第一話 源桜空 前編
本日から、最終章「アフターグロウ」です。
……なんだか、久しぶりのような気がする。
たった一日だけここに帰らなかっただけなのに、不思議なものだ。
きっと、友菜ちゃんが一緒にいて、早由先生たちがいるこの空間が、まるで我が家のような温かいものだからなのだろう。
五月の目の前には何にも染まっていない、真っ白な建物、もうほとんど花が残っていないが、桜の木がどっしりと構えていて、五月という住人を出迎えてくれた。
そして、そこにはもう一人出迎えてくれた人がいた。
「お帰り、五月ちゃん」
早由先生だ。今は木曜日の昼休みを過ぎた時間くらいなので、友菜ちゃんや、他の生徒たちは校舎にいるようだ。
「……ただいま帰りました。心配かけて、すみませんでした」
五月は頭を下げる。
入院するほどの魔法を使ってしまい、毎週のように心配をかけている早由先生には心配をかけっぱなし。いくら呪いを退けるためとはいえ、申し訳ない。
ただ、五月はその呪いに打ち勝った。
友菜ちゃんを、高井先生を、自分の体を守れた。
光がようやく差し込んだ。
ようやく晴れ晴れとした気持ちでみんなと過ごせるようになったので、五月の表情は言葉とは裏腹にとても明るいものだ。
……もちろん、「オラクル」で危機を予測するのが必須だが、週に一度の体調不良など、今後つかむであろう幸せのためなら、なんてことはない。
事情を知らない先生や、知っていても五月自身のつらい様子を見ることになる友菜ちゃんたちには申し訳なかったが。
それも込めての謝罪だった。
「ああ、いいんだよ。五月ちゃんや生徒みんなが無事なら。まあ、保護者さんやあたしたち、みんなにも心配かけるから、体調管理には気を付けてほしいとこだけど……」
早由先生は苦笑しながら謝罪を受け入れてくれる。
呪いに勝てたとはいえ、あまり話したくないことなので、深入りしないでくれたのは正直ありがたい。
「とにかく、元気そうでよかった。もうお昼の時間過ぎたけど、どうする? お昼済ませてないなら今日はこっちで食べるかい? ちょうどあたしもお昼取るとこだし、カップラーメンしかないけどたまにはいいだろ?」
「いいんですか? ありがとうございます」
五月はまだお昼を食べてなかったので、早由先生の好意に甘えることにした。
久しぶりのカップラーメンは意外とおいしかった。もちろん普段の早由先生の料理には遠く及ばないが。
当たり障りない会話をしながら食べたが、早由先生は五月に疲れが残っていると考え、今日は休むように言った。
一応先生は午後に授業があるらしく、何かあったらすぐ校舎に寮の電話で連絡するように言われたが。
つまり、寮には五月一人ということになる。
五月はそれを受け入れ、部屋に戻り自分のベッドでごろんと横になる。
二段ベッドの下で友菜ちゃんの寝ているベッドの木組みがいつものように見える。
自分の、友菜ちゃんとの部屋だからか、いつも見るその光景が目に飛び込んでくると。
なんだか、本当に呪いに勝てたんだなと、ようやく日常を失わずに済んだなと、しみじみと思った。
そして、今は授業時間中で、寮には五月ただ一人。
五月はその状況を利用して、誰もが寝静まった夜にやろうと思っていたことを今しようと思った。
五月はベッドから抜け出し、自分の荷物の中から青く輝く勾玉――ヤサコニ・イオツミスマルを取り出す。
呪いに対抗するためにずっと中にいた桜空を外に出すためだ。
いくら魔力の供給がある空間にいるとは言っても、常に魔法を使っているような環境なので、いくら呪われている体とはいえ、桜空にはかなり負担がかかる。
それも、ここ数日ずっとだ。
いつもは五月が体を休める週に二日は外に出て、桜空も体を休めていたのだが、いつもより長くイオツミスマルの中に入っているうえに、魔法を使ったので、五月ほどではないとはいえ、体に負担がかかっているはずだ。
