第九話 居場所
その後私は落ち着きを取り戻し、朝日からここがどのような場所かを聞いていた。
朝日によると、ここは農村で、名主という、土地をもってほかの農民を管理しているのが、彼の家族らしい。もっとも、領主に作物を収める必要もあるようで、楽とは言えない生活らしいが。
彼自身は、年は二十で、神社という、神である「サクラ」を祀るところを管理する仕事も任せられているらしく、「神主」と呼ばれているという。午前は農作業をして、午後には神社の掃除などをして過ごしているらしい。
そのような話を朝日としながら、布団の中で過ごしていた。
しばらくすると、男の人と、女の人二人が家に戻ってきた。
男の人は朝日と同じく帽子のようなものをかぶり、袖の小さい服を着ていて、下半身は別の服を着ていた。女の人は二人とも布のようなものを頭に巻いて髪を整えていて、男の人と同じく袖の小さい服を着ていた。
男の人は朝日のお父様の勘助で、女の人はそれぞれお母さまの梅、妹の菊だ。
三人は、朝日同様、私が気が付いていることに気付くや否や、私の周りに集まり、これまた朝日と同じく、私を気遣ってくれた。
そして、食事するということだったが、私にもご飯を下さるとのことだった。
そう聞いた瞬間、ぐうっと、私のおなかが鳴ってしまう。
そういえば、全く食事をとっていなかった。私は赤くなりながら、「す、すいません……」とつぶやき、恥ずかしくて俯く。
「ずっと気を失って、何も食べてなかったんですから。どうぞ、たくさん食べてください」
しかし、朝日はそう言って、私に食事を勧めてくれた。
顔を上げると、みんな笑いながら食事を準備したり、私に話しかけたりしてくださった。
みんな温かくて。
私を、受け入れてくれていると思った。
「……ありがとうございます」
目頭が熱くなるのを感じながら、私は感謝した。
何もかも失った私の、居場所を見つけた気がした。
その準備の間、私は自分の名前である、「サラファン・トゥルキア・バノルス」と名乗り、「桜空」と呼ぶように三人にお願いし、朝日は三人に、私が居候するということを説明した。
正直、大変だろうから、断られるかと思った。しかし、朝日が受け入れてくれたように、三人は受け入れてくれた。
それどころか。
「なんなら、朝日の嫁になったっていいんだよ? ちょうど独り身だし、働き手は大歓迎だし、別嬪さんだし。外国の方みたいだけど、まあ、別にいいだろう」
このようにお父様が言う始末。
「お嫁さん」という言葉に、私は赤くなって俯き、朝日は「な、なに言ってるんですか!急にそんなこと言われても、自分も桜空も困りますよ!」といって、お父様に突っかかる。
ただ、「お嫁さん」という言葉は、私にとっては無視してはいけない。
婚約者のリベルが、どうなったかわからない。
生きているかもしれない。
だから、婚約者がいて、どうなっているのかがわからないということを説明した。
それを聞いて、皆驚いたようで、そのせいか、一気に雰囲気が暗くなり、会話が途切れる。
私は、平穏な生活をしている朝日たちに、悪いことをしてしまったように思い、何とかしようと言葉を探す。
「あっ……、そ、その……」
しかし、見つけられず、どもってしまう。
「ああ……、す、すまんねえ、つらいことを思い出させてしまったようで……」
「い、いえ……」
余計に拍車をかけてしまったようだ。
重苦しい雰囲気に包まれる。
心なしか、少しばかり、部屋の中が暗い気がする。
耳を澄ますと、外から、ざあざあと音がする。
先ほどまで晴れていたのに、雨が降っているようだ。
せっかく、みんなが助けてくれたのに。
息苦しさばかり募る。
どうやれば雰囲気がよくなるのかがわからなくて、ますます閉口してしまう。
そこに。
「……何があったか話してくれませんか、桜空?」
朝日が思いもよらぬ一言をぶち込んだ。
「お、おい、朝日!」
すかさずお父様が止めにかかる。
一方の私は、話してより雰囲気を悪くするわけにはいかないと思っていたので、全く考えもしなかった朝日の一言に驚愕してしまい、朝日の方を向いたまま何も言えない。
しかし、朝日は私の目をじっと見て言った。
「自分は桜空に何があったのかわかりません。
――ですが。
もしつらいことがあったのならば。
それを抱えて、いいことなどありません。
かえって、悪い方にばかり考えて、余計に自分を追い詰めてしまいますよ」
そして、朝日は。
私の目の前に移動したかと思うと。
そのまま、腕を私の背中にまで回して。
私を、抱きしめる。
「あ、朝日……?」
突然のことに、思考が硬直してしまう。
顔も熱い。おそらく、真っ赤になっているだろう。
ただ、私が号泣した時の彼のやさしさを見ているので、嫌な気はしない。
……むしろ。
胸が高鳴って、ドキドキして。
……リベルのことを思い出して。
うれしくて。
照れくさくて。
……切なくて。
「あ、朝日! 何をやっている! すぐに離しなさい!」
お父様がそう言うが、朝日は離そうとしない。
私も、朝日に身を任せたままで、いいと思った。
……リベルに悪いな、とは思ったが。
「……大丈夫です。
あなたがどんなにつらい目にあっていたって。
どんなことをしていたって。
自分は、受け止めますよ。
出て行けなんて、絶対に言いませんよ。
ここにいていいんです。
問題は、あなたがつらいっていうことなんです。
だったら、その傷を癒そうと思うのは、間違ってますか?
