第八話 鷲尾李依
「ん……」
いつもと違うぬくもりを感じて目が覚める。
隣には、髪を下ろした友菜ちゃんが、すやすやと眠っていた。
昨日はポニーテールでとても活発そうだったが、無防備な寝顔からはそれとは違った、穏やかさのようなものを感じて、なんとなく、距離がかなり縮まったように思える。
これから、もっと仲良くなるのだろう。
そうなれば、幸せになれるかもしれない。
そう思う一方で、やはりまだ五月の心には影があった。
……呪いだ。
五月と仲良くなった場合、友菜ちゃんを巻き込んでしまうかもしれない。
最悪、また……。
それを想像するだけでも怖い。
でも、そうならないように、魔法を練習してきたのだ。
いつまでも、後ろを向いていられない。
友菜ちゃんの明るさを見習って、前を向いていこう。
それに、友菜ちゃんと一緒なら、きっと楽しい、幸せな未来が待っている。
そんな気がした。
カラン! カラン!
その時、ちょうど起床の時刻を伝える鐘の音が聞こえてきた。
「う、うーん……」
しかし、友菜ちゃんは身じろぎするだけで、目を覚まさない。
定刻通りに起きられないのはまずいと思ったので、五月は友菜ちゃんをゆすって起こすことにした。
「友菜ちゃん、友菜ちゃん。朝だよ」
すると、友菜ちゃんは目を開いた。
が、うつろな目で、まだ意識がはっきりしていないようだ。
なので、もう一度、「朝ですよ」といった。
「……朝?」
まだ寝ぼけた様子だが、大きな伸びをして、友菜ちゃんはようやく体を起こした。
「うん。朝だよ。おはよう、友菜ちゃん」
「……ああ、そうか! もう、寮生活なんだっけ! すっかり忘れてた! おはよう、五月ちゃん!」
ようやくはっきりした口調になる。
「いやあ、ごめんね。うち、朝弱いから……」
友菜ちゃんは苦笑する。
「大丈夫だよ。なんならもし起きられなかったら、わたしが起こすけど」
「え、悪いよ、それは。なるべく起きるから、心配しなくていいよ。……でも、もしできなかったら、その、お願いします……」
友菜ちゃんは顔を赤くしながら縮こまる。
「うん。じゃ、急いで準備しよ。このままだと遅刻しちゃうよ」
「あわわ! そうだった! それに今日入学式だから、絶対遅れちゃだめだよ!」
「……それはいつもそうでしょ」
多少呆れながらも、家族だった楓が帰ってきたようで、五月はうれしかった。
※
天にまします我らの父よ、願わくは御名を崇めさせ給へ。
御国を来たらせ給へ。
御心の天になる如く地にもなさせ給へ。
我らの日用の糧を今日も与え給へ。
我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦し給へ。
我らを試みにあわせず、悪より救い出だし給へ。
国と力と栄とは限りなく汝の者なればなり。
アーメン。
食堂に集まり、皆で礼拝を捧げる。
この寮では、簡易的に、「主の祈り」を全員で唱えることで、礼拝としていた。
礼拝などしたことのない五月と友菜ちゃんは、昨日早由先生からもらった紙に書いてあったので、それを見ながら唱える。
この礼拝でもって一日が始まるのが、奥州女学院だ。
ミッションスクールと呼ばれる、キリスト教の信仰に基づいて教育を行う機関のため、カリキュラムに組み込まれている。
五月はまだ習っていないが、どんなものなのか、内心興味があった。
そのような物思いにふけっている五月をよそに、早由先生が口を開く。
「えっと、今日は入学式だから、朝食を食べたら各学年指定された時間までに教室に行くこと。昇降口のところに新しいクラスが張ってあるから、それを見て自分のクラスとその場所を確かめてね。とくに五月ちゃんと友菜ちゃんは初めてだから、先輩に色々聞くなり、周りをよく見たりしてね」
「はい」
五月と友菜ちゃんが返事をしたのを確認すると、早由先生は先ほど主の祈りを唱えた先輩に目配せする。
「では、いただきます」
「いただきます」
※
朝食を食べ終わった後、五月と友菜ちゃんは一緒に校舎へと向かい、昇降口で自分たちのクラスを探し始めた。
その場所は、ちょうど学校に入る門を直進した場所で、昨日、事務室へ向かった時の出入り口がちょうどど真ん中だったのに対し、昇降口はその両手側に分かれていて、高校生の方は左手側だった。
「……見つけた?」
「ううん。まだ」
二人で一年生の名前が並ぶ、クラスが書かれた紙を探すが、人数が多く、自分たちの名前を探すのも一苦労だ。
しばらく探していると、友菜ちゃんが声を上げた。
「あ! 五月ちゃん! 見つけたよ!」
友菜ちゃんの方に向かうと、確かに五月の名前が書かれていた。
「……あれ? 友菜ちゃん、一緒のクラスだよ」
「本当だ! やったね! 一緒だ!」
友菜ちゃんが五月の手を取って喜ぶ。
