の改変を行います。以上です」
五月が締めくくると、すぐさま桜空が立ち上がる。
「では、今から行いますね」
「それはいいが……、どれだけの人間にしようと考えてるんだい? あたしらは知っていた方がいいんだろうが」
ゆかりの指摘に、桜空は顎に手をやって考える。
「そうですね……、とりあえず、私たちは対象外にします。そうでないと、相談した意味がないですし。あと、五月と親しい、佳菜子、麻利亜、裕樹、友菜、李依、柚季、亜季も対象外にした方がいいと思います。みんな魔法のことは知っていますし、今までの仲から考えても、改変するのは五月にもみんなにも失礼だと思います」
「新しい友達は大丈夫なのかい? 中学校の時みたいにはならないような子たちかい?」
五月が中学生のころ、ズッ友と裕樹のほかに、最初は加美山も友達だった。しかし、イワキダイキの記事のせいで裏切られてしまった。そんな五月を見てきたからこそ、ゆかりが心配するのも無理はない。
それでも、五月は首を横に振った。
「大丈夫です。かなちゃんとマリリンみたく、優しい子たちです。信用できます。そもそも、わたしの魔法に関する話を聞いてもみんな受け入れてくれましたから、大丈夫です」
魔法に関する話は、かなり危ないものだ。本当の友達と言えるような人たちなら受け入れてくれるが、表面的な人たちだと、イワキダイキのように面白がったり、あるいは加美山のように恐れられたりする。
五月がその魔法を使えて、さらに関係が深いと呪われるかもしれないと聞いても、みんなは受け入れてくれたのだ。桜空のことはまだ友菜にしか話してないが、きっと受け入れてくれるだろう。
そう信頼しているからこそ、みんなの記憶はいじりたくない。
「……わかった。そこまで言うならそうしな。綾花もいいかい?」
「そうですね。五月ちゃんがそこまで言うのなら、その方がいいと思います」
ゆかりと綾花が認めてくれる。
これで準備は整った。
「ありがとうございます。……では、いきますよ」
桜空は五月からヤサコニ・イオツミスマルを受け取る。
何百年ぶりに手にしたかつての相棒は、以前と変わらず青い光を放っていて、まるで故郷にある実家のようだ。
実際、桜空が愛用している杖のほかに、バノルスの時の物はこれだけ。
その力を借りて、再びこの地で暮らせるように。
「コネクト・トゥ・ヤサコニ・イオツミスマル」
体に熱のような、力が出てくるものが流れてくる。
イオツミスマルによる魔力提供だ。
そして、イオツミスマルは空間をつかさどる神器。
「ガイディング」
まずはこの村一帯に、目に見えない魔力の誘導路を作る。
この力を駆使すれば、最大数キロメートル四方の範囲で、狙ったところに魔法を直接使える。
桜空は自分の中に眠る魔力を、右手に持った杖に集め。
一気に解き放った。
「メモリー・コントロール」
次回、第三話「なんですかこれ!?」。明日投稿になります。お楽しみに。