それに、桜空も知っているだろうが、直接呪いに勝てたことを報告したかったのだ。
今まで呪いに勝つために、ずっと五月とともに努力してきたのだから、すぐにでもその喜びを分かち合いたかった。
そのため、五月はいつもの魔法でイオツミスマルの中に入る。
すると、すぐ近くに桃色の髪をして、巫女服を着た桜空がいた。
「ごめん、桜空。ちょっと長引いちゃったね」
まず五月は謝るが、桜空は笑顔で言った。
「いえ。あんなに頑張ったんだから、しょうがないですよ。私は大丈夫ですから」
その笑顔を見ていると、少し気持ちも軽くなる。そのまま、呪いに勝てた喜びを桜空に伝えた。
「桜空、……やったよ」
「はい。見てましたよ。……本当に、よかったです」
なんなのだろう。
たった一言では言い表せないほどのうれしさがあり、思い出があり、苦しさがあり、つらいことがあり。
そんな様々なことが思い出されて、とても複雑な気分だ。
それでも、ともにそれに立ち向かい、ついには乗り越えられたので、短い言葉でも桜空には十分伝わった。
「じゃあ、桜空。いきなりだけど、外に出よう。ずっと中にいて、ちょっと疲れたでしょ?」
「うーん、あまりそういう感覚はないですけど、そうですね。無理する必要はないですし。お願いします」
苦笑しながらの桜空の言葉を受け取ってから再びイオツミスマルから出て、そのつながりのスイッチを切る魔法を唱えると、いつもの友菜ちゃんとの部屋に戻り、目の前には桜空が現れる。
無事に外に出られたようだ。
……しかし。
「……痛っ!」
小さく桜空が悲鳴を上げる。
五月が足元を見ると、桜空はイオツミスマルからの空間から出た時に、少し高いところに抜け出てしまい、その隙間でバランスを崩して倒れたようだった。
……。
……。
「……えっと、桜空、なんで痛いの? ものに触れられないんだから、転んでもどこにもぶつからないでしょ? 今までそうだったし」
「……あれ? そうですね。なんででしょうか? まるでものに触れるようなものですが……」
桜空は足をさすりながら五月を見上げるが、五月と同じく困惑している。
試しに五月は桜空に手を伸ばしてみる。
桜空も自分の手を伸ばすと。
「……へ?」
二人の声が重なる。
二人の手は。
確かに重なっている。
まるで、そこに本当に手があるかのように。
五月には少し冷たいが柔らかな感触が。
桜空には温かくて包み込まれそうな感触が。
五月は手を握ろうとしてみる。
「……っ!」
二人とも息をのむ。
本当に握れてしまっている。
桜空は瞬きして、視線もさまよいながら、それでもしっかりとその感触を味わう。
どうしても困惑が隠せない。
……これでは、まるでそこに、かつてのように存在しているようにしか思えない。
「……さ、五月……」
「桜空……」
再び目線を交わす。
そして、桜空は意を決して五月の胸に飛び込むと。
……五月の胸の柔らかさが、伝わってくる。
「……う、うう……」
だんだんと桜空の目に涙が浮かぶ。
……うれしい。
その一言では片づけられないかもしれない。
ずっと、それこそ永遠に思えるような時間の中で、誰にも触られることができなかったのに。
イオツミスマルなしで、運命の子に触ることができたのだから。
「五月……、う……、うわああ……!」
桜空はそのまま五月にしがみつき、胸元で号泣する。
最初は少し戸惑っていたが、五月も桜空を抱きしめた。
「……お帰り、桜空」
桜空が永い時を超えて、再びこの地を歩きだした瞬間だった。
「……落ち着いた?」
どれくらい経ったろうか。
気が付けば影が長くなっている。
ずっと桜空は泣き続けていたが、ようやく落ち着いたようだ。
でも、それは永い間、いつ終わるかもわからない孤独や辛さを味わってきたのだから、その傷を癒すためには必要な時間だった。