自分は、間違ってないと思います。
……あなたを、助けたいんです。
だから。
話して、くれませんか?」
朝日のやさしさに。
包まれたいと。
思ってしまった。
……前に、進まなくてはいけないから。
いつまでも、後ろを向いてばかリなど、いられないから。
「……わかりました。
でも、長くなりますよ。
聞いていて、楽しくないですよ。
それでも、いいんですか?
朝日だけじゃありません。
みんな、私の話を聞いて、迷惑ではないですか」
みんなを見る。
首を横に振ってくれた。
「言ったではありませんか。
自分たちは、あなたを決して見捨てませんよ。
味方ですよ」
朝日がみんなを代表してそう言う。
みんなが見方でいてくれて。
みんな温かくて。
私の暗い気持ちが、明るく照らされる気がした。
「ありがとうございます。
……では、話したいと思います。
何があったのかを」
※
私は、バノルス王国という、国の王女でした。
でも、王位を継げるのは私だけ。
かなり不安定な国といえます。
現に、ノア派という反政府派が存在していたり、マスグレイヴ帝国という敵国が存在していたり、もともと関係の深かった、ガリルト神王国との関係が悪化していたり。
とても、現在の王だけでは、解決できないような問題が山積していました。
おまけに、歴代の王は短命で、私の母、つまり、現在の王である、ステラも、病気のため、寝たきりになっているほどです。
そんなのが王をやるな、という感じで、まあ、実際にはもっと複雑ですが、ノア派が誕生したり。
攻め込む好機と、マスグレイヴが侵攻してきたり。
ガリルトの重要な人物がバノルスに嫁いだせいで、長になれるものがいなくなったと考えられて、ガリルトと関係が悪化したり。
その人物のせいで、私たち王家が穢れてしまったり。
その穢れのせいで虐げられたり。
だからこそ、現在の王だけでなく、次代の王である私が頑張らなくてはいけませんでした。
ちゃんと国の内部を固めて、より強固にしなくては、滅びるしかなかったからです。
ですが、悪いことばかりではありませんでした。
十五になると成人として認められるのですが、私はそれと同時に結婚することになりました。
それが、リベルという男性です。
リベルはノア派の息子でしたが、私と対等になってくれて、やさしくしてくれて。
大好きでした。
愛していました。
このまま、幸せに暮らせると思っていました。
リベルと一緒に過ごして。
子供もたくさんできて。
母上が喜んでくれて。
政治もうまくいって。
……ですが、それは叶いませんでした。
成人の儀という、成人と認められる儀式の最中に……。
襲撃、されて……。
もちろん、反撃しようとしました。
ですが、魔法を使えなくなってしまっていて。
どうすることもできませんでした。
だんだん、追い詰められていって。
私も、母上も、命の危険にさらされて。
その時です。
母上が、逃がしてくれたんです。
私は、せめて、母上と逃げたかった。
ですが……。
もう、母上の体が限界で……。
最期には、「いきなさい!」と言われて。
母上を、見捨てて、逃げました。
……夫になるはずだった、リベルもどうなったかわからないまま。
でも、私は生きなければならなかった。
母上に、「いきなさい!」と言われましたから。
追手がきましたが、何とかまくことができました。
そこで、人を集めて反撃しようとしました。
ですが、できませんでした。
だれも、味方してくれませんでした。
国が、ノア派に乗っ取られていたんです。
もう、私は一人でした。
みんなを見捨てることに、罪の意識がありましたが、逃げるしかありませんでした。
だから。
私は最後の手段を使って。
こちらに逃げてきたんです。
それからは、朝日が助けてくれた。
だから、あなたたちが私を救ってくれたんです。
感謝してもしきれません。
※
私が話し終えるころには、食事の準備が終わり、それを配膳しようとしていたところだった。
私の中には、虚無感が広がる。
国を追われた。
みんなに見捨てられた。
母上を見捨てた。
リベルがどうなったのか、わからない。
そんな私に残ったものは、何もない。
あるいは、穢れだけか……。
そう思ったが、最後の瞬間を思い出す。
懐を探ると、愛用の杖と。
母上の形見の、イオツミスマルがあった。
「……それは?」
重苦しい空気の中、朝日が尋ねてくる。
その表情は硬くて、衝撃、困惑、そして私にどう声をかけていいのかわからないような心情がうかがえる。
「……これは、魔法を使うときに使う杖と、母上の形見で、魔法道具の『ヤサコニ・イオツミスマル』です。杖は魔法を使いやすくする道具で、魔法道具は魔法を使える道具です」
