第一話 婚約者
今回から第二章「桜空伝」となります。
サラファン・トゥルキア・バノルス。サラ、いや、桜空のかつての名前。
サラは、自分が桜空であることを認め、それにもかかわらず、神ではないと言った。
その証拠に、実際に魔法を使って見せた。その技量は見事なもので、わたしの魔法が、あまりにも稚拙に見える。しかも、サラは「バノルス王国」の「第一王女」であったらしく、貴族どころか、王族で、なおさら、魔法を使えない人々からしたら、神に見えてしまう。
しかし、それならばなぜ、サラは千渡村にいるのだろうか。なぜ、バノルス王国にいないのだろうか。なぜ、わたし以外見聞きできなくて、だれも触れないのだろうか。
サラのあの技量は、魔法を使っている身からしたら、もはや神業だ。わたしは魔法を使うだけで疲れて、やっと使える程度なのに、サラは魔法の質が素晴らしく、しかも少しも疲れた素振りを見せない。バノルス王国にとどまらなかった理由がわからない。
それを、これから話してくれるのだろう。魔法のことも、話してくれるだろう。
そのことが、源家や、わたしの存在の意味を暗示するのだろう。
正直怖いが、これを知らない限り、本当の幸せにはたどり着けないだろう。
大丈夫だ。たとえ真実がどんなに残酷でも、わたしにはみんながいる。
だから、絶対大丈夫だ。
絶対、幸せになれる。
※
小鳥のさえずりが聞こえる。それは、私をまどろみから覚ます合図となる。
目を開けると、白い天井が飛び込んでくる。朝にいつも見る光景。それが、私に一日が始まったことを知らせる。
「ふぁっ……」
大きな欠伸。仮にも王女なのだから、人には見せられないが、寝室であり、私室であるこの部屋では、無防備に、人目を気にしないで過ごすことができ、ここでは、自分の立場を忘れて、一人の女の子として過ごせた。
ただ、いつまでも布団にくるまるわけにはいかないし、ずっと部屋にこもるわけにはいかない。飛び級して学校を十二で修了し、それからは研究者として、なにより、宮廷魔術師として、母上の下で働く時間が増えた。もっとも、宮廷魔術師というのは、宮廷に配属される魔術師のことを言い、王の下でいろいろと学ぶのが、王女で宮廷魔術師となったものの習わしだが、私の場合は十五にもうすぐなるとはいえ、今更学ぶことがなかったため、専門の空間魔法を中心に、魔法の研究に勤しむことが多かった。
とりあえず、布団から出ると、まず、カーテンを開く。日差しが差し込み、まぶしい。
窓からは王都、カファルナウムの街並みを一望できる。石造りの建物、石畳が広がり、高台のないこの都では、この宮殿でしか見られない、私が大好きな景色だ。
そして、右側には、大きなドーム状の建物がある。ドームの部分が金色で、その下は周りと同じ石造りの建物。神様のガリルトを礼拝する、礼拝堂だ。バノルスの建国に際し、当時のガリルト神王国のオラクル、ペトラ・フローレンス・ガリルトに感謝し、建てられたもので、ペトラの名前をもらい、「ペトラ礼拝堂」と呼ばれている。ここでか、ガリルト神王国のほうを向いて、人々は毎日祈って、一日を始める。
私は、そのような人々と同じように、目を閉じ、手を組み。ガリルトの方を向いてお祈りを捧げる。
平穏な日常が続くように、幸せになれるように、王国が一つになれるように、私は祈った。
お祈りが終わり、窓を開ける。新鮮な空気が入り込んでくる。大きく伸びをしながら深呼吸。空気がおいしい。眠気が吹き飛び、体が一日の始まりを理解してくれる。
寝間着から普段着に着替える。ピンクのワンピースのような服である。そのあとは髪を整えたり、顔を洗ったり、お化粧したり。せめて、私室では普通の女の子のように過ごそうと思い、召使いさんのお世話には、十二になって以降、なってない。また、休日だけではあるが、料理人と一緒に料理をしたり、部屋のお掃除をしたりしていた。
いつも朝にやることを一通り終えた後、自分の机の上に置いてある、愛用の杖を懐にしまって、部屋を出た。