「……はい」
少し顔を赤くして目をぬぐう桜空の表情は晴れ晴れとしていて、少しでも傷が癒えているようだった。
そこに。
「ただいまー! あ、五月ちゃん! 帰ってたんだ! おかえ……」
友菜ちゃんが帰ってきた。
昨日まで大会だったので、今日は部活は休みだったのだろう。
しかし、友菜ちゃんの視線が五月の隣にいる桃色髪の巫女服を着た桜空を捉えると、いったん時が止まったように固まる。
そして、首をロボットのようにぎこちなく五月に向ける。
「……ねえ、五月ちゃん。この、なんていうか、派手ぇな髪のお方は誰でしょうか……?」
目が点になっていて、困惑しているようだ。
突然見知らぬ人が部屋にいたのだから仕方ない。
しかし、五月と桜空は別の意味で驚く。
「え! 友菜ちゃん、見えるの!?」
……五月以外にも、ようやく桜空が見えるということなのだから。
触れた時の興奮がよみがえる。
「え? 何でそんなこと言うの?」
なおも友菜ちゃんは不思議そうな顔をしている。
桜空のことを普通の人間のように思っているから、ごく普通の対応だろう。
だが、桜空は五月以外見えないはず。
「……友菜、私に触ってみてくれませんか?」
桜空が手を差し出す。
本当に、自分が元の体に戻ったかを確かめるために。
小刻みに震えている。
「……もしかして、五月ちゃんの知り合い? まあ、いいか! よろしくね! うち、白鳥友菜!」
戸惑いながらも、いつもの朗らかさを醸し出しながら。
桜空の手を。
……握った。
「……っ!!」
五月と桜空は思わず息をのむ。
友菜ちゃんの熱が、手を温めてくれるのを感じる。
全てを包み込んでくれるような、優しく、柔らかな手だった。
……もう、間違いない。
桜空は、ついに元通りの体を取り戻したのだ。
かつてのように、神ではなく、人として生きられるのだ。
絶頂の喜びに桜空は包まれて、孤独になってしまった時の心の傷が、五月以外の人と見聞きできなかった寂しさが、五月だけで癒せなかった分も、隅々まで癒えていく。
……ようやく、桜空も幸せへの第一歩を。
桜月との約束を果たす、最後の一歩を、踏み出せる。
娘との魔法の契りに思いをはせながら、桜空は満開の花を咲かせたような笑みを浮かべて友菜ちゃんの手を握り返した。
「……はじめまして。友菜。私は、……源。……そう、源桜空です。よろしお願いします」
娘がもらった家名を、五月が受け継いだ家名を桜空も名乗る。
これまでは、この地では名字がなかったが、娘と五月との、朝日との距離が縮まった気がした。
「よろしくね! 桜空ちゃん! えっと、ところで、五月ちゃんとはどういう関係? なんで髪の色がピンクなの? あ、瞳も金色だね!」
「あ、え、えっと、……うーん」
友菜ちゃんが次々と質問するが、あまりの勢いと、……どう説明すればいいかの迷いで、どもってしまう。
桜空は五月の方を向いて、目で助けを求める。
ため息をつきながら五月は言った。
「友菜ちゃん。前、魔法のことを説明したでしょ? その先生だよ。で、わたしのご先祖様で、村の神様の桜空」
……。
沈黙が流れる。
それは当然なのかもしれない。
友菜ちゃんは目の前の女の子が神様で五月のご先祖様であるという、アニメのような非現実的なことを言われたのだから。
桜空はいきなり真実を告げた五月に驚いたから。
二人は五月の言葉に耳を疑い、思考が停止してしまったのだ。
やがて、誰かの息を吸う音が聞こえたかと思うと。
「えー! か、神様!? ほんとなの!?」
「あー……、ま、まあ、そうですけど……」
桜空は興奮する友菜ちゃんにどう説明したものか迷う。
だが、衝撃が大きすぎて、なにも思い浮かばない。
仕方ないので、今度は五月に耳打ちして相談する。
(五月、どうします?)