いきなりのことに五月は少し驚くが、友達になったばかりの子が同じクラスというだけでも心強くて、うれしかった。
あちこちで二人と同じように自分のクラスを確かめ、そこに向かう様子が見られる。
二人は昇降口で靴を履き替え、おしゃべりしながら教室へ向かった。
教室に着くと、名簿と席が張り出されていたので、それを確かめて中に入る。
教室では、クラスメイトとなる子たちが、いくつかのグループとなって談笑していた。
それに漏れず、二人も自分の席に荷物を置いてから、一緒に過ごした。
そして、予鈴のチャイムが鳴った直後、一人の男性が入ってきた。
「よし、みんないるな。席座って」
それを合図に、みな自分の席に座る。
「このクラスの担任の高井雅弘といいます。今日からよろしく」
背の高い、短髪の先生だ。とてもさわやかそうな人で、好感が持てる。
中学校の時の駄目な教師とは大違いだ。
「このあと、礼拝堂で入学式をやるから、ちょっと待っててな。今のうちに点呼するから、呼ばれたら返事してくれ。一番、暁五月」
「はい」
それからは、いろいろ説明したり、礼拝堂へ向かったりして、礼拝堂前の廊下で一回待機した。
そして、中に生徒が入っているのだろう、どんどん前へと進んでいく。
そのまま前に着いて行って、五月は礼拝堂へと足を踏み出す。
手前側の席で、大勢の保護者が。
そして、辺りを震わせるような音楽が出迎える。
どこか、厳かなような、体の芯に伝わってくるような、そんな音色だ。
それを、壇上のオルガンで、男の人が奏でている。
そのまま生徒は、壇上の手前にある、自分の席へと入っていった。
それからは、讃美歌という歌を歌ったり、聖書を読んだり、祈ったり。
先生の話を、説教という形で聞いたり。
そんな、礼拝形式で入学式は進んでいく。
最期にはまたオルガンが奏でられ、入学者たちは礼拝堂から送り出されていった。
※
その後、二人は自分たちのクラスで自己紹介をした。
出身中学校、自分のアピールポイントとともに。
五月はあまり思いつかなかったので、巫女だという話をしたら、大いに受けた。
かつて、かなちゃん、マリリンと出逢うきっかけとなった時みたいに。
一番最初に自己紹介が終わって、みんなのを聞きながら、五月は、もしかしたらここでも大事な人ができるのでは、と思った。
「ねえねえ、暁さん。巫女なのよね。リーにもっと詳しく聞かせて」
自己紹介で今日のところは終わりだったので、物思いにふけりながら荷物を片付けていた五月に、声がかけられる。
振り向くと、黒の長髪がとてもきれいな、それこそ美人といえる子が立っていた。
「えっと、ごめん、名前、なんだっけ?」
一回で名前を覚えられず、五月は頭を下げながら尋ねる。
「リーは鷲尾李依というのよ。中学校の時までは、リーと呼ばれてたから、ぜひそう呼んでほしいわ」
そう言って微笑むリーちゃんは、とても大人っぽくて、見た目の印象とぴったりだ。
「じゃあ食堂でご飯食べながらお話ししよ! 今日は食堂開いてるみたいだし、うちら寮生活だから、昼食は学食なの!」
いつの間にか友菜ちゃんがやってきていてリーちゃんを誘う。
「わかったわ。リーも準備するから、少し待っていてくれる?」
そう言ってリーちゃんはさっさと自分の荷物をまとめ、二人の元に戻ってくる。
その間に五月も自分の荷物をカバンに詰めたので、みんなで食堂へと向かった。
「それで、巫女ってどんなことをしているの?」
食堂で五月と友菜ちゃんは弁当を受け取り、リーちゃんはカバンから取り出したピンクの花柄の包みから弁当箱を出し、一緒のテーブルへ集まり、食事しながら先ほどの続きになった。
「年に一回ある、杯流しっていうお祭りの時に舞を踊ったり、口噛酒を作ったり、それを川に流したりしてるよ。それ以外にもいろいろしてたけど、ちょっといろいろあって、今はそれと、神様を祀ったり、神社の重要なところを守ったりしているかな」
「へえ。今はお守りを売ったり神社を掃除したりしているという情報があったのだけど、意外といろいろやっているのね」
「まあ、ちょっとわたしの村は特殊な部分も多いからね」
さすがに詳しいところまでは話せないので、多少ぼかしながら説明したが、特に気にされることもなく、一安心だ。
「じゃあ次はリーちゃんの番だね! リーちゃんは中学のころ何してたの?」
友菜ちゃんがリーちゃんに尋ねる。
「そうねえ、特別なことはしていないのだけれど、しいて言えば勉強と部活ね。リーの家は結構厳しいから。なかなか期待に応えられなくて、第一志望の高校に落ちてしまったのだけれど」
苦笑しながらリーちゃんが答える。
先ほどまで凛としたものを感じていたが、それが陰ってしまったように見えたのは、おそらく見間違いではないだろう。