別に杖などなくても魔法を使えるが、魔力の触媒となり、魔力の無駄を減らせ、体への負担が軽くなるため、常時携帯していた。
※
「おはようございます、姫様」
「おはようございます」
すれ違った召使さんたちと挨拶をしながら廊下を歩く。自分の立場が王女なので、昔から「姫様」と呼ばれているが、個人的にはみんなとの距離を感じてしまって、あまり好きではない。ただ、王女として生まれたからには、他の人よりも上に立たねばならないので、このように敬われなければ示しがつかず、受け入れていた。それに、私がきちんとしなくては、反政府派への付け入る隙を与えてしまうため、「王女」としてのふるまいを、常に意識している。
正直、寂しい。みんな私を「王女」として見ていて、対等に話したり、接したりしてくれない。小さい頃は学校の友達が、普通の友達として接してくれていたが、みな成長するにつれて、周りの大人と同じように、私を「王女」として、遠い存在として認識するようになった。だからこそ、私はきちんとしなくてはならず、上のものとしての威厳のようなものを、常に意識していた。
そのため、周りに支えてくれる人がいても、妙な疎外感を味わっていた。
それを、母上だけが理解できるはずのだが、母上は王なので、王として、娘の私を立派な王にすべく、私を教育した。具体的には、歴代王家は親の元で教育を受けるのだが、新たに学校ができたこと、内政が不安定な中で民衆の意見を取り入れたかったことなどから、王立の学校を管轄する宮内省の大臣、マタイが経営している学校で学んだ。まだ学校ができて間もないため、王子、王女の教育の補佐も担当していた宮内省に、教育を管轄をする白羽の矢が立ったのだ。
私のためを思っていると理解はしている。でも、私が求めているのは、親身になって、同じ気持ちを共有して、母上の体験を通して、その悩みを乗り越えることだった。
だから、私は、一人だった。勉強とか、魔法の研究ばかりした。
「あ、サラファン」
不意に、私の名を呼ぶ声がする。
その瞬間、胸が、トクン、と高鳴る。
鼓膜が、嬉しくて震える。
声がした方を振り向くと、私の婚約者の、リベルがいた。
「リベル」
彼の名を呼んでから、彼の方に駆け出す。
「おはようございます、リベル」
私は挨拶をして、そのままリベルに抱き着く。彼も私を抱きしめてくれる。彼の存在を肌で実感でき、とても落ち着く。
「おはよう、サラファン。ちょっと甘えすぎじゃない? 周りの人も見てるんだから……」
恥ずかしがってるな。そう思ったが、確かに周りの人の視線を、私たちは浴びている。
「でも、リベル。リベルだって、抱き返してくれたじゃないですか。リベルだって、私を抱きしめられて、すごくうれしいんじゃないですか? それに私たちはもうすぐ夫婦になるんですから、今からイチャイチャしても、かまわないと思いますよ」
人前であっても抱きしめてくれる。夫婦以外ではそのようなことはしないのが一般的だが、それをしてくれたということは、リベルが私のことを妻と認めてくれていて、心から愛しているということであるので、とてもうれしくて、胸がこそばゆくて、照れくさい。
「まあ、確かにうれしいけど……。でも、これくらいにしておかないと、さすがにまずいと思うよ、サラファン。いくら婚約しているからといって、まだ結婚前なんだから、余計なことを言われるかもしれないし。……結婚したら、いくらやっても文句言われないんだから、もうちょっと待っててな」
リベルの言うことは、ごもっともだ。最悪、婚約がなかったことになりかねない。もうリベルのことしか見えないのに、リベルと決めているのに、そんなことになると、自分の半分がなくなるような気がして怖い。
そのため、リベルともっとくっついていたかったけど、私たちは抱き合うのをやめた。
「むむむ、残念です。でも、約束ですよ。結婚したら、好きなだけ私はリベルとくっついてますからね」
「はいはい」
リベルは、はにかみながら同意してくれる。その笑顔も、私にだけ向けてくれるもので、心が弾む。
「そういえば、リベルはどうして宮殿に来たんですか?」
