第七話 ぬくもり 前編
ヤサコミラ・ガリルトが光り、私はその中に吸い込まれると、すぐに地面にたたきつけられる。そのまま地面を転がり、ふさがっていた傷口が再び開き、血をばらまく。
やがてその勢いは弱まり、私の体は転がるのをやめる。
しかし、止まったのはいいものの、体がこれまで感じたことがないほどに重く、悪寒がして、震える。体を動かせそうにない。
まるで、風邪をこじらせたような感覚。でも、咳はない。
この症状を、私は知っている。
魔力消費性疲労症。その重篤なものだ。さらにこれまでの疲労や精神的ショック、出血で、無防備に倒れているのに、何もする気が起きない。
何も、考えられない。
体中が痛い。
瞼も重い。
逃げることなど、どうでもよくなってしまった。
それよりも、眠くなってきてしまって。
そのまま、眠りの世界へと、誘われていった。
※
気が付くと私は、一人漆黒の闇の中に立っていた。
冷たい雨に濡れて、肌寒い。
ここはどこだろうか。
ふと疑問に思う。
真っ暗で何も見えず、どこなのかの見当もつかない。
「フラッシュ」
黄魔法で辺りを照らそうとする。
しかし、使えない。体の中でのいつもの感覚がない。
「……穢れた女め」
不意に声がした。
「卑しい」
「ガリルトを穢した娼婦の子孫め」
「バノルスを滅ぼそうとする阿魔なんかに王を任せられるか」
……やめろ。
「マスグレイヴを滅ぼそうともしない臆病者」
やめろ!
なぜだろうか。
数多の罵りが、今になって降りかかる。
「リベカのような穢れた血を引いた女に国を任せれば、いつか滅ぶ」
「ノアの血を引く、我らこそが王にふさわしい」
その一言一言が、私の心を引き裂いた。
負けたくなかった。
いくら傷ついても、ガリルトは、バノルスは、国民は、守りたかった。
それが、王家に生まれた者の運命だと思っていたから。
……それに。
幸せに、なりたかったから。
その結末は、どうだったか。
周りをもう一度見渡す。
すると、サムエルや、母上、父上、リベルといった、私に関わってくれた人が、みんないた。
中には、ガリルト神王国の、リベカ様の妹の子孫、アリシアもいた。
彼女も私と同じく、リベカ様の近親のために虐げられていた女だったため、顔を合わせた時は親しくしていた。
一緒に食事したり、話したりしたくらいだったが、もしかしたら、友として対等に接することも、できたかもしれない。
彼女からは、私を変に上に見るような感覚は、全くなかったからだ。
それでも、ガリルトとの関係悪化のために、疎遠になってしまったのだが。
孤独であった私の心の隙間を埋めてくれたのが、リベルだった……。
そのような物思いにふけっていると、みんな踵を返し、私から離れていく。
嫌な予感がした。
もうみんなに逢えないような、置いていかれるような気がしたのだ。
「……待って!」
思わず叫ぶ。
しかし、みんな待ってくれない。
それどころか、次々と姿が消えてゆく。
サムエル、父上、アリシアも消えてしまい、残ったのは、母上と、リベルだった。
私は必死に追いかける。
それでも、近づくどころか、どんどん離れていく。
みんなに置いて行かれる。
もう、二度と会えない。
本能で分かった。
必死に呼び止める。
それに応える声はない。
いつの間にか母上は紅く染まり、服の裾からは紅い液体がしたたり落ちていた。
そのまま、倒れたかと思うと、霧のように消えていった。
そして。
リベルも、暗闇にのまれ、姿を消した。
もう、そこには、私と、降り続ける雨の音しかなかった。
※
何かがすれるような音がする。
ざざ。ざざ。
でも、そんなのはどうでもいい。
体が重くて、寒くて。
とても、眠くて。
ああ。
何か耳元で叫ばれてる気がする。
こんなに叫ばれたら、耳駄目になっちゃうんじゃないかな?
……うるさい。
もう黙ってよ。
もっと、眠らせてよ。
たぶん、男の人なんだろうけど。
私、もう、疲れちゃった。
眠くなっちゃった。
だから、眠ったんだけど。
邪魔しないで。
もう、休ませてよ。
どうせ、私なんか……。
誰も、必要としてないんでしょ?
そうなんだったら、いいでしょ?
休んでも。
もう、私は生きる必要がないよね?
違う?
違うなんて言ったら、だれも必要としていないのって、おかしいよね?
……ああ、駄目。
眠れなくなっちゃった。
……まあ、でも、体が重くて、だるくて、寒くて、痛くて。
動けそうもないけど。
ちょっと、動かしてみようかな?
あっ、動いた。
うーん、でも、重くて疲れちゃうな。
あれ?
動いてからまたうるさくなったけど、なんか、私の体、触られてない?
私、奥さんになるのに、駄目じゃない……。
ああ、駄目。
動けない。
でも。
たぶん男の人なんだけど。
すごく、あったかい。
優しい人なのかな。
……なんか、また眠くなっちゃった。
リベルだったらいいのに。
……そんなわけ、ないけどね。
たぶん、リベルも、巻き込まれちゃったよね?
……あれ?
何に巻き込まれたんだっけ?
何があったんだっけ?
思い出せない。
でも。
なんか、すごい悲しい。
心が痛い。
……あれ?
目が熱い。
どんどんあふれちゃう。
なんで……?
なんで、私、泣いてるの……?
止まらない……。
私、王女なのに……。
しっかりしなくちゃいけないのに……。
でも、私が悪い気しかしないし……。
すごく、悪いことを、した、気分。
だから、余計に、止まらない……。
止まら、ない……。
どうすれば、いいのか、わからない……。
ねえ……。
誰か……。
助けて……。
助けてよ……。
どんどん涙があふれて……。
自分の気持ちが抑えられない……。
……あれ?
