三話 第一の暗号
ゴールデンウィーク初日の午後、叶は暗号研究部の部室にいた。暗号を解読するためのテストケースとして白羽の矢が立ったからだ。
世羅、久我、望、そして叶と共にテストケースになる熊野実もいる。
部長の世羅が代表して、ルールを説明してくれる。
「ルールは簡単。暗号を解いていくだけよ。学校内のどこかに私たち三人がいるから、そこにたどり着けばオッケー。適当に探し回っちゃダメよ。答え合わせをするから、偶然見つけただけじゃクリアとは認めないわ」
「制限時間とかは?」
「今日はなし。どれだけ時間がかかるかも確認したいの」
「どうしても解けずにギブアップする場合は?」
「私たちの誰でもいいから連絡入れて」
「念のため、スマホを使うのはあり?」
「ネットの掲示板とかに書き込んで質問するのはダメよ。調べ物をする分には構わないわ」
ざっくりと確認してから、いよいよスタートだ。
「第一の暗号よ。ちょっと簡単過ぎるかもしれないけど、最初だからこんなものでしょう。暗号を解けば場所が判明するから、そこに行ってちょうだい」
「僕は指定の待機場所に向かうよ。小坂君、頑張って。紅羽さんも」
「兄さん、熊野実先輩、ファイトです!」
叶は一枚の紙を受け取り、三人が部室を出て行ってから中を見る。
『16、1、1、28、14、ん』
数字の羅列になっていた。最後だけひらがなの「ん」がある。
「熊野実も読んでみろ」
「はーい。えっと……何これ?」
熊野実は、こてんと首を傾げた。容姿が幼いだけに、その仕草がよく似合う。
釘付けになりそうな視線を強引に逸らし、できるだけ冷静を装って話しかける。
「分かるか?」
「全然。私、こういうの苦手で」
「暗号研究部の一員なのに?」
「私が入部したのは……そ、それはいいから、小坂君は分かる?」
入部したのは、に続くはずだったセリフはなんだろうか。「久我君が目当て」などと言われればショックだ。
違うことを祈りつつ、叶の考えを述べる。
「この手の暗号は、数字を文字に置き換えるって相場が決まってる。ひらがなかアルファベットだな」
数字の1はひらがなの「あ」、もしくはアルファベットの「A」になる。
今回はひらがなが有力だ。アルファベットは26文字しかないため、28という数字はあり得ない。
「たああふせん」
「意味不明だね」
ひらがなに置き換えてみたが、意味のある文章にはならなかった。
ならば、次はアルファベットだ。28は26の誤記として考える。
「PAAZNん」
「やっぱり意味不明だね」
アルファベットでもダメだ。
ドヤ顔で「数字を文字に置き換えるって相場が決まってる」とか言っておきながら、この始末。叶は顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「い、いや、考え方は間違ってないはずだ。ひらがなとアルファベットじゃなくても、何かしらの文字に置き換えるんだよ」
「英語以外の外国語とか?」
「それはない。高校生に解かせる暗号だぞ。これがロシア語だのアラビア語だのなら、誰も解けなくなる。一般的な高校生が持つ知識、あるいはスマホで簡単に調べられる雑学を使ってるはずだ」
暗号の解読方法としては邪道だが、高校生の知識レベルで解ける前提で考える。
ひらがなではなく、アルファベットでもない。他に何があるか。
「ねえ、化学の元素記号は?」
「二十番目のカルシウムまでしか覚えてないって。まあ、一応当てはめてみるか」
調べてみれば、二十八番目の元素記号はニッケルだった。
「硫黄のS、水素のHが二つ、ニッケルのNi、ケイ素のSiだ。並べると、SHHNiSiん。なんじゃそりゃ」
ひらがな、アルファベットと同様に意味の通じない言葉になった。
「元素記号も違うのかあ。あとは……ドレミファソラシド? 絶対に違うね。一オクターブ、七つしかないし」
「着眼点は悪くない。教科で考えてみよう。国語、英語、理科、音楽は違った。社会は?」
「都道府県コード? 1は北海道、2は青森県とかだったはずだよ」
「えー……富山県、北海道、北海道、兵庫県、神奈川県、ん。頭文字を取れば、とほほひかん?」
「とほほな結果だね」
「う、うまいんじゃないか? あははは」
「適当な慰めはいらないよ!」
「ごめん。てか、俺が悪いのか? 熊野実が変なこと言い出すのが悪いような」
親父ギャグ好きである久我に影響されたのだろうか。
そんなもの、影響されなくてもよい。
「しっかし分かんねえ。どこが簡単なんだよ。しょっぱなから難し過ぎだ」
「難しいねえ」
暗号が書かれた一枚の紙切れを二人で覗き込むが、そのせいで距離が近くなっている。吐息がかかりそうな近さだ。
暗号など無視して、熊野実と二人、ずっとこのままでもいいかもしれない。
叶は早くも諦めムードになっていた。世羅たちには悪いが、叶が協力しているのは熊野実が目当てだ。今の状況でも目的を果たせている。
思考から暗号が消え、熊野実一色に染まっていたが、彼女は真剣に考えている。
暗号が苦手と言いつつも、暗号研究部の一員だ。イベントを成功させるために今も真剣なのだろう。
引き受けた以上は叶も真剣にやる。第一の暗号でギブアップするのも恥ずかしいし。
「現代語、古分、漢文、化学、地学、物理、地理、歴史」
熊野実は教科を次々と述べていくが、叶には一つピンとくるものがあった。
「古文……いろは歌?」
「小坂君、凄い! それかも!」
あいうえおの五十音ではなく、いろは歌に当てはめればどうか。
「たいいくかん……体育館!」
「解けた!」
やっとのことで第一の暗号が解けた。嬉しくて二人で手を打ち合わせる。
「いきなりギブアップする羽目になるかと思った。んなことになったら、世羅になんて言われるか。熊野実のおかげで助かったよ」
「私は何もしてないよ。解いたのは小坂君だし」
「熊野実の『古文』ってヒントがあったおかげだ」
「小坂君が凄いの」
「熊野実が」
お互いに手柄を譲り合う変な状況だ。
顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出す。気になる女子と精神的な距離まで縮まったような気がして、叶のテンションも高くなる。
「よっしゃ、体育館に行こう!」
次の暗号はなんだろうか。徐々に楽しくなってきた。