リベルは、確かに七代前の王、アブラハムの兄弟である、ノアの血を引いている。しかし、あまりにも遠すぎるため、王族ではなく、宮殿で過ごすことはない。そのため、何かの用事があるはずだ。
「ちょっとお義父さんにね。今回の式典のことで、最終調整をするために」
私の父、ペテロは、財務省の大臣だ。そのため、いろいろと調整しているのを知っている。
「わかりました。いつもの執務室にいると思うので、大丈夫だと思いますよ」
「うん、わかった。サラファンは?」
「私は今から母上のところに行って朝食をとるとこです。それから、いつもの研究ですね」
それを聞いて、リベルは苦笑する。
「サラファンって、本当に研究が好きだよね。たまには散歩とかしたら?」
リベルは私が魔法の研究を理解してくれていて、応援もしてくれている。ただ、それに対する私の打ち込みようを見て、少し引いているようだった。
「うーん、散歩はリベルと手をつないでしたいですね……」
「サラファン……」
「リベル……」
二人で目線を交わしたまま、二人の世界に閉じこもる。
「こほん」
ただ、その世界は、リベルについてくれていた、召使いさんの咳払いであっけなく崩壊。私たちは、現実へと戻る。
「あ……、話過ぎてしまいましたね」
「そうだね、サラファン」
お互い苦笑する。
「じゃあ、約束ですよ、リベル。絶対、一緒に散歩しましょうね」
「うん、わかったよ、サラファン」
忙しいのでいつ果たせるかもわからない約束をする。
このような、何気ない二人の日々が、結婚後にはもっと多くなるのだと思うと、今から楽しみでならない。
「じゃあ、リベル、お仕事、頑張ってくださいね」
「サラファンもね。じゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
廊下を曲がっていくリベルの姿が見えなくなるまで見送った。
私は、母上の私室へと向かった。
※
彼、リベル・サルバドールは、私の婚約者だ。
魔法省の大臣、ゼベダイ・サルバドールの息子で、年は十八になる。現在の王、ステラ・トゥルキア・バノルスが王位に即位した年に生まれたことになる。私は、その三年後の、ステラ三年十四月十四日に生まれた。
バノルスでは、一年は十六か月、一か月は三十日もしくは三十一日ある。王が即位した日を一月一日とするため、王暦と呼ぶ。
リベルと出会ったのは去年、つまり、ステラ十七年だ。私が成人になるということで、成人になると同時に結婚するというここ数代の王女の傾向に倣った縁談だった。
正直、周りからの疎外感を抱いていた私は、結婚に対して、子供を作る以上の意味合いを見いだせなかった。今王位を継げるのは私だけ。王政を存続するには、できるだけたくさん子を産み、育てる必要があった。
それに、権力闘争のようなものもあると思い、結婚にいい印象を抱けなかった。
所詮、将来の王である私と結婚させることで、その家の立ち位置を有利にしたいのだろう。
そう思っていた。
ただ、断るわけにもいかず、見合いの席につくことにした。
そして、その相手が、リベルだった。
「初めまして。魔法省の大臣、ゼベダイ・サルバドールの息子、リベル・サルバドールです。よろしくお願いします、サラファン様」
第一印象は、まじめで、話しやすくて、顔は特別いいわけではないけど、悪いわけではない、なぜか自然体でいられる、そんな印象だった。
リベル本人には、他の人と同じように敬語で会話されたけど、悪い印象を抱かなかった。
ただ、リベルの家が気に食わなかった。
「息子のリベルならば、必ずや、王家の子孫繁栄、王国の安定に貢献できます。そのためにも、リベルと添い遂げ、我がサルバドール家の意見を重視していただくことこそが、重要であります。そうすることで、ノア派との溝が埋まり、国民の不満を解決することができ、反乱を未然に防ぐことができ、ガリルトとの問題も解決できると思います。それが結果的に、マスグレイヴからの侵攻を防ぐ一助になることを、今一度ご認識していただけると幸いです」
