第二十話 闇への誘い 後編
「母様、父様、お話って、何ですか? ……昨日のことですか?」
翌日、朝食をとりながら、桜月に話があると伝えた。
家の外からは冷たい雨の降る音が聞こえる。蛙の大合唱も聞こえて、不幸へと誘うような不気味な雰囲気に満ちていた。
それでも、避けて通れないことだった。この先も、幸せであり続けるためには。
朝日が目配せしてくる。
私は頷いてから重い口を開いた。
「……はい。あなたに、伝えなければならないことがあります。――昨日の黒い影の正体と、私とあなたの存在についてです。
まず、……私は、この地のものではありません。『チェンジ・ピグメント』」
その呪文を合図に、私の髪の色が、この地のもののような、漆黒の黒色から、桜の花弁のような、桃色へと変わっていく。
それを見て、桜月が息をのむのがわかる。
「……では、母様はどこからいらしたのですか?」
どこか、戸惑いの色を隠せない様子だ。
もっと困惑させることになるのを詫びてから、私は続けた。
「私は、バノルス王国という国から来ました。そこでは王女でした。まあ、帝の娘とでも思ってください。
当時、国のために、ある研究をしていました――それは、『魔法』というものです。
桜月は、時々ここの神社でお祓いを見ると思いますが、それが一番近いかと思います。ですが、それだけで片付けられるものではありません。
魔法は、使うことで様々なことができます。火をおこしたり、水を出したり、植物を成長させたり、光を出したり、……影を作ったり。
その魔法の研究をしていました。
ですが、……っ、ある時、反乱がおこりました」
一瞬、リベルの横顔が浮かぶ。
ただ、余計に桜月を惑わせるものになるかもしれない。とっさにリベルのことはぼかすことにした。
「そのせいで、私はバノルスにいられなくなりました。魔法の実力ではかなりのものでしたが、それが封じられてしまったために反撃ができなかったんです。
そして、私は魔法の封じ込めから外れた場所で、魔法を使える道具を使って、この地へと逃れました。この家のある山の奥です。
私は逃げた時の疲労で、倒れてしまっていたそうです。それを助けてくれた人がいました――それが、私と朝日の、母様と父様の出会いです」
今でもはっきりと思い出せる。
私のことを本気で心配してくれていた彼のやさしさを。
「桜空」と名付けてくれたことを。
満開の桜を見せてくれたことを。
ここに居ていいと言ってくれたことを。
助けたいと言ってくれたことを。
そのぬくもりは、何もかもを失った私を、温かく包み込んでくれた。
だから私は、幸せになれたんだ。
「その時から、私は朝日に恋していたのかもしれません。
でも、私には、……追っ手、がいました。今度は、魔法が使えて、……討つことができました。
そして、この家に帰った時、朝日が出迎えてくれて……。抱きしめてくれて……。
もう、朝日と一緒に居たくて、すごく心が安らいで。
私たちは、結ばれました。
幸せになれました。
そんな時です。
あなたが生まれたのは」
桜月に微笑む。
「あなたが生まれたのは、桜が満開の時の夜で、月が見えていました。風が吹いて、桜吹雪が舞って、月の光が桜色のように見えて……。
桜色の月のように思いました。
あなたの名前にぴったりだと思いました。
だから、あなたは桜月、なんです。
あなたが、私たちをもっと幸せにしてくれたんです」
桜月は、なんとなく顔を赤らめているような気がする。
自分自身が両親の幸せだという告白をされたから、こそばゆいのだろう。
しかし、やはり気づいたのか、はっとしたように顔を上げる。
「わたしが魔法というものを使える母様の血を引いていて、昨日の影が出たということは、つまり……」
どこか、怖いものを見たかのようなこわばった表情をしている。
察したようだ。私が言いたいことを。
私は頷く。
「察しの通り……、桜月が昨日出した影は、魔法の一種です。このまま制御できなければ、疲労したり、最悪、暴走や死に至ったりします。
それを防ぐために、私はあなたに魔法を教えたり、魔法を使う力――魔力を抑える道具を渡したりしたいのです。
このことを相談したかったのです。
受け入れて、くれますか……?」
桜月は、いったん深呼吸する。
「……一つ、聞きたいことがあります」
「何でしょう?」
「魔法を使うことの危険について教えてください。できれば、今回のように魔法が無意識で使われることが今後もありうるのかも知りたいです」
「魔法を使い過ぎると、魔力消費性疲労症という症状になることがあります。具体的には、発熱、疲労倦怠感などです。風邪のような感じです。ですが、最悪の場合、死に至る可能性があります。
また、もし魔力消費性疲労症が悪化したり、魔法を制御できなかったりすると、魔力暴走症というものになる可能性があります。我を忘れて狂乱してしまうもので、ありとあらゆるものを破壊しようとするとされます。たいていは魔力が尽きて倒れることで沈静化しますが、詳しいことは不明です。
桜月の場合、一番怖いのが魔力を制御できなくなることです。
今回のように、無意識に魔法が使われることは、今後はほとんどないはずです。ただ、全くないとは言えません。
問題は、初めての魔法がその者の最も得意とする魔法になりやすいのですが、桜月の場合、それがとても強力で、体に負担をかける危険な魔法だったのです。
そのため、魔力消費性疲労症や、魔力暴走症になりやすいです。
それを防ぐには……、桜月が魔法を使えるようになって、魔力を制御できるようになること、魔力を抑える道具を使うことがあります。
ですが、道具には限界があります。だからこそ、桜月には魔法を教わってほしいのです」
桜月をまっすぐに見つめる。
戸惑うのはわかっている。
最愛の人の一人でもある。
それでも、だからこそ。
魔法を操れなければ、幸せになれないという現実に、向き合って欲しかった。
その願いは。
「……承りました」
届いた。
重くのしかかった不安が、少し軽くなった気がした。
「……ごめんね、桜月」
ただ、私の血を引くがゆえに、災いの種を、最愛の娘に撒いてしまったのだ。
そのことが申し訳なくて、俯いてしまう。
「……顔を上げてください、母様」
しかし、桜月は柔らかな声色で言う。
「わたしは、母様を恨んでいませんよ。むしろ、感謝していますよ。……こんなにも、幸せで、温かにいられるんですから」
そのまま私を抱きしめる。
「それに、母様がいなかったら、今のわたしはいません。
幸せでいられません。
だから、そんなに、背負い込まないで……。
わたしたちは、家族なんですから……」
「桜月……」
思わず、目頭が熱くなる。
正直、恥ずかしかった。
何もかも、私一人で背負いこもうとしていた気がする。
相談はしていたけど、結局は自分の意見を押し通しただけな気がする。
でも、それは間違いだ。
朝日は言っていたではないか。
私の支えとなりたいと。
桜月は、その朝日と同じように、私を支えたいのだろう。
私に黒くのしかかり続ける影が、また溶けていった気がする。
「……ありがと」
最愛の家族が、心強かった。
次回、第二十一話「桜襲」。明日投稿になります。お楽しみに。