つらいことを思い出させてしまったかもしれない。
「あわわ! ごめんね! ちょっと無神経すぎた……!」
「いえ、いいのよ。もう気にしてないし。その時は……、まあ、号泣しちゃったけど。それに、奥州女学院に入学した子は、大半がすべり止めだし。むしろリーたちが、ここを第一志望にした子たちに失礼なんじゃないかって思うほどよ」
リーちゃんが言った、奥州女学院がすべり止めだという話。
実際、これは多くの生徒にとってはそうだ。
大山市内に、代表的な高校が三校あり、それを受験する人のほとんどが、もしものためのすべり止めとして受けていた。
すべり止めとなる私立の高校としては、評判がよく、大学へも進学しやすい学校なためである。
そのため、五月のように第一志望に挙げる人は、少数だった。
それでも、中学校から入っている、中入生と呼ばれる人たちは、エスカレーター式で進学できるということもあり、ほとんどがそのまま奥州女学院高校に進学してはいるのだが、そのせいか、どうやら中入生の中には意識の低いものもいるらしい。
そのようなことを入学が決まった後、色々調べている中で、五月は知った。
それはともかく、この場の空気は少し凍り付いていて、かなり気まずくなっている。
どうしようかと五月は考えていたが、なかなか思いつかない。
「……ねえ! それよりも、どの部活に入るの!?」
そのとき、その空気をなんとかしようと、友菜ちゃんが声を上げてくれた。
部活の話を持ち出して。
「部活、ね。まだリーは決めてないわ。五月は?」
「えっと、ずっと部活をやってなかったからうまくできるかわからないけど、陸上部に入ろうかなって思ってる」
五月は決めていた。
もし部活をやるとしたら、陸上部にしようと。
それは、他の運動をやっていない中、陸上に関する運動だけは今まで一人でやってきていたこと、早くなるための練習がそのまま魔法の向上になると考えていたからであった。
そして、あわよくば、かなちゃん、マリリンと、また走れたらなと、そんな願いもあった。
「陸上部かあ! じゃあ、うちも陸上部にしよっと! もっと足速くなりたいし、五月ちゃんと一緒にいたいし!」
「それじゃあ、リーも陸上部にするわ。一人だけ仲間外れもどうかなと思うしね」
二人の言葉を聞いて、五月は驚く。
五月のために、自分が入りたいところをやめてまで一緒にいてくれようとしているのではないかと思ったのだ。
「いいの? 入りたいとことかあったんじゃ……」
「大丈夫だよ! だって、どこに入ろうか迷ってたんだもん! それだったら、身近な人が一緒の方が絶対いいし!」
「リーは中学のころ、陸上部だったのよ。高校からどうしようか、色々見て決めようと思っていたのだけれど、あなたたちが一緒なら、昔やっていたのもあるし、そこがいいと思ったの。陸上はなんだかんだ楽しかったしね」
二人はそんな五月の心配を一蹴する。
二人は確かに五月と陸上部に入ることを望んでいたのだと、五月はわかった。
「……じゃあ、これからよろしくね」
「うん!」
「もちろん」
こうして、五月たちは陸上部に入る意思を固めたのだが、今日はまだ入学式で、明日に部活紹介もあるということで、明日の放課後に、陸上部の方に行くことにした。
※
その日の夜。
すでに消灯時間は過ぎ、友菜ちゃんは静かに寝息を立てている。
五月は起こさないようにベッドを抜け出し、カバンからあるものを取り出した。
それは、青く輝く勾玉。
ヤサコニ・イオツミスマルだった。
「コネクト・トゥ・ヤサコニ・イオツミスマル。
ゴー・イン・ヤサコニ・イオツミスマル」
いつもの呪文を唱えると、見慣れた暗いのに明るい、宇宙のような不思議な空間にたどり着く。
そこにはすでに、巫女服を着たピンクの髪をした人がいた。
「……桜空、ごめん、待たせたね」
五月が声をかけると、桜空が振り返る。
「……いえ。少しでも五月には楽しい学生生活を送ってほしいですから」
少し悲しそうな表情をしているように感じる。
呪いへ対抗するためには、たとえ学校に通っている間でも、魔法の練習は欠かせない。
だからこそ、消灯後に、誰にも見られないように気を付けて、イオツミスマルを使う必要があった。
そのため、寝不足になることが考えられたが、白魔法の一つである、時間魔法の「タイムコントロール」により、五月の時間を調節することで対応することにした。
かなりの負担が強いられるが、仕方ない。
普通の女にあこがれた桜空にとって、普通の学生生活を送れない五月を見ていると、身を切られるような思いになってしまうのだった。
「じゃあ、いくよ」
五月は、桜空の指導の下、魔法の練習に励むのだった。
次回、第九話です。明日投稿になります。お楽しみに。