私は、さすがに表に出さなかったが、かつての王の血を引きながら、王位を継ぐことのできないゼベダイら、サルバドール家が不満を持っていることを知っていた。そして、私の縁談があると知るとすぐさま名乗りを上げた。
国民の不満、反乱、ガリルトとの関係の悪化、マスグレイヴの侵攻を逆手にとって、反政府派であるノア派の、サルバドール家が、王家との婚姻で関係を深めて、影響力を増そうとする意図が透けて見えた。
結局、私とリベルを利用する、政略結婚としか考えていないのだと思った。
そのため、サルバドール家にはいい印象を持たなかった。
このような印象を持ったところで、一度リベルと一緒に散歩することになった。
私としては、サルバドール家から離れられて、少し解放された気分だった。
「……やっと、二人になれましたね、サラファン様」
部屋を出て、外の花壇についたところで、不意にリベルからそのように言われた。
「そうですね。……ひょっとして、気づいてました?」
もしかしたら、彼の家への印象に、気づかれてしまったかもしれない。
「私がそう思っていたのと、少しサラファン様の目つきが私を見るよりも、厳しく見えたので」
苦笑しながら彼は答える。
「家のことよりも、本人同士の方が重要なはずなんですけどね。正直、いきなりの話だったので、私自身、驚いております」
彼の話や態度から見るに、私と結婚して自分の地位を上げようなどと考えていなかったように感じる。
「でも、そのように言うってことは、私のこと、お嫁さんにしたくないってことですか?」
お互いに通ずるところを感じ、うれしく思い、笑みを浮かべながら、ついからかってしまう。
「いえ、そういうわけではありません。結婚も、選択肢の一つです。ただ、これは何よりも私たち自身の問題です。いろいろと一緒に過ごして、それでどうするかを決めるべきです。家がどうとか、そういうのは関係ありません」
会話している中で、リベルはきちんと私という一個人との関係を、真剣に考えてくれていると思った。
「わかりました。私もそのように思っています。私たち、気が合うかもしれませんね」
リベルははにかみながら頭を掻く。照れている。そんな一面も、嫌いじゃない。
「それで……、あの……」
「どうしました?」
今までの会話からは信じられないほど、急にリベルがぎこちなくなる。
「さ、サラファンと呼んでいいですか? せっかくの縁談なのです。対等な立場で接した方が、いいと思いましたので……。なので、敬語をやめて話してもよろしいでしょうか? 王女様と知っておきながらこのような愚行、許していただけますでしょうか?」
サラファン。そのように言われて、急に顔が熱くなる。リベルの方を直視できなくなる。うつむいてしまう。
そして、対等な立場で話したいと言ってくれた。
私がしてほしかったことを、してくれると言ってくれた。
うれしくて、胸が高鳴る。
「そ、その……。い、いいですよ。わ、私も、リベル、と呼んでもいいでしょうか? 対等に接したことがあまりないので、ぎこちないとは思いますが……」
そんなうれしいことを、断るわけがない。私も、リベルと対等な関係になりたい。
「う、うん、サラファン。これからも、よろしくね」
「こ、こちらこそ、リベル。仲良くしていきましょう」
対等でいようとしてくれるリベル。その存在に、私はその時から惹かれ、救われていった。
※
……もう、その時点で、すぐに結婚したいくらいだった。
それくらい、大好きになった。愛するようになった。
それが私の、初恋だった。
もう、ずっと昔のことで、彼の顔を思い出せないけど。
とても、幸せだったと思う。
ずっとその幸せに浸っていたいと、そう思っていた。
リベルと添い遂げて、子を産んで、育てて、政治もうまくいって、老いていって。
静かに、眠りにつく。
そんな幸せを考えるようになった。
今それを想像しても、五月たちには悪いけど、それが本当だったらいいのになと思うくらいに。
次回の投稿日は、令和元年十月十三日です。