しかし、それを聞くとみんな静まってしまい、困惑している様子が伝わるが、なぜみんな困惑したのかがわからない。
「……桜空」
再び朝日が口を開く。
「魔法とは、なんですか?」
私の目が点になる。
魔法が発展していないマスグレイヴですら魔法を知らぬ者はいない。
それくらい、意味の分からない問い。
……もしかして。
ヤサコミラ・ガリルトの切り札で、私の世界とは全く異なる次元の世界に飛んでしまったのだろうか。
「別のところに行ける」という、かなり大雑把な伝承がされているが、それは、私がいる世界の常識が通用しないところの可能性もある。
現に、朝日を含めたみんなが、魔法のことを知らないのだから。
もしかすると、科学に特化して発展したのかもしれないし、魔法が存在しないのかもしれない。
ただ、先ほど「トランスレーション」を使えたため、マジカラーゼやマジカリウム、ポリマジカリウムは存在するようだが。
とりあえず、みんなに魔法を説明することにした。
「魔法とは、基本的に、術の内容を想像しながら、その呪文を唱えることで発現する術のことです。水や火、植物への干渉、土、鉱物、光、呪いなどの形で発現します。
この魔法が私の地では発展していて、魔法を中心に暮らしていました」
マジカラーゼの話よりも、みんな魔法を知らなかったので、そもそも魔法とは何か、ということに絞った。
それを聞くと、皆納得したようだ。
「つまり、呪術が発展したようなものですね。陰陽師の方とかいらっしゃいますし、自分たち神社のものは、『物の怪』という、死霊や生霊、その呪いの類を祓うこともありますし」
どうやら、この地でも、似たようなものがあるみたいだ。ただ、それは、魔法でいう、黄、黒魔法のような、呪い関係のように思えた。
ただ、先ほどからの調理の様子から考えると、石を使って火を起こしていたので、科学に特化して発展しているようだ。
ちょうど、マスグレイヴのような環境で、魔法がまず見られない、そのような地なのだろう。
「はい、お待たせしました」
そこに、食事の準備が終わったので、菊が食器に食事をよそって運んできた。
白っぽいような、黄色っぽいような色が混ざり合った粒がたくさんある食べ物と、魚、野菜のようなものだった。
話をしながら気づいていたが、先ほどからいい匂いがしていた。
それは、かつての穏やかな暮らしを想起させられる。
もう、あの日々は帰ってこない。
たった数日前のことのはずなのに、すごく昔のように感じた。
でも、この人たちは私を追い払おうとしない。
「……私の話を聞いても、ここにいていいと言ってくれるんですか?」
聞かずにいられなかった。
「言ったじゃないですか。『決して見捨てない』って」
微笑みながら朝日が言う。
それでも、簡単には頷けなかった。
「でも! 私は穢れているんです! そんな女がいては……」
その時だった。
「ふぁっ……!」
またしても朝日に抱きしめられる。あまりのことに、閉口してしまう。
「それが何だというのです。もしそうなのだとしたら、清めればいいのです。
……私たちがお手伝いします。それこそが、私の仕事の一部なのですから」
朝日は私の目をじっと見つめていってくれた。
まるで、真っ暗な暗闇に、一筋の光の道標が浮かぶような力強さ。
何にも頼れない私にとって、縋れるただ一つの光だった。
「……いいんですか? 後悔するかもしれないんですよ?」
弱々しい私の声。
それを聞いて、朝日は抱きしめる力を一層強めた。
「いいんですよ。あなたが、ここに居ても。
……あなたと会ったことを後悔するなんて、そんなの有り得ませんから」
朝日の家族へも視線を向ける。
みんな、頷いてくれた。
それはつまり、私がここに居ていいということ。
みんな受け入れてくれたということだ。
だから。
私は、みんなが心の拠り所になってくれた気がした。
何もかも失ってしまったけれど。
朝日が、みんなが、一緒にいてくれる。
「……ありがとうございます」
感謝せずにはいられなかった。
みんなきょとんとしている。
それぞれ顔を見合わせた後、朝日が言った。
「どういたしまして。
……桜空」
そこで彼はいったん区切る。
「ようこそ、わが家へ。
自分たちは、あなたを歓迎しますよ。
あなたは、ここにいていいんです」
家全体が温かかった。
私はここにいていい。
罪を犯し、すべてを失い、穢れて、誰からも見捨てられた私だったけど。
私の居場所を、みんなが、朝日がくれた。
目頭が熱くなる。
それくらい、うれしかった。
次回、第十話「報い」。令和元年二月二十二日投稿になります。お楽しみに。