(全部話していいんじゃない? 魔法のことも伝えたんだし。それに、友菜ちゃんたちなら素直に受け止めてくれると思う)
ずっと五月は村のことや魔法のことで告白するべきか悩んできた。
その五月が信頼している子たちで、全て伝えてもなお仲良くしてくれていて、五月も話していいと考えている。
桜空も、直接話すのは初めてだが、今までずっと見てきていい人だと思っていたし、今こうして対面していてもその印象は間違いないと感じている。
とはいえ、想像しにくいバノルスの話をすべてする必要はないと思う。
だから桜空は、こちらに来るきっかけに関するバノルスの話と、こちらに来てからのことを話すことにした。
「えっとですね……」
バノルスという国から来たこと。
王女だったが、クーデターのためにこの地に逃げたこと。
夫となる人と出逢って、幸せに暮らしたこと。
娘が生まれたこと。
それでも、悲しい運命に巻き込まれたこと。
魔法で、誰とも見聞きできなくなったこと。
五月と出逢って、ようやく話せるようになったこと。
それでも、触れなかったこと。
五月のために魔法を教えるようになったこと。
いつのまにか、完全に日が暮れるまで話し込んでしまう。
最初は興味津々に友菜ちゃんは聞いていたが、次第に神妙な面持ちになる。
まるで物語のような人生を、実際に味わってきた本人が生々しく伝えたのだから、当然なのかもしれない。
五月は、以前告白された時のことを思い出し、改めて桜空の想いの強さが伝わってきた。
「……と、いう感じですかね。そんなわけで、魔法を使えることもあって、五月の言うとおり、神様になったり、死ねない体になって五月の先祖がここにいたりする状況になったんですよ」
全てを話した桜空は、かつての日々を振り返ったからか、どこか遠い目をしている。
確かにその日々は桜空が過ごした時間だったが、今となっては遥か昔。
誰も思い返すことのない、手の届かない遠くへと追いやられてしまった日々。
……いや。
たった一人、みんなに置いて行かれてしまった寂しさがあるのだろう。
簡単に桜空の気持ちが想像できず、友菜ちゃんはどう声を掛ければいいのかわからないという風に視線をさまよわせている。
それでも、全て聞いてくれていて、やはり話してよかったと五月と桜空は思った。
やがて友菜ちゃんの視線は桜空へと一点に定まる。
「そっか……。大変、だったんだね」
「はい……」
ただ、やはり多くは語れない。
気の遠くなるほどの時を過ごした桜空にかける言葉は、簡単には浮かばなかった。
「ねえ、桜空ちゃん」
それでも。
「私と、私たちと、友達にならない?」
手を差し伸べてくれる。
桜空に道を示してくれる。
桜空はその手に視線を向ける。
先ほどのあたたかくて、全てを包み込んでくれるような、優しく、柔らかな手。
その手に引かれたら。
五月と同じように……。
そして、今度こそ……。
友菜ちゃんの瞳へ視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべていて。
……あなたは、ここにいていいんだよ。
そう語りかけてくるようだった。
そのぬくもりに浸りたい。
みんなと一緒に幸せになりたい。
……桜月との約束を、果たしたい。
この子たちと。
そう思った。
桜空はおずおずと手を伸ばす。
動きが硬くて、とてもゆっくりとしている。
……本当に、一緒にいていいの?
そんな気持ちが横切って、こわばってしまうのだ。
しかし、その迷いを振り切るように、友菜ちゃんは勢いよく桜空の手を取る。
やはり、包み込んでくれるような笑み。
それを見て、ようやく。
「……これからよろしくお願いします。友菜」
桜空の頬が緩み、最高の笑みを浮かべた。
次回、第二話「源桜空 後編」。明日投稿になります。お楽しみに。