私を抱きかかえてくれてる人かな?
私の目をぬぐってくれてるみたい。
その指の感触が、とてもやさしくて。
だんだん、私の気持ちが落ち着た。
悲しみが心に残ったままだけど。
その人のぬくもりが心地よくて。
心が安らぐ。
だから、眠くなっちゃった。
でも。
たぶん、この人なら。
大丈夫、だよね?
私の支えに、なってくれるよね?
こんなに私にやさしくしてくれてるんだから。
ああ、もう限界。
おやすみなさい。
もしこれが夢なら。
この優しい人が、リベルだったらいいのに。
……。
※
胸の中の女の人は、眠りについたようだった。
すやすやと寝息を立て、豊かな胸が上下に動く。
でも、彼女の傷はひどく、そのせいか、意識がはっきりしていなかった。
だから、安らかに眠っているようでも、彼女の存在が遠ざかっていく気がして。
自分は、自宅へと急いだ。
ただ、助けたい一心だった。
※
その日、自分は神社の境内で掃除をしていた。
いつもの通り、朝食をとり、農作業をしてから境内の掃除。その掃除のころには日が傾き始め、夜のとばりが下りるまで、あと数時間といったところだった。
その時だ。
神社は山の上にあるが、さらに深いところが、突然光ったのだ。
最初は雷だと思った。
しかし、頭上には晴天が広がり、雷が落ちそうもなく、音も全くしない。これだけ近いのだから、音がしないのはおかしいと思った。
そこで、父上に様子を見てくると伝え、その場所の方へ向かった。
特別道があるわけでもない、深く生い茂る繁みは、いつも通りの青々としたもので、先ほどの光の影響が、嘘のようになく、薄暗かった。
それでも、何かがあるのではと思い、そのまま繁みをかき分けて進み続けた。
しばらく歩くと、斜面が少し急なところにたどり着いた。
ここは、滑落する危険性があるので、危険な場所だ。そのため、より一層足元に注意して進む必要がある。
ただ、もう日が暮れるまで時間がない。
特に異常もないようなので、家に戻ろうと思い、慎重に足元を見て方向転換しようとした時だった。
「……え?」
斜面の下に、誰かが倒れていた。
服は赤く染まり、ボロボロで、髪も土ぼこりにまみれて灰色で、全身傷だらけで、血も流れている。
滑落したのだと思った。
助けなくては。
瞬時にそう判断し、自分も落ちないよう気を付けながら下りた。
あまり斜面が続くところではなかったため、思ったよりも早くその人の元にたどり着けた。
しかし、その人は動く気配を見せない。
おもわず大声で呼びかける。
「大丈夫ですか? しっかりしてください!」
何度も叫ぶが、反応がない。
死んでしまっていると思った。
その時だった。
かすかに、胸のあたりが上下していた。急いで鼻の方に近づくと、息が吐かれているのを感じた。
さらに、体がわずかに動き、かすかに呻き声も聞こえる。
生きている!
そうと分かると、その人を介抱するために、自宅まで運ぶことにした。そのために体を抱きかかえる。
抱きかかえてわかったのだが、五尺くらいの大きさの人で、長髪、そしてその顔がとてもかわいらしくて、美しかった。
そして、自分の体に触れる、柔らかくて、大きな二つの感触。
その瞬間、女の人だと分かったが、助けるためにはやむなしと、そのまま抱きかかえる。
「……え?」
抱きかかえると、女の人の目から、涙があふれだす。
ただ、それどころではなかったので、急いで家に戻ろうとした。しかし、その涙が止まらない。自分の服がどんどん濡れていくことがわかる。体が動いているのも感じる。
よほどつらいことがあったのだろうか。一度立ち止まって彼女の顔を見ると、見たくないほど、悲痛な表情をしている。その崩れた表情が、かわいらしい顔に浮かぶだけで、胸が痛くなる。
彼女に、そんな表情をさせたくない。
笑っていてほしい。
そういう気分がわいてくる。
だから、自然と自分の手が彼女の目元まで伸び。
その涙をぬぐった。
熱かったように思う。
拭った時に気付いたが、彼女の顔がとても熱い。
すごい高熱だった。
より一層、自分に焦燥感が走り、家路を急ぐ。
ただ、彼女の顔は、先ほどよりも安らかで、いつの間にか涙は止まって、すやすやと寝息を立て始めた。
それから三日間も彼女は目を覚まさなかった。
家に着いた時、父上も驚き、すぐに手当ての準備をしてくれた。
また、女の人の着替えなどを手伝ってもらうために、田んぼにいた、母上と、妹の菊に頼み込んだ。二人とも、首を縦に振ってくれた。
女の人だったので、母上と菊が主に治療したが、体の傷は、一度治療してあって、それが開いてしまったものと、擦り傷の、大きく二種類あったらしい。それにしては症状が重すぎるとは思うが、それについてはよくわからない。
また、母上と菊が体をふいてくれて分かったのだが。
髪が桃色だった。
そんな人を、今まで見たことがない。
つまり、異邦人のようだった。
ただ、この人が村の人にどう思われるかわからないので、みんなと相談して、髪の色について口外しないことにした。
それに、異邦人だというのは関係ない。
助けた自分の選択は間違っていない。
女の人は、安らかな表情を浮かべたり、苦しそうな表情を浮かべたりしたが、苦しそうにするたびに手を握ると、穏やかになるからだ。
助けが欲しかったに違いない。
そして、女の人が気が付くまで、自分たちは交代で看病し続けた。
次回の投稿は、令和二年二月七日です。